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第三巻 大量生産の始まり 序章

序章 自動車産業の興隆              


『クルマの歴史300話』の原点を探っていくと、イギリスで蒸気機関を発明して産業革命の担い手となったジェームス・ワットにぶち当たる。
ワット自身は効率の良い動力をつくることに熱情を燃やしたが、これを使った乗り物の開発に興味を示すことはなかった。

ワット以降、蒸気機関を使って乗り物を開発しようと挑戦を始めた男たちがたくさん出現することになったが、リチャード・トレヴィシックはそのひとりである。
トレヴィシックは試行錯誤の上、道の上を走る蒸気自動車を開発したが、道路事情が悪くうまく走れなかった。
そこで、イギリス各地の鉱山でトロッコ用として使われていたスチールレールに着目し、レール上を走る蒸気機関車の製作に熱中した。

トレヴィシックの挑戦を受け継いだのがイギリス人ジョージ・スティーブンソンであり、鉄道を構成する諸要素を組み合わせて鉄道システムをつくりあげ、1825年にストックトン~ダーリントン間21キロの鉄道を完成させた。
この鉄道は、人を乗せることを目的にしたものではなかったが、最初の鉄道となった。
次いで、旅客鉄道として初のマンチェスター~リバプール鉄道が1830年に完成して以降、人々の鉄道に対する期待は一気に爆発し、凄まじい勢いで鉄道網が広まるのである。


19世紀の後半が近づいてくると、レールの上を走る鉄道とは別に、道路を走ることができる乗り物づくりに取り組む技術者が多くなってきた。
最初は蒸気自動車の完成度を高めることに関心が集まり、イギリスとフランスで実用化研究が進んで、大型の蒸気自動車ばかりでなく、実用的な小型車の開発も進んだ。
この時代の蒸気自動車製作者の代表がボレー親子、並びにアルベール・ド・ディオン伯爵とジョルジュ・ブートンのコンビである。

蒸気自動車が発展する一方で、蒸気機関に代わる小型動力源の発明に取り組む技術者も増えてきた。

現代の自動車用動力の中心をなす4ストロークサイクルの内燃機関を考案し、これを商品化したのはドイツ人のニコラス・オットーが最初であった。
研究熱心なオットーは若くして内燃機関に関心を持ち、フランス人のボー・ド・ロシャが発表した4ストロークサイクル理論に刺激を受け、実用化研究を進めることになった。

ここで、ニコラス・オットーより2歳若いゴットリープ・ダイムラーという技術者がオットーの会社に入って協力することになり、1876年にオットーエンジンと名付けられた4ストローク・エンジンが完成した。
オットーと意見が合わず衝突することが多くなったゴットリープ・ダイムラーはこの会社を去り、自分の作業所を設けて独自にガソリンエンジンの開発に着手した。
ここでダイムラーの助手となったのが、孤児のウィリヘルム・マイバッハであり、2人の協力体制の中で、1885年に世界で最初となるガソリンエンジンで動くオートバイが完成し、その後、4輪のガソリンエンジン自動車に取り組みを始めた。


後に自動車のパイオニアとしてゴットリープ・ダイムラーと並び称される人物となるドイツ人カール・ベンツも、内燃機関の研究に励んでいた。
ニコラス・オットーが4ストロークエンジンのパテントを取ったことを知り、特許に触れない2ストロークエンジンの研究に打ち込んで、1879年には実用機をつくることに成功した。
1884年にオットーの特許が切れると、4ストロークエンジンの研究に没頭して、これを完成させた。
カール・ベンツが偉いのは、このエンジンを乗り物の動力用に考えた点で、ガソリンエンジンで動く3輪自動車の開発に熱中して、1886年春に1号車を完成させたが、この3輪自動車こそ“世界最初のガソリンエンジン車”という栄誉を担うことになった。



20世紀がスタートする直前のヨーロッパでは、蒸気自動車とガソリンエンジン車だけでなく、電気自動車も黎明期を迎えていて、三つ巴の生き残り競争が始まることになった。

この競争をリードしたのは、現代人から考えると意外なことに電気自動車であった。
蓄電池のエネルギーを使って電気モーターで車輪を回す電気自動車は、静かで快適なドライブを楽しむことができ、道路舗装が行き届いている大都市の人々に愛用されるようになったが、蓄電池の容量が少なく長距離走行はできないという問題点を抱えていた。

ドイツで始まったガソリンエンジン車産業であるが、可能性を信じて改良に努め完成度を高めたのは、蒸気自動車から転向したド・ディオン伯爵とジョルジュ・ブートンのコンビ、ルネ・パナールとエミール・ルバッソールのコンビ、アルマン・プジョーというフランス人たちであり、ドイツとフランスが世界の自動車産業のリーダーになってきた。


産業革命の旗手として世界一の工業国をつくりあげたイギリスは、蒸気自動車で先行したが、あまりの騒音のひどさに耐えかねて、1865年に公布された赤旗法の制約によって、ガソリンエンジン車の開発では大きく遅れた。
イギリスでは、19世紀末になって独自技術を開発したランチェスター兄弟、ドイツ技術を導入したデイムラー社などによって、ガソリンエンジン車ビジネスがスタートを切ることができた。

イギリス、フランス、ドイツの3国に産業革命で遅れをとったイタリアは、19世紀後半に入ってから工業化を急ぐことになり、1899年には工業都市トリノの実業家たちが資金を出し合ってガソリンエンジン車ビジネスを起こすためにフィアット社を設立して、先行するドイツとフランスの追撃を始めた。


1776年に独立し新興国家として元気いっぱいのアメリカ合衆国においても、自動車産業が勃興してきたが、ここでも蒸気自動車、電気自動車、ガソリンエンジン車の間で厳しい競争が繰り広げられた。
この中でガソリンエンジン車を開発して注目を集めたのはデュリエ兄弟であり、アメリカにおけるガソリンエンジン車第1号としての栄誉を獲得した。

