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97話.ウラジオストック上陸〔前編〕

《 主な登場人物 》
■アルベール・ド・ディオン:1856年生まれ。ド・ディオンチームの撤退を命じたオーナー。
■プービュ・サン・シャフレ:1875年頃の生まれ。ド・ディオンチームのリーダー。


アラスカコースが取り止めになって、各チームは船便でユーラシア大陸に向かった


1908年に開催されたニューヨーク~パリ間超々長距離自動車レースの第一ステップは北アメリカ大陸の横断であり、このゴールはサンフランシスコになっていた。

ここに一番乗りで到着したトーマスチームは、予定されていたアラスカの出発地であるパルデスまで来てみたら、一面氷で覆われていて驚いた。
そこで、主催者であるニューヨーク・タイムス紙に「アラスカの氷上を自動車が自力走行するは不可能である」と、抗議を含めて電報を打つことになったら、折返しコース変更を正式決定したという電報を受け取ることになった。

トーマスチームの代表であるジョージ・シュスターは、憤懣やるかたがなかった。
すぐにアラスカのパルデスからシアトルに戻る船を捜したが、こんな田舎にはチャーターできるような船がなく、確保するだけで5日間を浪費して、やっとのことで4月12日にシアトルに戻ってきた。

それに先立ち、サンフランシスコからシアトル行きの定期船に乗ったプロトスチームがシアトルに到着し、パルデス行きのチャーター船を探している時に、「シアトルで待機するように」という主催者からの電報を受け取った。
これで動きが取れなくていらいらしていたら、正式なコース変更の連絡が来て、次なる目的地がロシアのウラジオストックであることがわかった。


プロトスチームは、シアトルからウラジオストックに行くにはどうしたらいいかを調査してみたら、2つのルートがあることがわかった。

ひとつは、シアトルから直接ウラジオストック行きの船に乗るという行き方であるが、この便は1カ月に1回くらいの頻度しかないので、果たして都合の良い船便があるかどうかがポイントとなった。

もうひとつは、サンフランシスコに戻って、ここから日本国の横浜行きの定期船に車を乗せる方法であるが、こちらはほぼ1週間に1度の船便があるという。
このルートでは、太平洋岸の横浜に着いてから、日本海岸に面した新潟という所まで自動車で走って、新潟港からウラジオストック港まで船で行くということが考えられた。

プロトスチームは収集した情報を総合的に検討した結果、4月28日にシアトルを出港しウラジオストックに直行する船便が、いちばん早いことがわかったのでシアトルでこの船便を待つことにした。
そんな時に、アラスカからトーマスチームが戻ってきた。
目的地は同じであるので、プロトスチームと一緒の船便に乗ることになった。


トーマスチームとプロトスチームに大きく遅れたド・ディオンチームは、4月10日にサンフランシスコに到着したところ、「アラスカコースは中止になったので、ロシアのウラジオストックに行くように」という指示が待っていた。

行き方を調べてみると、ここからウラジオストックに直行する便がないので、週1便ある日本国の横浜行きの船便に乗ることにし、4月14日にサンフランシスコ港を出港した。

ツーストチームがサンフランシスコに到着したのは、ド・ディオンチームが到着した7日後のことであり、4月21日に横浜へ向かう船便でサンフランシスコ港を離れることになった。



無謀な計画のまま走り出した超々長距離レースは、舞台をユーラシア大陸に移した


ド・ディオンチームのリーダーであるプービュ・サン・シャフレは横浜行きの船の中で、日本地図を広げながら、横浜からウラジオストックへの車を移動させるコースとして陸路を新潟まで運転して、その後に新潟港からウラジオストックまで海路で行くことにした。
横浜に上陸したド・ディオンチームはさっそくこの考えで準備を進めたが、現地で情報を集めたところ、この考えが完全に間違いであることに気がついた。


日本の近代革命といえる明治維新は1868年から始まったので、1908年という年は近代革命後40年目に当るが、この時代、日本で自動車が通れる道というのは、東京、大阪という大都会にはあったが、地方では極端に少なく、東京から新潟まで自動車で走行することは不可能であった。

