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17-25.フォードの歴史29~旅立つ平和巡礼船~

今日のブログ『クルマの歴史物語』は「17章 世界大戦の始まり」の最後となります。
明日からは、「18章 元気なアメリカ車」が始まります。

※※ブログ『クルマの歴史物語』既掲載分中の【フォードの歴史】に関するリンク先※※
〔1部&2部での掲載分〕
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〔3部での掲載分〕
●13-18.フォードの歴史12~実用小型車への転換~
●13-19.フォードの歴史13~コウゼンスの味方化~
●13-20.フォードの歴史14~歴史に残る名車T型の開発~
●13-21.フォードの歴史15~セルデン特許との戦い~
●13-22.フォードの歴史16~テイラーの科学的管理法~
●13-23.フォードの歴史17~流れ作業方式の研究~
●13-24.フォードの歴史18~ベルトコンベアの採用~
●14-26.フォードの歴史19~フォード社の苦悩~
●14-27.フォードの歴史20~フォード社長のアイデア~
●14-28.フォードの歴史21~優れたPRセンス~
●14-29.フォードの歴史22~マスコミの寵児フォード社長~
●16-17.フォードの歴史23~フォード社長の訪英①~
●16-18.フォードの歴史24~フォード社長の訪英②~
●17-20.フォードの歴史25~長男エドセルの誕生~
●17-22.フォードの歴史26~T型の大成功~
●17-23.フォードの歴史27~戦争反対を叫ぶフォード社長~
●17-24.フォードの歴史28~フォード社長の行動開始~

さて、今週月曜日のブログで、読者の皆さんへのクリスマス・プレゼントとして、私が『The World of MASA展』のために上梓した『クルマの歴史物語 第一巻 自動車の誕生』を5名様にプレゼントすることをお知らせいたしました。
(詳細については、12月15日付けのブログをご覧ください。)
昨日夕刻までに私のメールアドレス宛に到着した申込者の中から抽選の結果、大阪府在住の近藤久雄さんが当選しましたことをご案内いたします。
なお、抽選は今週金曜日まで毎日行いますので、当選チャンスはいっぱい残っていますので、今すぐメールアドレスkanie-masahiko@jcom.home.ne.jp宛てに申し込んでください。


17.世界大戦の始まり


 フォードを乗せたオスカー二世丸はヨーロッパに出発した 


ヨーロッパ各地で戦争が始まって1年4カ月後の1915年12月、ヘンリー・フォードやロシカ・スウィーマーらを乗せたオスカー二世丸はニューヨーク港を離れ、ヨーロッパ諸国歴訪の旅に出た。

ところが、この船に乗っているのは必ずしも反戦主義者ばかりではなかった。
いろんな思想のごちゃ混ぜ部隊を乗せての出港であったので、最初の日から船上では大議論が繰り広げられた。
その議論もオスカー二世丸の企画趣旨どおりの意見ばかりでなく、反対意見も出てくる始末で、混乱が渦巻いた。
リーダーであるべきフォードが意見を言っても、船上の混乱を収拾することができなかった。


こんな中でオスカー二世丸はノルウェーのオスロ港に入港したが、船上の混乱に巻き込まれたフォードは、熱を出して寝込んでしまった。

一方、デトロイトで心配している息子のエドセルには、オスカー二世丸の混乱と評判の悪さが伝わってきた。
出航する前からこの企画に反対していただけに、「航海をオスロで止めさせないと、大変なことになる」と危機感を募らせたエドセルは、フォード社長を下船させるように、同行しているフォード社のスタッフに命令を下した。
これを受けたフォード社のスタッフは、高熱で眠っているフォードを毛布で包み、夜陰にまぎれて船外に連れ出した。


ヘンリー・フォードのオスカー二世丸調停船は、“間抜け船”とか“愚者の船”などと嘲笑されて合衆国の人々に話題を提供しただけで、ニューヨーク港に戻ってきたのである。


フォード社長がオスカー二世丸でヨーロッパに出かけている間、デトロイトで会社の仕事の責任者を任されたのはエドセル・フォード専務であった。
それに、ハイランドパーク工場に関してはチャールズ・ソレンセン常務が牛耳っていて、フォード社長がいてもいなくても、まったく問題なく正常に運営されていたので、毎日2千台のT型が工場から出荷されていた。