その後、ガソリンエンジン車ではオールズモビル社が、蒸気自動車ではスタンレー社が成功を収めることになったが、アメリカの自動車産業人として特筆すべきはヘンリー・フォードである。
根っからの自動車人であるフォードは、試行錯誤を重ねながら自動車業界における自己の確立に努め、自動車メーカーを創業した。

フォードブランドに続いて、高級車で有名となるキャデラックや、ゼネラルモーターズ(GM)社の中核ブランドとしてビュイックが誕生するなど、アメリカ合衆国では新興自動車メーカーの設立が相次ぐことになった。


ヨーロッパに戻ると、20世紀に入る頃には、蒸気自動車、電気自動車、ガソリンエンジン車の三つ巴の競争は、ガソリンエンジン車の勝利で決着がついてきた。

ガソリンエンジン車で先行するドイツでは、自転車メーカーからガソリンエンジン車への進出を果したオペル社が小型車で自分たちの存在基盤を形成しようと努めていた。
またダイムラー社は、ブランド名をメルセデスに変更するという思い切った対策を打ち出し高性能車としてのブランドを確立しつつあった。

フランスではルイ・ルノーという青年技術者が生み出す自動車に注目が集まるようになっていた。

20世紀に入ると、ガソリンエンジン技術で先行するドイツとフランスをイギリスが激しく追い上げてきた。
世界最高級車の栄光に輝くことになるロールス・ロイスが誕生し、ローヴァーやオースチンが続いて、産業革命の盟主としての地位を維持すべく必死の努力が継続されたのである。


自動車が誕生してから1908年までに誕生した主たる自動車ブランドの一覧表を作成してみた。
ここに登場している21のカーブランドは、それまでに市場に登場した数多くのブランドのほんの一部に過ぎないが、主要21ブランドのうち現代も販売が続けられているブランドは13だけである。

現在、地球上で自動車産業の中で大きなウェイトを占めている日本車、韓国車、中国車は、ここまでではひとつも登場していない。

また、この3国以外で、現在数多くの自動車を販売しているブランドの中では、ドイツのBMW、アウディ、フォルクスワーゲン、ポルシェ。
フランスのシトロエン。
イタリアのアルファ・ロメオ、ランチア、フェラーリ。
アメリカのシボレー、ダッジ、リンカーン、クライスラーなどもここまでには登場していない。
これらのブランドに関しては、本書及び『第四巻』以降に、大きなスペースを割いて記述することになっている。

《 1908年までに誕生した主要な自動車ブランド 》

 (*Sは蒸気自動車、Gはガソリンエンジン車を表す。)
 ❖フランス:ボレー 1873~、S→G
 ❖フランス:ド・ディオン・ブートン 1883~、S→G
 ❖ド イ ツ:ベンツ 1885~、G
 ❖ド イ ツ:ダイムラー 1889~、G
 ❖フランス:パナール&ルヴァソール  1889~、G
 ❖フランス:プジョー 1889~、S→G
 ❖アメリカ:デュリエ 1893~、G
 ❖イギリス:ランチェスター 1895~、G
 ❖イギリス:デイムラー 1896~、G
 ❖アメリカ:オールズモビル 1896~、G
 ❖アメリカ:スタンレー 1897~、S
 ❖ド イ ツ:オペル 1898~、G
 ❖フランス:ルノー 1898~、G
 ❖イタリア:フィアット 1899~、G
 ❖ド イ ツ:メルセデス 1901~、G
 ❖アメリカ:フォード 1901~、G
 ❖アメリカ:キャデラック 1902~、G
 ❖アメリカ:ビュイック 1903~、G
 ❖イギリス:ロールス・ロイス 1904~、G
 ❖イギリス:ローヴァー 1904~、G
 ❖イギリス:オースチン 1905~、G

(「クルマの歴史300話」 第三巻 序章は、ここまで)



クルマの歴史300話 第三巻 大量生産の始まり

ブログ「クルマの歴史300」は2018年4月にスタートを切り、1週1話の構成となっていて、毎週火曜日に〔前編〕を金曜日に〔後編〕を掲載しています。
第一巻となる「自動車の誕生」の1話から50話までは、2019年3月末に掲載が終了し、同年4月より第二巻となる「自動車産業の興隆」が51話から始まり、本年3月20日に100話の掲載が終了しました。
ブログ「クルマの歴史300」はこれで完結したのではなく、ブログタイトルが示すように“300話”で完結すべく準備を整えています。
ブログ更新は従前どおり、毎週火曜日に新しいストーリーが始まり、金曜日に終了するスタイルを継続しますので、引き続きましてのご愛読をよろしくお願いいたします。


「第三巻 大量生産の始まり」の案内   


『クルマの歴史300話 第一巻 自動車の誕生』と『クルマの歴史300話 第二巻 自動車産業の興隆』を読んだ方々から、「おもしろい」「勉強になった」という声が寄せられ、多くの人々に受け入れられていることを知って、これまで苦労を重ねて著作を進めてきた筆者は満足に包まれている。

いろいろな反響と同時に、熱心な読者からたくさんの質問が寄せられているが、かなりの部分は共通するので、この紙面を借りて回答することにしよう。


「これだけの大作の著作をするのに、どのくらいの時間がかかっているか」という質問が実に多かった。

『第一巻』の“はじめに”で、この点に触れているが、筆者が本格的に『クルマの歴史300話』の著作に取り組みを開始したのは、ある大学が社会人を対象としたマーケティング講座の講師依頼を受けた2000年の正月過ぎからであるから、本日までに既に20年という長い歳月が流れている。
実は、それに先立つ4~5年前からひまを見つけては自動車の発展史を書き綴っていたので、『第三巻』ができ上がるまでには、相当の時間がかかっている。