このような日本の道路事情を正確に把握できなかった背景として、道路形成のプロセスが、ヨーロッパと日本では根本的に異なっている点があげられる。
ヨーロッパでは、中世より馬車が交通機関の中で大きな役割りを果たしている。
馬車が通ることによって道路が形成されたので、自動車時代になっても馬車道は、そのまま自動車道として使えることになる。
ところが日本では、馬車の時代がなかったので、道は細く曲がりくねっていて、自動車時代になると、道路づくりをゼロから始めなくてはならなかった。

また、横浜と新潟を結ぶ途中には標高3,000メートル級の山並みが連なっていて、徒歩ですら走破することが難しい難所であり、この区間を自動車レースで走行するプランはナンセンス以外のなにものでもなかった。

(金曜日の〔97話:後編〕に続く)


96話.サンフランシスコ到着〔後編〕

《 主な登場人物 》
■ケッペン:ドイツ軍方式のやり方の間違いにようやく気が付いたプロトス車のリーダー。
■ジョージ・シュスター:1880年頃の生まれ。西海岸で一番になったトーマス車リーダー。


サンフランシスコにトップで到着したトーマスチームは、アラスカの地に向かった


サンフランシスコからの行程は、定期運行船に自動車を乗せてシアトルへ行き、次はアラスカ行きの小型船をチャーターしてパルデスという所まで行く。
ここが正式のアラスカコースのスタート地点になっていて、ベーリング海峡の氷上を走るレースが再開されることになっていた。

ニューヨーク~パリ間超々長距離レースを主催しているニューヨーク・タイムス紙は、予定されているアラスカ→ベーリング海峡ルートの状況を正確に把握するために調査員を派遣したところ、その男から「状況は良好で、レース実施は問題なし」との報告か届いたので、予定したコースでレースを継続することにした。

トーマスチームは好天が続くカリフォルニア州の道を順調に走行した。
北アメリカ大陸横断の最終目的地であるサンフランシスコに到着したシュスターは、レースのコースに変更がないかを確認するために、ニューヨーク・タイムス紙に打電したら、「予定されたコースでレースを継続するので、シアトル行きの定期船に乗ること」との指令を受けた。

すぐにトーマスチーム一行は乗船手続きに入って、サンフランシスコ港を3月25日に出航する蒸気船でシアトルヘ向かった。
その3日後、ケッペン隊長率いるプロトスチームがサンフランシスコに到着し、トーマスチームと同じ指令を受けて、シアトルに向かうことになった。
トーマスチームはサンフランシスコから出港して翌々日にはシアトル港に到着した。
ここで、小船をチャーターしてアラスカにあるパルデスに向かい、3月30日にアラスカの大地に足を踏み入れた。



「アラスカの地を走行することは不可能だ」と、G.シュスターは主催者に訴えた


レースの公式記録はパルデスから始まることになっている。
初めてアラスカの土地を走行することになったトーマスチームの一行は、別世界をここに見た。
自分たちは厳冬のアメリカ大陸を自動車で走ってきて幾多の困難に遭遇したが、ここではまったく次元が違っていた。

そもそも、見渡す限りが氷の世界である。
自動車というものを初めて見たアラスカの村人たちは、氷の上を走ろうと考えてここまでやってきた乗り物を見てあざ笑った。
ここでは自動車はどんな工夫をしても走行することは不可能であった。

どうしても行くというのなら、車輪にスキーの板を付けて、犬橇で引っ張るより方法がなかったが、そのためには何十匹という犬が必要となる。
実際パルデスにはそんなたくさんの犬はいないが、よしんばいたとしても、これだけ多くの犬をコントロールできるアラスカ人には出会ったことがない。

自力走行できなければレースが成立しない。
いったい誰がこんな所で自動車を走らせようと考えたのであろうかと、シュスターはだんだん腹が立ってきた。
ここまで来た自分たちが明らかに間違っていることを確信したシュスターは、パルデスからニューヨークに電報を打つことにした。
「アラスカは全土氷に覆われている。ここで前に進むには、自動車を犬橇で引かせる他には方法がないが、それではレースにならない。ベーリング海峡の氷上走行は直ぐに中止するように」と怒りを込めて打電した。

これを受け取ったニューヨーク・タイムス紙の幹部は、自動車は雪道ではタイヤにチェーンを巻けば走ることができるが、氷の上ではたとえチェーンを付けても滑るだけで絶対に自力走行できないという単純な事実が、なぜ事前にわからなかったのだろうとショックを受けると同時に、今後の対策に苦慮することになった。