ヘンリー・フォードの思想と行動を振り返ってみると、どうしてそうなるかが分からない矛盾に満ちていることが多いが、恐らく本人には何の曇りもなく、その時点で正しいと思ったことを行動に移しているだけだと推測される。

フォード社長の単純な思いつき行動が目立ち出したのは、守護人として厳しい管理の眼を怠らないコウゼンス常務が会社を去ってからのことである。


フォード社長はがちがちの反戦主義者だからアメリカ政府からの要請を断ったわけではない。
自分の工場で大砲や小銃、さらには弾丸などの人間を殺傷するモノをつくりたくないという気持ちが強かったからであった。

その証拠に、戦争中のイギリスで食糧を確保するための農耕用トラクターが不足しているので緊急に生産してほしいというアメリカ政府の要請に対しては、全面協力を約束していたのである。
しかも、この仕事は、フォード社長自ら担当するという熱の入れようであった。


さて、デトロイトに戻ったヘンリー・フォード社長を待っていたのは、オスカー二世丸によって引き起こされた批判の山であり世論の袋叩きであった。

最初は少し落ち込んだが、T型の売れ行きが順調であることと、会社の経営が確実に利益を生み出していることを確認したフォードはくじけることはなかった。
そこで、反撃に移るべく、新聞の意見広告スペースを買って自分の意見を発表することにした。

この広告コピーの原案は、ヘンリー・フォード自らが書いた。
「この巨大なアメリカ合衆国を、いまどき侵略する国があるだろうか? イギリス、フランス、ロシアという協商国も、ドイツ、オーストリアハンガリー、トルコという同盟国も、ヨーロッパの地での戦争だけで手いっぱいだというのに、アメリカが危ないなどという流言に騙されてはならない」と、意見広告で主張したのである。


この背景として、ハドソン・マキシムという評論家が『アメリカ・丸裸論』という本を出版してベストセラーになっていたという事実があった。
この本は、ウィルソン大統領の中立論を激しく糾弾して、外国からの防衛体制が不十分なアメリカ合衆国は丸裸の状態で、そのうちに外国の侵略を受けてアメリカ人の生命財産が危険に陥ると説いていて、マキシムの論調を受け入れる勢力がだんだん強くなっていた。


フォードは、こうした好戦論を許すことができなかった。そこで新聞紙面を通じて公開挑戦状を突きつけたのであった。
しかしフォードのような反戦論は少数意見で、マキシムに代表される戦争準備論者や、タカ派の新聞論調の揺さぶりに影響されたアメリカの世論は、次第に参戦の方向に歩み始めるのである。
(※17-25話【第566回】は、ここまで)


17-24.フォードの歴史28~フォード社長の行動開始~

今日のブログ『クルマの歴史物語』は昨日に続いて、ヘンリー・フォード社長の反戦行動のお話です。

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さて、昨日のブログで、読者の皆さんへのクリスマス・プレゼントとして、私が『The World of MASA展』のために上梓した『クルマの歴史物語 第一巻 自動車の誕生』を5名様にプレゼントすることをお知らせいたしました。
(詳細については、12月15日付けのブログをご覧ください。)
昨日夕刻までに私のメールアドレス宛に到着した申込者の中から抽選の結果、和歌山在住の佐藤隆文さんが当選しましたことをご案内いたします。
なお、抽選は本日を含めて、今週金曜日まで毎日行いますので、当選チャンスはいっぱい残っていますので、今すぐメールアドレスkanie-masahiko@jcom.home.ne.jp宛てに申し込んでください。


17.世界大戦の始まり


 アダムス女史に共感したフォードはさっそく行動を起こした 


ここで話は少し遡るが、19世紀末のアメリカ合衆国は産業革命の進展に伴って工業化が急速に進んで、あちこちからやってきた移民がそのまま大都市に住むようになっていた。
一方、田舎から都市にたくさんの人が出稼ぎにやってきたりして、大都市にはアメリカン・ドリームから見放され貧困にあえぐ人々が、劣悪な環境の中で暮らしていた。
これらの人々の中にはホームレス化し都会の片隅で食べ物を求めてさまよう人が目立つようになっていた。