これからも『クルマの歴史300話』は続くので、筆者のライフワークとなることは間違いないが、いつまで続くかはまったく見当がついていない。


次に多いのは、「これだけ豊富な内容を記すために、いったいどのくらいの文献を参考にしたのか。その中で、最も参考になったのはどんな書籍であったか」という質問である。

筆者が参考にした内外の文献は数え切れない。
これらをよく見ると、時代背景と自動車を取り巻く環境が変化しているので、『第一巻』『第二巻』『第三巻』の各々で参考にした文献はまったく異なっている。
したがって、いちばん参考になったという書籍があるわけではなく、数多くの文献を参考にさせていただいた。


イラストに関する質問も読者から数多く寄せられている。
その中で、「登場する人物像の原画はどんなもので、それをどのようにして描いたのか」という質問が多かった。

筆者は、『クルマの歴史300話』を著作するのに、写真またはイラストというビジュアル表現は欠かせないと考えていたが、やり方に関しては試行錯誤が繰り返された。
最初は写真を使うつもりであったが、版権の問題がある上に、全体の統一感を得ることが難しいと判断して取りやめた。

その次に、イラストで登場人物の肖像を描くことにした。
プロのイラストレーターにお願いすることを考えないわけではなかったが、いっそのこと自分で描こうと思い立って、筆者がオリジナルマテリアルをベースに登場人物のイラストを描き始めた。
これらの作業時間は膨大な時間を必要としたが、途中で投げ出すわけにはゆかないので、辛抱強く描くことを続けて完成を見たのである。



さて、これから『クルマの歴史300話 第三巻 大量生産の始まり』の案内をすることになるが、その前に『第一巻』と『第二巻』の内容を振り返ってみよう。


『クルマの歴史物語 第一巻 自動車の誕生』の舞台はヨーロッパ大陸で、記述の対象となる期間は、ジェームス・ワットの蒸気機関発明によって、イギリスで産業革命が始まり、フランスとドイツに広がってゆく19世紀末までの期間であった。
第一巻では産業革命がもたらしたものとして蒸気船、蒸気機関車、鉄道システムの普及ぶりが語られている。
本書のテーマである自動車に関して、ニコラス・オットーが開発した4ストロークサイクルの内燃機関を基点として、1886年に世界で最初となるガソリンエンジンを搭載したゴットリープ・ダイムラーのオートバイ、1886年春に完成したカール・ベンツの3輪車など、ドイツで始まった自動車技術がヨーロッパ各国へと広がっていくようすを記述した。


『クルマの歴史300話 第二巻 自動車産業の興隆』では、アメリカ合衆国が新たに舞台に加わり、主たる記述対象期間は1901年から1908年までの8年間であった。

『第二巻』では、基本構造が確立した自動車技術は性能アップを続け、〈メルセデス/ジンプレックス〉や〈ロールス・ロイス/シルバーゴースト〉といった完成度の高いクルマが姿を現すようすなど、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアというヨーロッパ勢に、アメリカ合衆国を加えた5カ国を中心として、自動車産業が興隆する話が記述されている。


これから始まる『クルマの歴史300話 第三巻 大量生産の始まり』の舞台は、『第二巻』に引き続いてヨーロッパ大陸とアメリカ合衆国であり、記述対象期間は主として1909年から1918年までの10年間であるが、このうち1914年から1918年までの5年間は、ヨーロッパ大陸で勃発した世界大戦という悲惨な戦争が繰り広げられた期間である。

『第三巻』は、《三のⅠ章 フォード車の大量生産》、《三のⅡ章 アメリカ自動車産業の波動》、《三のⅢ章 多彩なヨーロッパ車》、《三のⅣ章 華麗なる自動車レース》、《三のⅤ章 世界大戦の始まり》、《三のⅥ章 元気なアメリカ車》、《三のⅦ章 悲劇の世界大戦》という7章構成であり、全体では50のストーリーが語られているので、『第一巻』からの通算では101話から150話になる。


それでは、簡単に各章の内容を紹介しよう。

《三のⅠ章 フォード車の大量生産》は、本書のハイライトともいうべき、ヘンリー・フォードによって開発されたベルトコンベアによる大量生産の仕組みづくりに関する話が中心である。
それまで、徒弟制度による職人の仕事であったモノづくりを、熟練労働者でなくてもできるように、フォード社によってベルトコンベア方式が開発され、大量生産と低コスト化が実現された。
これによってアメリカ人なら少し無理すれば買えるような価格を〈フォード/T型〉が実現して、自動車の需要は急拡大した。
需要増によって更なる大量生産が可能となり、これがコストダウンに直結し、再び売価を安くできるという好循環が形成され、アメリカ合衆国においてモータリゼーションが一気に開花するという内容がⅠ章である。


《三のⅡ章 アメリカ自動車産業の波動》は、1909年から1913年頃までのアメリカ自動車産業の動向について書かれている。
その中でもビリー・デュラントによって創業されたばかりのゼネラルモーターズ(GM)社が、大きな混乱の中でのたうち回るようすがⅡ章の中心テーマである。
それともうひとつ、インディアナポリス500マイルレースなど、アメリカ合衆国での自動車レースの始まりのようすがⅡ章で記されている。


《三のⅢ章 多彩なヨーロッパ車》から舞台はヨーロッパの地に移り、1909年以降のヨーロッパ車の活躍ぶりが記述されている。
この章では、スイス生まれでスペインの地においてイスパノ・スイザ社を創業したエンジニアのマルク・ビルキヒトが開発したDOHCエンジンの高性能ぶりと、イタリアでのランチア社とアルファ・ロメオ社の創業の話が記されている。