つい先頃、アラスカまで調査に行って「状況は良好で、レース実施は問題なし」と打電してきた記者は、本当のところはどう考えているのかと、記者を探して詰問してみたら、実は「アラスカまで行っていない」ことを白状し、新聞社の落ち度がはっきりした。

シュスターからの電報を受け取って5日後に、アラスカコースの走行を取り止めて、ユーラシア大陸の玄関口であるロシアのウラジオストックをパリまでの走行レースの出発点にすることを、主催者は正式決定するのである。

(〔96話〕はここまでで、〔97話〕は来週の火曜日に掲載。)


96話.サンフランシスコ到着〔前編〕

《 主な登場人物 》
■ケッペン:ドイツ軍方式のやり方の間違いにようやく気が付いたプロトス車のリーダー。
■ジョージ・シュスター:1880年頃の生まれ。西海岸で一番になったトーマス車リーダー。


トップになりたかったプロトスチームのケッペン中尉は突飛なアイデアを生み出した


1908年開催のニューヨーク~パリ間超々長距離自動車レースで、シカゴ経由で、イリノイ州とアイオワ州を通過し、そして6つ目のチェックポイントとなるネブラスカ州のオマハにトップで入ったのはトーマスチームであり、これを100キロ後方で必死に追っかけているのがド・ディオンチームであった。
その50キロ後方をツーストチームが走っていたが、プロトスチームに至っては乗務員のトラブルが後を絶たず700キロ後方でもたもたしていた。


プロトスチームのケッペン隊長は、これだけトップに離されて、ようやくチーム編成に間違いがあったことに気がついた。
そこで、アメリカ人のマークを解任する腹を決め、シカゴで英語が話せるドイツ系メカニックを新たに採用することにした。
それと同時に、自分の軍隊調の業務指示のあり方を反省して、単純な命令口調はしないように気をつけることにした。

このケッペンの決断は、大きなものを生み出した。
新しいメカニックが乗るようになってから、チーム員同士のトラブルは皆無となり、コミュニケーションはスムースに運び、コースミスは絶滅した。
この結果、トラックをベースとするプロトスが本来持っている性能がフルに発揮されるようになり、ツーストチームを激しく追い上げ、シャイアンに到着した時点で、3位との距離差は200キロ近くまで短くなってきた。

これからいよいよロッキー山脈の峠越えである。
北アメリカ大陸の最後の山場に来たことを強く認識したケッペン隊長は、この難所をどのようにして越えるかに智恵を絞るつもりで、シャイアンの町で道路事情に詳しい人の意見を聞くことにした。
既に先行している3台のうち、トップを行くトーマスチームは2週間前に鉄道線路の枕木上を走行して出発したという。
2位のド・ディオンチームは8日前に、3位のツーストチームは3日前に、通常の道路走行で峠越えに向かったという。
トーマスチームがオグデンに到着したとの知らせは、既に当地に届いていたが、後の2台は無事にオグデンに到着したかどうかの連絡はまだ来ていないという。

ここは勝負時だと判断したケッペンは、思いもつかないことを考えた。
それは、自動車を鉄道貨車に載せて運ぶというアイデアであるが、ルール違反であることをケッペンは知っていた。
場合によったら、失格になるかもしれないと思った。
それはわかっていたが、何が何でも祖国のドイツに入る時にはトップでいたい。
そのためには、リスクがあることはわかっているが、これしか手段がないと思い込むようになり、直ぐに鉄道会社に話をつけて、シャイアン駅から連結した貨車にクルマと人を乗せたのである。

いちばん簡単なロッキー山脈越えを実行に移したプロトスチームがオグデンに到着したのは、3位のツーストチームは当然として、2位のド・ディオンチームより早かった。

オグデンに到着したプロトスチームのケッペン隊長は、前を走るトーマスチームを追い抜くことに自信を持つようになっていた。
そのためには、クルマの整備と修理が重要であるので、ユニオン・パシフィック鉄道の工場を利用させてもらい、車両を徹底的に点検して、問題がある所は完全に修復することにした。