この実態を目にしたジェーン・アダムスという女性は、自分ができることはないかと模索した結果、1889年秋に“セツルメント”と呼ばれる救済施設の1号となるハルハウスをシカゴのスラムに建設した。
ハルハウスは温かい食事を提供したり、あるいは宿泊所となったりして、ホームレス化した人々に人間らしい生活ができるように支援した。
また子供を育てることができる乳児院などを備えていた。移民したばかりで英語ができない人には英会話のトレーニングを施した。

アダムスがシカゴで始めたハルハウスの成功によって、その後、アメリカ合衆国の各地にセツルメントができるようになり、女性活動家としてのジェーン・アダムスの評価は高まっていた。

やがてアメリカを代表する平和主義者として有名になったジェーン・アダムスが主催する国際平和集会が、1915年2月にシカゴで開催された。
この集会では、世界大戦の戦争終結に向かって、草の根運動による調停活動を継続することが決議された。

この2カ月後、オランダのハーグで開催された世界婦人大会で、シカゴの国際平和集会と同じ趣旨の草の根運動による調停活動継続決議がなされた。

この大会には、ジェーン・アダムスの信奉者でロシカ・スウィーマーという美人のユダヤ人女性ジャーナリストがいた。
スウィーマーは、アメリカ合衆国のウッドロー・ウィルソン大統領を訪問し、ハーグ議決書を手渡して自分たちの主張を伝えた。
これに対して大統領は、戦争が始まって以来、アメリカは一貫して中立を保っていることを強調するだけで、この議決書に反応することはなかった。

これで落ち込むようなスウィーマーではない。
今度は、反戦主義者として有名になっているヘンリー・フォードに興味を抱き、自動車王に会うためにわざわざデトロイトまでやってきた。
食事をしながらの会話を楽しんだフォードは、この美女にすっかり入れ込んでしまい、一緒にニューヨークに行くことを約束するのである。


ニューヨークでは、ジェーン・アダムス女史らと意見交換をし、戦争反対という大義名分で意気投合した。
そして、この会合で、ヨーロッパに平和の巡礼船を出して交戦国の首脳に戦争を止めさせるように説いて回ろうというロシカ・スウィーマーからの提案に乗ってしまい、これをやることが自分の使命であると思い込んでしまった。

思い込んだら行動が早いフォードは、すぐに船会社に連絡をとり、デンマーク国籍の旅客船オスカー二世丸をチャーターするのである。
(※17-24話【第565回】は、ここまで)


17-23.フォードの歴史27~戦争反対を叫ぶフォード社長~

今日からまた新しい1週間が始まりました。ブログ『クルマの歴史物語』は「17章 世界大戦の始まり」の終盤の“戦争反対を叫ぶフォード社長”となります。

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●13-18.フォードの歴史12~実用小型車への転換~
●13-19.フォードの歴史13~コウゼンスの味方化~
●13-20.フォードの歴史14~歴史に残る名車T型の開発~
●13-21.フォードの歴史15~セルデン特許との戦い~
●13-22.フォードの歴史16~テイラーの科学的管理法~
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●17-22.フォードの歴史26~T型の大成功~

さて、ブログ『クルマの歴史物語』では、9月17日~22日の期間開催された〖The World of MASA展〗に関するお話を半年間という長きにわたって掲載してまいりました。
読者の皆さんにおかれまして、私の拙文にお付き合いをいただき本当にありがとうございました。
そこで、感謝の印として私から読者の皆さんにクリスマス・プレゼントがございます。
プレゼント品は、この度上梓した書籍『クルマの歴史物語 第一巻 自動車の誕生』であり、抽選で5名様に贈呈させていただきますので、以下の応募要領にて申し込みください。

 ・応募方法: kanie-masahiko@jcom.home.ne.jp宛てのメール送信での申込だけが有効です。
 ・記載事項:氏名、郵便番号と住所、それにヤマト宅急便で送りますので、必ず電話番号を記載して下さい。※これらの一部が欠けている応募は無効とします。
 ・当選者氏名発表:抽選の透明性を期するために、当選者氏名をブログ『クルマの歴史物語』にて発表する点を、事前に了承願います。
 ・応募期間:本日より12月19日(金)17:00とします。
 ・抽選方式:12月15日(月)、16日(火)、17日(水)、18日(木)、19日(金)の夕刻に抽選を行い、毎日1名様を選びます。初日の抽選で外れた場合は、2日目のチャンスがあり、それでも外れたら3日目のチャンスがあるというように、早めの申込者は当選チャンスが高まります。
 ・発表方式:12月16日(火)、17日(水)、18日(木)、19日(金)、22日(月)のブログ『クルマの歴史物語』で当選者のお名前を発表いたします。
 ・お届け方法:クリスマスまでにヤマト宅急便でお届けします。送料は当方負担とします。
 ・備考:今回のプレゼント対象は個人限定とさせていただきます。出版社や図書館、あるいは諸団体からのご希望事項がありましたら、個別相談させていただきますので、その旨上記メールアドレス宛にお知らせください。