続く《三のⅣ章 華麗なる自動車レース》の舞台は、Ⅲ章に引き続いてヨーロッパである。
フランスで最高の人気レースとなったACFグランプリに加えて、1910年頃になると、イタリアのシチリア島でのタルガフローリオ、イギリスでのツーリストトロフィー(TT)レースなど、ヨーロッパ各地で開催される自動車レースの人気はだんだん高まってきた。
これらのレースで活躍するイスパノ・スイザ、プジョー、メルセデス、フィアットらに、新鋭ブガッティやアストン・マーティンが登場するなど、百花繚乱のようすを呈してきたヨーロッパ車の話が、この章で語られる。


Ⅰ章からⅣ章は平和の時代の話であるが、《三のⅤ章 世界大戦の始まり》から、一気に戦時体制へと時代が大きく転換する。
『第三巻』のテーマは、タイトルで示されているとおり、フォード社によって開発された大量生産の仕組みであるが、もうひとつ、1914年に勃発した世界大戦と自動車技術という大きなテーマが存在している。

1914年夏に、〔イギリス+フランス+ロシア〕協商国と〔ドイツ+オーストリアハンガリー〕同盟国との対決という図式の世界大戦が始まった。
戦争は国民の命と国家の存続がかかっているだけに、参戦国は持てる全ての力を勝利に向かって結集する。
1886年にガソリンエンジン車の1号車がドイツで誕生してから20年が経過した自動車のエンジン技術は、航空機用エンジンの分野で急速に発展することになった。
Ⅴ章では、協商国と同盟国が対決する背景となった国際情勢、開戦に至るプロセス、世界大戦の主役に浮上してきた航空機技術の発展ぶりなど、世界大戦の悲惨さと、それと裏腹の関係にある技術の進展ぶりが話の中心である。
この章の最後は、ヨーロッパの地での戦争に対する、ヘンリー・フォードの反戦活動について記されている。


世界大戦が始まると、アメリカ合衆国のウッドロー・ウィルソン大統領は中立路線を保つことにしたので戦争に巻き込まれることなく、両陣営に武器弾薬を供給する役割を果たすことによって、アメリカは一気に世界最大の経済大国に浮上することになった。

1914年の世界大戦勃発から1917年の参戦までの期間のアメリカ自動車産業のようすを綴ったのが、《三のⅥ章 元気なアメリカ車》の内容である。
この章では、部品メーカーのダッジ社がオリジナル車をつくって自動車メーカーへの変身を図ったり、GM社を追放されたビリー・デュラントがシボレーブランドを引っさげて復活を果したり、キャデラックがV8エンジンで大成功したり、新興メーカーのパッカードがV12エンジンで高級車としてのブランドを確立するなど、多彩なアメリカ車が活躍するようすが語られている。


『クルマの歴史300話 第三巻 大量生産の始まり』の最後の章は、《三のⅦ章 悲劇の世界大戦》である。
1914年に始まった世界大戦では、産業革命以降の工業の発展に伴って武器の能力が向上し、大量殺戮兵器が次々と戦場に投入されることになった。
中でも、長期塹壕戦での決着をつけるべくドイツ軍が使用した毒ガス兵器は人間の尊厳を奪うものとして、長く歴史にとどめられるべき最悪の殺戮兵器となった。

海上では巨大戦艦同士が大砲を打ち合い、大空では戦闘機が空中戦を繰り広げ、陸上では馬車に代わって軍用車や戦車が登場するなど、それまで主力としてきた馬を中心とする機動部隊は消え去り、近代兵器同士の凄まじい戦いは、数百万人の兵隊や市民の命を奪い、地球上の貴重な資源を消耗するだけの人類史上で最悪の戦争になったのである。

『第三巻』の最終章であるⅦ章は、アメリカが参戦して以降の世界大戦の戦況を近代兵器の登場、特に軍用機の発展を中心に記述した。
そしてロシアで社会主義革命が発生し、1918年には原因不明のスペイン風邪という伝染病が流行して、ヨーロッパは暗黒大陸の様相になる中で、4年間にわたる戦争が終結を迎えることで『クルマの歴史300話 第三巻 大量生産の始まり』も終わることになる。

蜷田晴彦

「クルマの歴史300話 第三巻 大量生産の始まり」のイントロダクションは、ここまでです。今週の金曜日は第三巻の“序章”を掲載します。


第二巻の序章 自動車の誕生

18世紀後半のイギリスは、手工業から資本主義工業の時代に少しずつ変化を始めた。
そして、地主支配から産業資本家が支配する社会へと歩みを進めるが、これに火をつけ一挙に加速させたのが産業革命であった。


イギリスにおける産業革命は紡績産業から始まった。
1769年にリチャード・アークライトが水力紡績機を開発したが、この機械は工程の連続化、熟練の不要化など、今日の産業において常識となっている考えが導入されていて、イギリスの産業界に与えた影響は大きかった。

このような繊維産業の近代化は、イギリスの産業構造変革に強いインパクトを与え、やがてイギリス中が大きなうねりの始まりとなるのである。


産業革命では鉄鋼産業が果たした役割が大きかった。
鋳鉄を大量に生産して、砂でつくった型に流し込む鋳造製品の生産を可能にする高炉製鉄法は、産業革命勃興期のイギリスで急ピッチに普及したが、一方で問題が発生した。
鉄鉱石を燃やす燃料としての木炭の消費量が異常に多くなり、この需要を満たすために、国内の森林は全て伐採され、森林資源の豊富な北ヨーロッパ諸国やロシアから木炭を輸入しなければならない羽目に陥った。
そこで、新しいエネルギー源として国内に豊富に埋蔵している石炭に注目が集まった。

18世紀の中頃、イギリスでは石炭需要が増大し、炭鉱は活況を呈していた。
浅い所にある石炭は掘り尽くされ、採掘現場は次第に深くなっていった。
それにつれて湧き出す地下水の量が増えて採炭は妨げられた。
この問題を解決するために、技術者たちは水をくみ上げる新しい動力を求めて挑戦を始めることになった。