2位を必死に追い上げる3位のツーストは、暴走し氷が張った貯水池に突っ込んだ


96話イタリア代表ツースト1908
←イタリア代表のツースト車







トーマスチームとド・ディオンチームに続く3位でシャイアンを出発し、雪のロッキー山脈峠越えに挑戦することになったツーストチームは、2位のド・ディオンチームを追い抜くつもりで、無理な走行を続けているうちに、近道のつもりで通った道がずれて、運悪く凍結している貯水池の氷上に乗り上げてしまった。
ここから早く脱出しなければと焦ってアクセルを吹かしたら、車輪はすべるばかりで前進せず、氷上を回転しながら、日当たりが良くて氷が薄い所に行ってしまった。

危ないと思った瞬間、クルマの下の氷にひびが入った。
急いで動かそうとしたが自由に動かないので、乗員がクルマから飛び出した直後にバリバリと大きな音がして氷が割れて、クルマは冷たい水の中に沈没してしまった。
水深は1メートル位なので、完全水没は免れたがツーストチームにとっては一大事の発生となった。
チームメンバーは一体となって引き揚げようと努めたが、泥にはまってしまったクルマはびくとも動かなかった。

こうなったら、頭数が必要になる。この辺で頭数が揃うのは、ユニオン・パシフィック鉄道だけとのことで、鉄道会社に救援を依頼したら、なんと鉄道作業員が75人も集まってくれ、力を合わせてクルマを貯水池から引き揚げてくれた。

この後は、水にぬれた自動車部品をていねいに清掃して、完全に乾くまで待つことになった。
これで時間を取られ、2位のド・ディオンチームを追い抜くつもりであったのが当て外れとなった。

この後、ツーストチームはサンフランシスコまでの完走を決して諦めることなく、ロッキー山脈の峠越えの山道を上ることになったが、雪道に足を取られ、遅々として進まない難行苦行の前進が続いた。

ついに峠の頂上にたどり着いたが、ここからは下りとなり、ちょっと油断すると雪の上を車輪が滑って、そのまま谷底に墜落する危険と直面し、死と隣り合わせになりながら少しずつ前に進んだ。

夜になると走れないので、野営をすることになるが、エンジンを止めるとクルマも人も凍り付いてしまうので、一晩中エンジン音だけが山間ににぶく響いた。

朝日が上り、道路上の氷が太陽のエネルギーによって柔らかくなるまで待たなくてはならなかった。
太陽が輝く日は前進できるが、雲が出て太陽がさえぎられると、その場所に止まらざるを得なくなる。
このような時間が経過すると、あれだけたくさん積んできたつもりのガソリン在庫がだんだん減ってきた。
半分以下になると不安が頭をもたげてきて、70%を消費してしまうと、さらに心配が加算された。
このまま曇り日が続くと、やばいことになるかもしれないと考えた時に、晴天になって順調な走行ができるようになってきた。

ツーストチームが峠を下りきって、オグデンにたどり着いた時には、ガソリンは8リッターしか残っていなかった。

トーマスチームがオグデンに到着したのは3月15日であった。
鉄道貨車に自動車を載せて最短時間で峠越えをしたプロトスチームは、トーマスチームに3日遅れでオグデンに到着したが、この事実はすぐに新聞で報道され、たちまち非難の渦が巻き起こった。

(金曜日の〔96話:後編〕に続く)


95話.ロッキー山脈越えの苦闘〔後編〕

《 主な登場人物 》
■リー・マシューソン:1885年頃の生まれ。トーマスチームに加わったアメリカ人青年。
■ジョージ・シュスター:1880年頃の生まれ。トーマスチームの新リーダー。


G.シュスターは壊れた部品を求めて、ゴールドフィールドに向かって歩き始めた


シャイアンから運転をして、真冬のロッキー山脈超えに地元ならではの知恵を出してくれたマシューソン青年に、この地で別れを告げることになり、オグデンからサンフランシスコまでの運転を担当するのは、トーマス社のサンフランシスコ地区販売代理店で営業をやっている若者となった。

それまではサンフランシスコに向かって真西に直線的に進んでいたが、オグデンの真西には砂漠が横たわっている。
そこで、サンフランシスコに向かうには北西のアイダホ州方向に進む道と南西のネバダ州方向に進む道の2つがあるが、トーマス・フライヤーのハンドルを握る若者は、少し大回りになるが自分が道をよく知っているネバダ州経路を迷うことなく選んだ。