それでは、皆様からの応募をお待ちしております。



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〈読者プレゼントの『クルマの歴史物語 第一巻』〉






17.世界大戦の始まり


 フォードの戦争への非協力な態度にコウゼンス反発した


資本家である石炭商のアレックス・マルコムソンの腹心としてフォード社に送り込まれていたジェームス・コウゼンス常務は、財務責任者として熱心に働き、事業の発展にたゆまぬ努力を続けていた。

そのコウゼンス常務がヘンリー・フォード社長と一枚岩になったのは、経営路線を巡ってフォードとマルコムソンが対立した時であった。
普通ならマルコムソン側に付くと思われていたコウゼンスは反旗を翻してフォード側についたのである。
このことでコウゼンス常務の社内における発言力は一気に高まり、予算統制などの重要な仕事を担当するようになった。


フォード社はフォード社長が振りまく派手な話題が故に、世間では会社はフォード社長のワンマン統制下に置かれていると思われていたが、1915年頃のフォード社の実態はまったく違っていて、コウゼンス常務が舵取りをしていたのである。

フォード社長が、会社経営の実権をコウゼンス常務から奪うきっかけとなったのは、日給5ドルへの賃上げ大作戦の成功であり、新聞各紙で大々的に取り上げられたことで、自分のやり方に間違いないことを確信したフォード社長の自己主張は強くなってきた。



こんな時に、政府から軍需物資の生産要請が舞い込んだ。ヨーロッパの戦火がアメリカに及ぶかもしれないという緊迫した事態の中での要請であるので、喜んで協力するものと思い込んでいたコウゼンス常務は、「断固、断る!」というフォード社長の発言を聞いて、飛び上がらんばかりに驚いた。

断れば大変なことになりになりかねない一大事の発生に、考えを変えてもらわねばと、コウゼンス常務は必死にフォード社長の説得に当ることになった。

「社長、政府の要請を断ることなどできません。もしそんなことをすると、反逆行為となり、社会的に糾弾されますよ」

「君は黙っていなさい」

「ヘンリー社長、会社を個人の思想で動かすと、大きな間違いを犯します。軍需物資の生産要請を断ることは、合衆国の戦争勝利に貢献しないことを意味します」

「わしは、戦争を好んでやるような政府に貢献したいとは思わん」

「社長、政府に協力するよう考え直してください。お願いします」

「さっきも言ったろう。わしはくだらない消耗戦の戦争を止めさせたいのだ」

「それと軍需物資をつくらないことは結びつきません。絶対に政府の要請を断ってはいけません。もう一度、考え直してください」

「コウゼンス君、しつこいぞ。フォード社はわしの会社だ。わしの好きなようにして、何が悪いのだ」

「社長、その考えは間違っています。フォード社は、確かに社長が創業しました。しかし、今日のフォード社にはたくさんの株主がおります。それに今やフォード社はアメリカ合衆国の資産のひとつになっています。これだけ巨大会社になったら、自分の好みで意思決定をしてはいけません」

「うるさい」

「社長!どうしても、断るのですね」

「仕事のことで君から指図を受けることがあっても、この件だけは絶対に指図は受けん」

「分かりました。私は会社を辞めます」

「何!」

「今すぐに、この会社の役員を辞任します」
「勝手にしろ」

こうしてコウゼンスは辞表をたたきつけて退職したのであるが、このことはフォード社の経営に極めて大きな影響を与えることになった。
(※17-23話【第564回】は、ここまで)


17-22.フォードの歴史26~T型の大成功~

今日のブログ『クルマの歴史物語』は、T型を大成功させたヘンリー・フォードがヨーロッパ大陸で続く戦争終結に動き出すというお話です。

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昨日お話したように、〖The World of MASA展〗のドキュメンタリー・ムービーができあがり、以下に掲載したお手紙と一緒に、送付したのは11月中旬以降のことでした。