この動きの最初となったのは、オランダ人のクリスチャン・ホイエンスであり、大きなシリンダーとピストンをつくって、シリンダーの中に火薬を入れて、この火薬を爆発させてピストンを上げ下げする構造の動力機関づくりに挑戦したが、危険な火薬を使うということで実際には実用化されることはなかった。

一方、水が熱によって沸騰する時に発生する水蒸気パワーの存在に最初に気がついたのは有名なアイザック・ニュートンであり、蒸気圧を動力源にできないかと研究を重ねたが、うまくいくことはなかった。

ホイエンスの助手であったフランス人ドニ・パパンは、火薬の代わりに、ニュートンが着目した水蒸気を使うことを考えた。
大きなシリンダーに水を入れて、シリンダーの下からボイラーで熱し、発生する蒸気のエネルギーでピストンを上げて、この力で仕事をさせようと考えた。この大気圧蒸気エンジンでは、シリンダーの下の火をつけたり消したりしなくてはならないし、ピストンの上下に時間がかかりすぎるので、これまた実用化できなかった。


パパンの大気圧蒸気エンジンの原理を実用的に完成させ、エンジンそのものの商品化に世界で初めて成功したのはトーマス・ニューコメンである。
ニューコメンは、蒸気を発生するボイラー部と、仕事をするシリンダー部とを分離して熱効率を向上させ、サイクル・タイムを短縮することを考えた。
ニューコメンの初期エンジンは蒸気の切り替えを手動で行っていたが、後にはそれも自動化され、1分間の上下動は10回から時には20回に達した。
それによって排水ポンプの能力も向上して鉱山の採掘現場の深さも従来の2倍以上にすることができた。


ニューコメンの発明から約50年が経過してから、ジェームス・ワットによって、蒸気機関の歴史に大きな転機が訪れることになった。
ワットは、シリンダー下部の蒸気を、復水器という器具に導いて冷却凝縮させると、そこが真空になってピストンを引っ張るので、その時に仕事をさせたらいいと考えた。
ワットの新技術によって、シリンダーを冷却する必要がなくなり、ニューコメンの蒸気機関に対して熱効率は数倍に高められた。
さらにワットは現在の蒸気機関の基本形式となっている、ボイラーとシリンダー部と復水器の3つで構成される分離復水器型蒸気機関を1765年に発明した。

ジェームス・ワットは、さらに効率的な蒸気機関の開発を進めたが、シリンダーを刳り抜く円形の精度が悪いという難問があった。

イギリス人のジョン・スミートンは、円筒の中に穴をあける中刳り盤を1769年に開発した。
その6年後にジョン・ウィルキンソンが、スミートンより高い精度の中刳り盤を完成させ、これらの技術改良によって技術的に完璧となったワットの蒸気機関は、スムースに回転するようになった。

ワットはさらに改良を進めて、低圧の蒸気をピストンの両面に交互に送り込んで往復とも出力工程とする複動式蒸気機関を、1782年に完成させた。
こうして蒸気機関は、それまで使用されていた馬や水車に代わる強力な動力機関として急成長して、イギリス産業革命の推進役を果したのである。


ワットの蒸気機関を使って、乗り物を開発しようとして挑戦を始めた男たちがたくさんいたが、リチャード・トレヴィシックもそのひとりである。
トレヴィシックは試行錯誤の上、道路を走る蒸気自動車を開発したが、道路事情が悪くうまく走らなかった。
そこで、イギリス各地の鉱山でトロッコ用として使われていたスチールレールに着目し、この上を走る蒸気機関車の製作に熱中し、これを完成させたのである。

このトレヴィシックの挑戦を受け継いで鉄道システムに発展させたのがジョージ・スティーブンソンである。
スティーブンソンは1829年のスピード競争に自分が開発した蒸気機関車ロケット号を走らせて優勝し有名になるが、スティーブンソンの優秀さは、鉄道を構成する諸要素を組み合わせて“鉄道システム”を、世界で初めて完成させた点にある。
1825年ストックトン~ダーリントン間21キロの鉄道がスティーブンソンの指導によって完成した。
この鉄道は、人を乗せることを目的にしたものではないが、地球上では初めての鉄道となった。
次いで、旅客鉄道として初のマンチェスター~リバプール鉄道が1830年に完成し、人々の鉄道に対する期待は一気に爆発し、ロンドン、マンチェスター、リパプールなどの中核都市間を結ぶ鉄道網は着々と形成されるようになり、鉄道はイギリス中で凄まじい勢いで広まるのである。


19世紀の中頃になると、外燃機関である蒸気機関に代わって、シリンダー内部を燃焼させる構造の内燃機関への関心が高まり、効率的な動力機関を生み出そうという技術者が増えてきた。

ベルギー人のエチエンヌ・ルノアールは、石炭ガスと空気の混合気体をシリンダーに送り込み、電気火花で着火させるという内燃機関のアイデアを抱き、ピストンがシリンダー内を往復する間(これを2ストロークという)に、吸気→圧縮→爆発→排気という4工程をするという2ストロークサイクルエンジンの研究を進め、その理論化に成功した。

続いて、フランス人のボー・ド・ロシャはピストンが2往復する毎に、4工程をする4ストロークサイクル理論を構築し発表したが、実際に動く内燃機関はつくれなかった。

この4ストロークサイクルエンジンを、商品としてビジネスにしようと考えて、研究を続けたのはドイツ人のニコラス・オットーである。
オットーはゴットリープ・ダイムラーという技術者の協力を得て、4ストローク・ガスエンジンの開発を進めて、1876年にこれを完成させた。
“オットーエンジン”と名付けられた、世界初となる4ストロークエンジンは、ドイツでの販売が開始され、その後、世界各国に輪出されるようになるのであった。