オグデンを出発してから天候はおおむね良好で、雪になることはなかったし、雨にあたることもなかったが、ネバダ州に入ってコーブルという所に近づくと猛烈な砂嵐が襲ってきた。
こういう時にエンジンを動かすと、砂を含んだ空気を吸入してしまう。
そうなると、エンジンが壊れてしまうので、砂嵐が吹き荒れている間は、クルマを動かさないで全員が車中で身体を寄せ合って、静かに砂嵐が収まるのを待つことにした。

ようやく吹き荒れた砂嵐も収まり、再び前進したトーマスチームを幅3メートルほどの川が待ち受けていた。
この道はゴールドラッシュの時には、目をぎらぎらさせた強欲な人々の馬車が数多く横断した所である。
馬車の車輪は大きいので、このくらいの浅瀬なら難なく渡ることができるが、自動車の車輪は馬車より小さい。
それに馬は水の中でも力を発揮するが、ガソリンエンジンは水に弱いので、人力に頼る渡河作業は難航することが予想された。
クルマが通れそうな浅瀬を探すことから始め、水浸しになりながら急流の中でクルマを渡す作業をしている間に、突っかい棒がドライブシャフトのピニオン歯車とトランスミッションを壊してしまった。
何とか川を渡すことができたが、クルマは走れなくなっていた。

レースを諦めるのか。
それとも、解決策を見いだすのか。
リーダーのジョージ・シュスターは思案に暮れたが、ここまでたどり着き、当面の目的地であるサンフランシスコももうすぐである。
とても諦めることはできないので、唯一の解決策である交換部品を入手する方策を考えることにした。

部品を在庫している可能性があるとしたら、バッファローの工場か、主要都市にあるトーマス社の販売代理店である。
ここにいちばん近い代理店はどこかと調べてみると、ネバダ州で唯一の代理店が、ここから150キロ先のゴールドフィールドという所にあることがわかった。

そこに行けば交換部品があるかもしれない。
ここからどのようにしてゴールドフィールドまで行くのか。
そこになかったらバッファローから取り寄せるしか方法がないが、それでは時間がかかりすぎる。
いくら考えても不安は消えることはない。
行動しかないと決断したシュスターは、とりあえず人家のある所まで行こうと決断し、クルマを後にして歩き始めたのである。



途中で親切な農家の若夫婦に出会ったG.シュスターは食事をご馳走してもらった


モンティ・ロバーツが去った後、トーマスチームのリーダーとなっていたジョージ・シュスターは、壊れてしまった部品を求めて炎天下、ひとりで歩き始めた。
クルマを離れて5時間は歩いただろうか。
とっくに周りは夕闇になっていたが、とうとう一軒の農家から漏れるかすかな明かりを見つけだすことができた。

「こんばんは、突然失礼をします。怪しいものではありません。お願いがあってここに来ました」と入り口から声をかけた。

「何者だ」と緊張した男の声が返ってきた。

シュスターは戸口の前で、これまでの経緯とここに立っている理由を説明した。そうしたら、扉が開いて顔中ヒゲだらけの青年がそこに立っていた。
「あなたたちのことは、1週間前にトノパーの町で聞きました。町の有力者の皆さんはトップで到着するアメリカチームを大歓迎しようと準備をしていましたよ」

「そうですか。たいへん残念ですが、私たちのクルマは川を渡るのに壊れてしまって動けなくなり、交換部品を探しに町へ行く途中なのです」

この若者の新妻が、シュスターに声をかけた。
「それは大変ですね。ところで、おなかがすいているのじゃありませんか。たいしたものはありませんが、おなかの足しになるものならありますので、食べていってください」

「奥さん。本当に有難うございます。お言葉に甘えさせていただきます。食事をいただいたら、町まで行きたいのですが」

「こんな夜中に行くのですか」

「チームメンバーは私の帰還を今か今かと待っているので、私だけが休息を取るわけには行きません」
「どうしてもというなら、私が案内しましょう」と、若者がきっぱりと言った。