『今年も11月に突入し、いよいよ年末が近づいてまいりましたが、お元気でお過ごしのことと思います。
過日は、私の個展開催に当たり、ご多忙にもかかわらず、ご来場いただき本当にありがとうございました。
既に個展終了に関するご報告をさせていただきましたが、たいへん数多くの方々にご来場いただき、また国連WFP協会への寄付額も多額にのぼり、このイベントを企画した私と致しましては、満足感でいっぱいです。
つきましては、この個展をテーマとしたムービーができましたので、本日DVDを同封させていただきました。
と申しますのは、私が考える〖The World of MASA展〗の構成要素の一つである【蟹江雅彦監督ムービー/DVD】コーナーでは、本物のムービーをご覧いただくことは時間的にも、設備的にもできませんでした。
そこで、このムービーをご覧いただくことで、写真という静止画像から、動きを伴うムービーをどのように制作しているかを実感していただきたいという想いがあります。
同時に、私は個展に対して、6日間の記録を来場者の皆さんにご報告することで、全てが完結するという考えをもっていますので、個展レポートのムービーをお届けさせていただいた次第です。

振り返ってみますと、今から2年半前の2012年7月に私は心臓切開手術を受け、一か月間の入院を余儀なくされました。
この手術によって、心臓そのものは元通りに回復し規則正しい鼓動を続けるようになったものの、病気発症に伴う体力を衰えに加えて、上半身の中心部にメスを入れるという大手術のダメージは想像以上に大きかったのも事実でした。
幸いにして、私は大学時代にボディビルクラブに所属して、体力づくりの基本が身に付いていましたので、リハビリを順調に進めることができたものの、完全に回復するのに1年半という時間を要しました。
そんな時でも私は決してあきらめませんでした。
必ずリハビリを成功させて、「従来レベルの生活の質=QOL(Quality of Life)を取り戻すのだ」という決意が揺らぐことなかったのが、個展開催に繋がったことと思います。

私は〖The World of MASA展〗開催中に満70歳を迎えました。
振り返ってみると、60歳代の10年間は人生の中で、いちばん楽しい10年間でした。
70歳代に入ったこれからの10年間はどんな人生になるか予断を許しませんが、体力確保を第一として、楽しく、そして安楽に過ごしたいと望んでいます。
そんなわけで、これからも変わらぬご厚情をお願いしたいとの想いがあり、お手紙を認めた次第です。
いよいよ新春に向かって何かと多忙な日々が続くことになりますが、ご自愛頂きまして、ご家族共々のご健勝を心よりお祈り申し上げます。蟹江雅彦』


17.世界大戦の始まり


 傑作車の誉れ高い〈フォード/T型〉は競争力が抜群となった 


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〈反戦運動に立ち上がった自動車王のヘンリー・フォード=Henry Ford〉(1863~1947)

『クルマの歴史物語 3部 大量生産の始まり』は、タイトルで記されているように、南北戦争の傷跡から立ち直ったばかりのアメリカ合衆国で、産業革命の嵐が吹き荒れた後に近代産業が勃興し、ヘンリー・フォードによって開発された大量生産という形で花開いて行くようすを記している。
アメリカにおける近代工業の旗手となったのはガソリンエンジン車産業であり、数多くの会社が知恵と技術の結晶ともいうべき新車を市場に送り出したが、その中では1908年に誕生した〈フォード/T型〉が、この時代を語るにはいちばんふさわしい。

〈フォード/T型〉は、いろんな側面で見ると本当に画期的なクルマであることが理解できる。
第一のポイントは、実用車に徹していて余分な虚飾が一切ない点であり、このシンプルさを大衆が愛好した。

第二ポイントとして、技術的な完成度が高かったことをあげることができる。故障は少ないし維持費が安いという経済性の高さは、アメリカ車では抜群だった。

第三ポイントとして、恐らくこれが最も重要であると思われるが、価格が安い点である。
売り出された時点で付けられた850ドルという値札は、他のクルマより少し安い程度であったが、1915年頃には360ドルというように圧倒的に安くなった。