一方、オットーのもとを離れたダイムラーは、ウィルヘルム・マイバッハという青年をアシスタントにし、新しい仕事場を設けて、ガソリンエンジンの開発を進めて、1885年に世界で最初となるガソリンエンジンで動くオートバイを走らせることに成功した。
この翌年には、4輪のガソリンエンジン車を開発して、自動車を生涯のビジネスにする決意を固めることになった。


ゴットリープ・ダイムラーと並ぶもうひとりのドイツ人ヒーローのカール・ベンツは、鉄道機関士の子供として生まれ、学校卒業後カールスルーエ機械工場で経験を積んだのち、建築金物の会社を設立するがうまく行くことなく、ガスエンジンの研究に励むこととなった。
1877年にオットーが4ストロークエンジンの特許を取ったことを知り、2ストロークエンジンの研究に打ち込んで、1879年には実用機をつくることに成功した。
1884年にオットーの4ストロークエンジンの特許が切れることを知り、この研究に没頭して完成させた。
ベンツが偉いのは、このエンジンを乗り物の動力用に考えた点で、3輪自動車の開発に集中して、1885年秋にマンハイムの工場で1号車となるガソリンエンジン車の試作品をつくりあげ、1886年春にはこれを完成させたのであるが、この3輪車こそ、世界最初のガソリンエンジン車となるのであった。


20世紀がスタートする直前のこの時期は、既に幹線道路を走っていた蒸気自動車に加えて、都市専用車として新登場の電気自動車、それに誕生したばかりのガソリンエンジン車の三つ巴の生き残り競争が始まることになった。
この競争を最初にリードしたのは、現代人から考えると意外なことに蒸気自動車と電気自動車であった。

蓄電池を積んで、電気モーターで車輪を回す電気自動車は、静かで快適なドライブを楽しむことができ、道路舗装が行き届いている大都市の人々に愛用されるようになったが、蓄電池の容量が少なく長距離走行はできないという問題点を抱えていた。

一方、19世紀末のヨーロッパとアメリカにおいて、石炭を燃料とする蒸気自動車も元気が良かったので、誕生したばかりのガソリンエンジン車は苦戦を余儀なくされたのである。

(序章は、ここまで) 


   「クルマの歴史300話」 第二巻 はじめに    



『クルマの歴史300話 第一巻 自動車の誕生』ができあがり、多くの人々に読んでいただいたことで、たくさんのご意見をいただいた。
もともと『クルマの歴史300話』は、読者対象を自動車産業に入ったばかりの新人において記述を試みたものであったが、長らく自動車業界に身をおいた方々から、「おもしろい」「勉強になる」という意見をいただくことが多く、幅広い層に受け入れられていると実感できることは、筆者にとっては大きな喜びとなっている。

第一巻の“はじめに”で書いてあるように、筆者は自動車の存在を、機械工学、歴史学、社会学、環境学、政治学、経済学、経営学、マーケティング学など、あらゆる分野に相互に関連を持たせて、物語を展開するように務めている。
各々の分野に関する専門的な考察は、それぞれの専門書に決して勝ることはないが、自動車という存在は単なる機械工学の問題ではなく、数多くの学問領域と複雑な関係をもっているので、これらとの関係を明確にしなければ物語は書けないことになる。

この点こそ筆者がいちばん苦労した点であり、このような考えをもつ日本人が書いた本には未だ出会ったことがないので、わが国では初めての試みだと自負している。


『クルマの歴史300話 第一巻 自動車の誕生』で語られたのは、イギリスで産業革命が始まってから19世紀最後の年である西暦1900年までの期間であった。
このうち、本書の主題であるガソリンエンジン車が存在したのは1886~1900年というわずか15年間だけだった。

『第一巻』は、カール・ベンツによって生み出されたガソリンエンジン車が活躍するヨーロッパの地が舞台であり、アメリカ合衆国に関する話はほとんどない。
つまり、ヨーロッパの地で、どのようにして自動車が誕生して成長したかを振り返ってみるというのが、その内容であった。


『クルマの歴史300話 第二巻 自動車産業の興隆』の記述対象期間は、新たに舞台として登場するアメリカ合衆国に関しては、1776年の建国から1908年までの133年間であり、ヨーロッパ諸国に関しては20世紀が始まった1901年から1908年までの8年間となっている。

『第二巻 自動車産業の興隆』は、《序章 産業革命と自動車 》からスタートする。
序章は、『第一巻』の主題である産業革命から始まって19世紀末までのヨーロッパの自動車の誕生と発展のようすの復習となる。
第一巻を愛読していただいた方には不要かも知れないが、第二巻から読み始める方のために、イギリスで始まった産業革命の進展ぶりとドイツで開発されたガソリンエンジン車の誕生までを簡潔に記述した。


第二巻の本編は《二のⅠ章 アメリカ合衆国の建国》、《二のⅡ章ヨーロッパ車の新世紀》、《二のⅢ章 アメリカ車の勃興》、《二のⅣ章 自動車レースの始まり》、《二のⅤ章 ヨーロッパの新興勢力》、《二のⅥ章 アメリカ車産業の興隆》、《二のⅦ章 過酷な超々長距離レース》、というように7章構成となっている。


それでは、第二巻の7つの章がどのような内容になっているか簡単に説明しよう。

本編の最初となる《二のⅠ章 アメリカ合衆国の建国》は、ジョージ・ワシントンによる合衆国建国から始まり、南北戦争という内乱の悲劇を乗り越えてアメリカ合衆国が巨大国家として成長して行くようすを描いている。
中でも、産業革命の影響をイギリスから受けて、東海岸エリアと五大湖周辺で工業が勃興し、交通インフラとして鉄道ネットワークが形成されていくプロセスが話の中心となっている。