開拓農家の若者とシュスターは、馬に乗ってトノパーに向かうことになった。
月明かりだけを頼りにだだっ広い荒野を、若者の案内で馬を走らせたら、数時問もすると人も馬も疲れ果ててしまった。
ひと休みしていると、向こうから数台の自動車がこちらに向かって走って来るのがわかった。

自動車の前に立ちはだかったシュスターに気が付いて一行が止まった。
なんとそれらに乗っている人びとは、アメリカチームの到着があまりに遅いので、何かあったに違いないと編成されたトノパーからの救援隊であった。

事情を聞いた救援隊は、シュスターと一緒に町へ引き返すことになったが、ここまで案内をしてくれた親切な若者に、心からの感謝の言葉を伝えるのをシュスターは忘れなかった。

救援隊の案内でトノパーに到着した時には、朝日がさんさんと輝く時間になっていた。
アメリカチームが動けなくなっているという話は、たちまちトノパーに住む全員に伝わることになった。

この町で唯ひとりのドクターとして街の人から尊敬を受けている人物もアメリカチームがクルマの部品を探しているという話を聞いて、ある種の決意を心に秘めて、シュスターの所に現れた。
そして、自分が買ったばかりの〈トーマス・フライヤー/60HP〉を解体して部品を使ってくださいと申し出たのである。
これを聞いたシュスターは涙が止まらなくなった。

「昨夜の農家といい、今日のドクターといい、どうしてこんなに親切な人ばかりがいるのだろう」と、自分たちの幸運を神様に感謝するのである。

シュスターは、昨夜一休みした時に一瞬まどろんだだけで睡眠をとっていなかったが、今はそれどころではない。
さっそくドクターの新車解体作業が始まった。
トノパーの人々の協力もあって、ドライブシャフトのピニオン歯車とトランスミッションを取り出すことができた。
とりあえずこの部品があれば、クルマは動くはずである。
昨夜の救援隊が再度編成され、すぐに川まで引き返すことにした。


河原で待っていたハンセンと運転手は不安な一夜を過ごし、朝を迎えた。
いったいいつになったらシュスターは部品を携えて戻ってくるのか心配しているうちに時間は流れ、その日が暮れ夜の帳が静かに落ちてきたその時に、向こうから自動車の音が聞こえてきた。

そしてシュスターの笑顔を見た瞬間、部品を入手したに違いないと確信を持つのである。
この夜の暗闇では作業ができないので、救援隊に感謝の言葉を述べ、近日中の再会を約束して、その夜は休むことにした。



多くの人々の支援によって、トーマスチームは再びゴールに向かって走り始めた


翌日早朝から、メカニックでありリーダーでもあるジョージ・シュスターが中心になって、ドライブシャフトのピニオン歯車とトランスミッション部品交換作業が始まった。
ドクターから入手した部品は新品同様であり、試運転をしてみたところクルマはスムースに動くようになっていた。

2日間の足止めを食ったこの地に別れを告げ、トノパーの方向に進むことになったが、途中でお世話になった開拓農家の若夫婦にお礼を言うために立ち寄ることにした。

トノパーに到着後は、最初にドクターを訪問した。ドクターは、「壊れて交換した部品だけでなく、使えそうな部品があったら遠慮なく持っていってください」と言ってくれた。
この言葉に勇気付けられたシュスターは、この地で総点検を行い、交換できるものはすべて付け換えることにした。
これで、ここまで長丁場を走破してきたトーマス・フライヤーのメカニズムは見違えるようにリフレッシュされ、再び元気が戻ってきた。


次の目的地であるゴールドフィールドまで快調なドライブが続き、この日の夕方に到着した。
最初にトーマス社の販売代理店を訪れ、トーマス車の部品在庫をチェックしたら、ピニオン歯車もギヤボックスも在庫していなかった。
この事実を知ったシュスターはぞっとした。
もしトノパーのドクターが自車を提供してくれなかったら、バッファロー工場から送ってもらわないと入手できなかったことになり、レース復帰は不可能であった。

ここではもうひとつ仕事があった。
ニューヨークのウィリー・ハウプト社長に電報を打つ仕事である。
ゴールドフィールドまでの行程の報告をすると同時に、部品供給のためにトノパーのドクターから新車1台の提供を受けてレースが継続できている事実を伝え、感謝の言葉と同時に、トーマス・フライヤーの新車をできるだけ速やかに、ドクターに届けるように依頼することであった。

この街で休憩するわけにはいかない。
仕事を終えると、夜を徹して走ることにした。
こうしてネバダ州境を越えて、ついにカリフオルニア州に入ることになった。

山ひとつ越えると、快適な道路となりトーマス・フライヤーはスピードをあげて、ベーカーズフィールドへ向かった。
この日の走行距離は615キロであり、ニューヨークを出発して以降では、1日当りの走行距離として最高を記録したのである。

(〔95話〕はここまでで、〔96話〕は来週の火曜日に掲載。)


95話.ロッキー山脈越えの苦闘〔前編〕

《 主な登場人物 》
■リー・マシューソン:1885年頃の生まれ。トーマスチームに加わったアメリカ人青年。
■ジョージ・シュスター:1880年頃の生まれ。トーマスチームの新リーダー。


トップを行くトーマスチームは、許可証を取り付けて鉄道線路の枕木の上を走った


1908年の厳冬のニューヨークを出発して北アメリカ大陸を横断した後にアラスカの氷上を渡り、ユーラシア大陸に上陸してシベリア平原を走りぬけてパリまで走行する超々長距離自動車レースに参戦したチームは、ネブラスカ州のオマハを離れることになった。

トップを走るアメリカ合衆国代表のモンティ・ロバーツ率いるトーマスチームは、3月8日に、ワイオミング州のシャイアンに到着したが、ここまでの無理がたたってチェーンと歯車のかみ合わせが悪くなっていた。
この地で、本格的な修理が必要となったので、その仕事はメカニック役のジョージ・シュスターに任せて、他のメンバーは修理が終わるまで、しばしの休憩を取ることにした。

ここでチームメンバーの交代があった。シカゴで開催される自動車レースに出場するためにモンティ・ロバーツが、メンバーから外れることになったので、代わりにジョージ・シュスターが新しいリーダーに任命された。


Schuster,George第二巻095話
〈アメリカチームの新リーダー:ジョージ・シュスター〉





修理が終わったトーマスチームはサンフランシスコに向かって出発することになったが、ハンドルを握るのはE.R.トーマス社のデンバー地区販売代理店に勤めるリー・マシューソンという若者である。

最初は不安に思われたドライバー交代であったが、マシューソンは地元出身であり、この辺りの地理に精通している上に、降雪の季節にクルマでロッキー山脈越えをする困難さが痛いほどわかっているだけに、トーマスチームにとってはこの交代はプラスに働くことになった。


いよいよ新しいジョージ・シュスターを中心としたトーマスチームが動き出し、これからロッキー山脈超えだという時に、雪が降ってきた。
またたく間に景色は真っ白になっていった。
このままではとても山道は通れない。
何か解決方法がないかと思案したところ、何度も除雪が行われているユニオン・パシフィック鉄道の線路上に雪がないことに、マシューソンは気がついた。
そこで、鉄道線路の枕木の上を走ろうという、地元の人間ならではの妙案を思い付いたのである。

この案を実行するためには鉄道会社の許可が必要になるが、幸いにして鉄道会社にマシューソンの友人がいるとのことで、さっそく電報を打って協力要請をしたところ、友人が幹部に掛け合って通行許可を取ってくれると約束してくれた。

雪はどんどん降り続いていた。
時間の経過とともに線路にも積もり始めていた。
早くスタートしないと積もってしまうと焦りながら通行許可の電報が到着するのを待っていたトーマスチームに朗報が届いたのは、それから2時間後であった。

この知らせでは、次のチェックポイントがあるユタ州オグデンの50キロ手前のエバンストンまでの72キロの線路上を4時間だけ走ることができる許可証を入手することができたという。
4時間には、急行列車が通過する前に必ずクルマを線路から離すという意味が含まれていた。

こうしてトーマス・フライヤーは枕木の上をゴトゴトと前進することになった。
あまりの振動のひどさで右前輪のタイヤがやられてパンクした。
パンク修理をして、再びゴトゴトと進むが、スピードを上げることができない。
持ち時間の4時間は刻々と過ぎて行く。

速く走らなくてはとスピードを上げた瞬間、今度は後輪のタイヤがパンクした。
タイヤ交換に時間をとられているうちに、タイムリミットの4時間をオーバーしてしまい、メンバーの緊張が高まってきた。