《二のⅡ章 ヨーロッパ車の新世紀》の舞台はヨーロッパに移り、20世紀に入るとメルセデスを成功させて世界の先導役となるドイツと、ドイツの影響を受け自動車産業を立ち上げるオーストリア。
ヨーロッパ大陸の中で自動車大国として着実に実力を蓄積してゆくフランス。
ドイツとフランスを激しく追い上げるイタリア。
そして赤旗法の呪縛から解き離たれ、ようやく立ち上がったイギリスという、5つの国における自動車産業興隆の話しである。

《二のⅢ章 アメリカ車の勃興》では、アメリカ大陸で最初となるガソリンエンジン車が開発され、蒸気自動車、電気自動車との熾烈な競争に勝ち残ってゆくようすが語られているが、この章から、“自動車王”と呼ばれるヘンリー・フォードの物語が始まっている。

《二のⅣ章 自動車レースの始まり》は、パリを出発点とする都市間自動車レースから始まった自動車レースが、フランスばかりでなく、イギリスやイタリアでも盛んになり、専門のサーキットレース場が出現するようすなど、20世紀初頭の自動車レースの話が語られる。

《二のⅤ章 ヨーロッパ車の新興勢力》は、20世紀に入ってから1908年までに誕生した自動車のブランドストーリーが中心であり、新しい主役としてイタリア出身のエットーレ・ブガッティが登場する。

ここから舞台は再びアメリカに戻り、《二のⅥ章 アメリカ車産業の興隆》では、新興国のアメリカ合衆国でいろいろな産業が発展して、その中で自動車が中心的な役割を持つ時代への変化を記している。
この章では、ビリー・デュラントという豪快な男がフォード社に対抗すべくゼネラルモーターズ社を創設する物語が大きなウェイトを占めている。

『クルマの歴史300話 第二巻 自動車産業の興隆』の最後の章である《二のⅦ章 過酷な超々長距離レース》は、1908年にニューヨークからサンフランシスコまでの北アメリカ大陸を横断して、ここから船に乗ってロシアのウラジオストックに上陸して、さらにシベリアの大地を駆け抜けてパリまで走破するという超々長距離の自動車レースの話である。


このような全体構成の中で第二巻は進行するが、本書の主たる舞台はヨーロッパ大陸と北アメリカ大陸である。
20世紀末時点で世界第2の自動車大国となっている日本を中心とするアジア大陸の話は、本書には登場することはなく、第三巻以降で語られることになっている。



ところで、第一巻を読んだ方から、いろんな反応をいただいているが、本書はフィクション、ノンフィクションのどちらに属するかという質問があったので、筆者の見解をここで記しておきたい。

『クルマの歴史300話』という本は、従来の枠にとらわれない自由な発想で書かれている。
歴史的な事実をベースにして、主人公たちの行動や会話が、あたかも真実のように記されている箇所が多いので、本書はノンフィクションだと思い込んでいる人は多いと思うが、歴史的な事実として証明されている以外のことも記されている部分がかなりある点から判断すると、ノンフィクションではないことは確かである。

結論を申せば、本書はフィクションである。
『クルマの歴史300話』とタイトルされているように、本書に書かれている全ては歴史的な事実をベースにしてあるものの、“物語”として筆者が創造した部分を加えて組み立てて記述してあるので、ヒストリカル・ノベルというカテゴリーに属する著作である。

この問題と関係がある点であるが、筆者は本書を執筆するに当ってアバウトな記載をするように心がけている。

通常、ノンフィクション作品は事実を深く掘り下げることから作品を構成してゆくことになる。
ところが、『クルマの歴史300話』という作品は、フィクションであるという前提で記されている。
したがって、19世紀の後半のニコラス・キョニューの蒸気運搬車から始まり、数え切れほどたくさんの人物が登場して、自動車を完成度の高い乗り物へ発展させるというストーリーが全体フレームとなっているが、これら登場人物の一人ひとりの詳細な軌跡を記して読者に案内するというスタンスを筆者はまったく持っていない。

したがって、あるクルマを開発した人物が何年にどこで生まれ、誰に技術を学び、何年に自動車のどの部分をどのように前進させたかという詳細情報を記すように心がけてはいない。
むしろ、これらの情報をカットして、そのクルマがその時代に人々からどのように愛され、どのような影響を次の時代に与えたかという点に焦点を定めたコンテンツづくりに努めている。

つまり、ひとつひとつの事実がどうであったかという詳細情報に関しては、各々の専門書に任せて、本書では“クルマの歴史”の流れがどうであったかということを、読者にアバウトで把握していただけたらと期待して記しているのだ。



さて、“クルマの歴史300話”は第一巻から始まって本書の第二巻へ、さらには第三巻へと続く構想になっていて、何巻で終了するかは今のところ分らない。
筆者の生命と、書き続けるエネルギーが尽きない限り、完結に向かっての努力が継続されることになろう。

第二巻で記された時代は1908年までとなっている。
したがって、第三巻は1908年以降の自動車の発展ぶりが記されることになる。現在執筆中であり、確定的なことは申せないが、第三巻のテーマとしては、アメリカ人ヘンリー・フォードによって開発された自動車の大量生産と、世界で最初の近代兵器による全面戦争として、1914年に始まった第1次世界大戦と自動車技術の係わり合いをテーマとしている。

こうして考えると、『クルマの歴史300話』はまだまだ続くことになりそうなので、もし第一巻を読んでない人がいるとしたら、この機会にこれを読んでいただいてから、第二巻へと進んでいただけると、全体の流れの理解が進むことになろう。

蜷田晴彦 


0-09.『第一巻 自動車の誕生』のスタートに当たって③

それでは簡単にブログ『クルマの歴史300話 第一巻 自動車の誕生』の構成がどうなっているかをご案内しましょう。

『第一巻』の対象期間は、紀元前11,000年頃に氷河期をなんとか乗り越えることができた人類の先祖が地球上のあちこちで定住し始めた頃から、西暦1900年までの約1万3千年間となります。
この長い期間の中で、本書の主題である“ガソリンエンジン車”が現れたのは、1886~1900年というわずか15年間しか存在していません。

そこで、どのようにして自動車が誕生して成長したかを振り返ってみるというのが『第一巻 自動車の誕生』の内容であって、『一のⅠ章 産業革命の広がり』からスタートして、『一のⅦ章 19世紀末のヨーロッパ車』までの7章構成となっています。


『一のⅠ章 産業革命の広がり』は、人類の誕生から連なる馬車の歴史、世界中に影響を及ぼしたイギリスにおける産業革命のきっかけとなった繊維産業の工業化、そして動力源として欠かせない存在になる蒸気機関の発明というように進展します。
その次に登場するのが蒸気機関を搭載して、これを動力として道路上を動く乗り物をつくるお話です。
ここでは、巨大な蒸気機関で動く兵器運搬車に挑戦するニコラス・キュニュー、蒸気自動車を試作したイギリス人ウィリアム・マードック、世界初の蒸気自動車を生み出したイギリス人リチャード・トレヴィシックという3人に大きなスペースを割いています。
そして、スティーブンソンによって創設された蒸気機関車が牽引する鉄道システムの発展のようすが記されています。


『一のⅡ章 交通産業の始まり』では、イギリス、フランス、ドイツというヨーロッパ3国における近代化の動きが最初にあり、次いで、蒸気機関を搭載する船舶の巨大化、19世紀末に爆発的に普及する自転車、自転車技術の柱となるゴムタイヤの発展のようすが主たるテーマとなります。
この章では、自転車ビジネスで成功するフランスのプジョー兄弟社とドイツのアダムオペル社の創業物語が語られます。


『一のⅢ章 内燃機関の発展』は本書のハイライトにあたる部分であり、蒸気機関を搭載する自動車がイギリスとフランスで発展するようすが記されています。
続いて、ベルギー人のエチエンヌ・ルノアールによって発想された2ストロークサイクルの内燃機関の誕生から始まって、フランス人のボー・ド・ロシャによる4ストロークサイクル理論への発展、さらにはこの実用化に先鞭をつけたドイツ人ニコラス・オットーの話へと続きます。
そして、この章のまとめ役として、オットーのエンジンを改良して実用的なガソリンエンジンを完成させたドイツ人ゴットリープ・ダイムラーとその助手のウィルヘルム・マイバッハが登場します。

ここまではガソリンエンジン車は登場していません。
ガソリンエンジン車がいつ頃、誰によって開発されたかに関しては諸説ありますが、筆者は「1886年にカール・ベンツが開発したガソリンエンジン3輪車が自動車の祖先である」という通説に従っていますので、ガソリンエンジン車が登場するのは『一のⅣ章 ガソリンエンジン車の誕生』からとなり、この章で語られる期間は、1886年から1890年までの5年間となります。
ここでの主役は、カール・ベンツと、『一のⅢ章』に続いて登場するゴットリープ・ダイムラーとウィルヘルム・マイバッハに代表されるドイツ人ばかりです。
この章を締めくくるのは、ダイムラーの技術支援を受けて、フランスでガソリンエンジン車のパイオニア企業となったパナール&ルバッソール社です。


『一のⅤ章 自動車の開拓者たち』は、19世紀末の10年間でガソリンエンジン車先進国となったフランスにおける自動車産業黎明期の物語が中心となります。
この章では、自転車ビジネスで成功して自動車分野への進出を図るアルマン・プジョー、車両用ゴムタイヤの開発で苦闘するミシュラン兄弟など、有名人がいっぱい登場します。
それと、1894年に開催された世界初の自動車レースといわれるパリ~ルーアン走行会のようす、歴史に残るパリ~ボルドー間レースでのパナール&ルヴァソールの活躍のようすもこの章で語られます。


『一のⅥ章 ヨーロッパ車の形成』は、ドイツとフランスに先行されたことに気がついたイタリアとイギリスのビジネスマンが自動車産業を興す話など、19世紀末のヨーロッパでの自動車黎明期のおもしろいエピソードがいろいろ語られます。
具体的には、フランス人ルイ・ルノーによるルノー兄弟社の創業、イタリア人ジョヴァンニ・アニエッリらトリノの財界人によるフィアット社の創業、イギリス人ハーバート・オースチンの活躍ストーリーなどがこの章で語られています。
それに、21世紀の時代に入っても評価が高まるばかりのディーゼルエンジンというすばらしい内燃機関を発明したドイツ人ルドルフ・ディーゼルのお話もこの章のハイライトとなります。


『第一巻 自動車の誕生』の最後となる『一のⅦ章 19世紀末のヨーロッパ車』は、19世紀の世紀末の数年における、ヨーロッパ諸国における自動車業界のようすがテーマとなっています。
この章ではドイツ人の技術者アウグスト・ホルヒに始まり、次いで同じチェコ生まれで後に自動車技術のスーパースターとして有名になるフエルディナント・ポルシュが、何と電気自動車を製作して自動車産業に乗り込んでくるお話となります。
さらに、スピードに魅せられたフランス人の貴族のシャスルー・ロバ伯爵とベルギー人の技術者カミーユ・ジュナッツィが競い合いながら、時速100キロ突破を目指すスピード競走が『一のⅦ章』のクライマックといえる部分となります。


このように、『クルマの歴史300話 第一巻 自動車の誕生』は、『一のⅠ章』から『一のⅦ章』までバラエティに富んだ内容になっていますが、『クルマの歴史300話』は『第一巻』で完結しているわけではありません。
この続きとしては、『クルマの歴史300話 第二巻 自動車産業の興隆』が準備されています。

これで、“『クルマの歴史300話 第一巻 自動車の誕生』のスタートに当たって”はお終いです。

いよいよ4月3日(火曜日)に新しい世界が広がります。
読者の皆さん、ご期待ください!