なにやら後ろで音が聞こえるので振り返ってみると、はるか後方の山あいを列車が白煙を上げながら走っているのがわかった。
このまま線路内にいると列車に追突されて破壊されてしまう。
クルマを避難させなければと焦りながら前進させるが、このあたりは千尋の谷沿いで線路のスペースしか余裕がない。

後方の列車がどんどん近づいているのがわかるようになった。
早くこのクルマを線路から除けないと大変なことになる。
どこか空き地はないかと走り続けていたら、前方に資材置き場跡地が見えてきた。
ここならクルマを置くスペースがある。
すぐに移動しようとハンドルを切ったが、レールの段差が越えられない。
段差を埋めるものはないかと探すが、普段では何でもないことでも、後ろから迫りくる列車が気になって、作業が進まない。
列車の轟音がだんだん近くなる。
もう距離は500メートルもない。
早くやらなければと気ばかりが焦る。

ようやく車輪はレールを乗り越えることができたと思った瞬間、汗まみれのトーマスチームの横を、サンフランシスコ行きの急行列車が轟音と共に疾走していった。



ロッキー山脈最後の難関を鉄道トンネルで通過したトーマスチームは独走を続けた


これで助かったと一息ついたチームメンバーに、次なる難関が待ち受けていた。
とりあえず線路脇に避難したが、これから先は線路以外には道がない。
再度許可証をとるにも既に夜に入っていて、鉄道会社の執務時間はとうに過ぎているし、連絡も取りようがない。

困り果てたメンバーであるが、マシューソンはまたしても地元の人間しか生まれない知恵を出した。
この単線の線路を走る列車は1日に4本だという。
先ほどの列車の後は6時間後に今度はシャイアン方面への列車が通過する。
このまま線路上をオグデン方面に走っても、少なくとも4時間以内であれば列車に遭遇することは決してないとマシューソンが言った。
この事実がわかったメンバーは安心し、再び線路内に乗り入れることにした。

3度目となる再開で、線路上をゴトゴトと走り出して、しばらく行くと前方にトンネルが見えてきた。
既に夜半に入っていて辺りは真っ暗である。
暗闇の中でトンネルが不気味に、大きな口を開けて一行を待ち受けていた。

ここでもマシューソンの知識が役立った。
トンネルの長さが1.6キロに過ぎないことを知っていたのである。
それなら、時速16キロで走れば6分で通過できるはずである。
一行は勇気を振り絞って、暗黒のトンネルに突入することにした。
トンネル内部は照明が一切なく、地獄もかくありなんという暗さで、自分たちのゴトゴト走る音以外は何も聞こえなかった。

そこに突然、プシューと音がしたと思ったらクルマが動かなくなってしまった。
今度は左前輪がパンクした。
このまま走るわけにもいかないので、すぐに修理作業を始めることにしたが、暗闇でしかも無音のトンネル内での作業は、本当に頼りないものであった。

線路走行して以降3回目のパンク修理で、積んでいたスペアタイヤは全部使い切ってしまい、4本目のタイヤがパンクすることになったら万事窮すとなる。
修理を終えたクルマは、決してパンクしないようにと、ゆっくりゆっくり走行を進めた。
今か今かと出口を待ちわびている一行はやがてゆるやかな風の流れを感じるようになり、出口が近いことを実感することになった。
トーマス・フライヤーが、トンネルを抜けたのは、入り口に突入してから実に3時間半後のことであり、一行がエバンストンに着いたのは午前2時を回っていた。

積雪の峠道を通らずにすんだので、確かに時間はセーブできたかもしれなかったが、その分だけクルマの損傷はひどかった。
エバンストンで修理をしたかったが、ここには修理ができる設備がなかったので、次のチェックポイントとなっているオグデンまでは、だましだまし走らせるしか手がなかった。

トーマスチームは3月15日に、ユタ州オクデンにたどり着き、ここで本格的な修理をすることになった。
他のチームが今どこを走っているのかが気になったが、ここで入手できた情報は、自分たちがロッキー山脈超えに挑戦する前に知っていることと何ら変わらなかった。

(金曜日の〔95話:後編〕に続く)