このように優れた〈フォード/T型〉を、他車よりも安い価格で販売してもフォード社に巨額の利益をもたらすことになったのは、単一車種による大量生産のおかげであった。
フォード社の大量生産は、それ以前誰もやったことがない画期的なベルトコンベア方式が採用され、生産効率が飛躍的に向上したのである。

これで勢いを得たヘンリー・フォード社長は1914年に工場従業員の日給を、それ以前の2倍以上に当る5ドルに引き上げると発表して、世間から注目を浴びることになった。



ヨーロッパ各地の戦争は、人類が今まで経験したことがない残酷なものであった。
この残酷さは、産業革命以降に生み出された化学工業製品によってもらたされたが、大戦期間中これらの化学工業製品の供給を一手に引き受けたのがアメリカ合衆国だ。
アメリカは移民国家である。
イギリスやフランスを中心とした協商国サイドへの供給に偏ることなく、ドイツサイドにも供給する立場にあり、世界大戦が始まっても中立を保っていた。




フォード社を創業して〈フォード/T型〉で大成功したヘンリー・フォードは、根っからの正直者である。
自分の感情とか、その時に思ったことを正直に表現することしかできないので、周りの人から誤解を受けることが多かった。

世界大戦が始まると、ヘンリー・フォードにとってヨーロッパの地での戦争は無意味としか思えなかった。
そこで、一刻も早くこの戦争を止めるべきだという考えが、だんだん信念に高まってきた。

フォードは親しい新聞記者に対して、「このばかばかしい消耗戦争を終結させるためなら、全財産を投入してもよい」とコメントして、大きな見出しと共に報道され、アメリカ中で話題になった。
(※17-22話【第563回】は、ここまで)



17-21.自動車の歴史:アメリカ編37~ハイウェイ網づくり~

今日のブログ『クルマの歴史物語』は、自動車の歴史:アメリカ編の37回目となります。
例によって、本ブログ掲載のアメリカ自動車産業の関連記事の一覧表を下に作成しておきましたので、興味のある方は参考にしてください。

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■国別ブランド別目次一覧《アメリカ編②フォード》の項で検索
■国別ブランド別目次一覧《アメリカ編③ダッジ》の項で検索
■国別ブランド別目次一覧《アメリカ編④キャデラック》の項で検索
■国別ブランド別目次一覧《アメリカ編⑤GM》の項で検索
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●13-23.フォードの歴史17~流れ作業方式の研究~
●13-24.フォードの歴史18~ベルトコンベアの採用~
●14-26.フォードの歴史19~フォード社の苦悩~
●14-27.フォードの歴史20~フォード社長のアイデア~
●14-28.フォードの歴史21~優れたPRセンス~
●14-29.フォードの歴史22~マスコミの寵児フォード社長~
●16-17.フォードの歴史23~フォード社長の訪英①~
●16-18.フォードの歴史24~フォード社長の訪英②~
●14-08.GMの歴史6~ビリー・デュラントの登場~
●14-09.GMの歴史7~キャデラック社の買収~
●14-10.GMの歴史8~戦略なきGMの迷走~
●14-11.GMの歴史9~追放されたデュラント~
●14-12.クライスラーの歴史1~クライスラーの成長~
●14-13.クライスラーの歴史2~クライスラーのGM入社~
●14-14.GMの歴史10~シボレー兄弟の米国移住~
●14-15.GMの歴史11~シボレーとデュラント~
●14-16.GMの歴史12~シボレー自動車会社の発足~
●14-22.自動車の歴史:アメリカ編31~サイクルカー~
●14-23.自動車の歴史:アメリカ編32~オーヴァーランド①~
●14-24.自動車の歴史:アメリカ編33~オーヴァーランド②~
●14-25.自動車の歴史:アメリカ編34~ブリスコの暗躍~
●17-18.自動車の歴史:アメリカ編35~1918年までのアメリカ車~
●17-19.自動車の歴史:アメリカ編36~ハドソン社長の車づくり~

さて、一昨日は個展が終わってからのお礼状に関するお話をいたしました。
今日は、〖The World of MASA展〗のドキュメントムービーのお話をいたしましょう。
既にご案内したように、ここ数年間私がいちばん嵌っている趣味はムービーづくりです。
最初に制作したムービーはニュージーランド・トレッキングツアーを記録した2008年12月の作品でした。
その時以降ムービーづくりの面白さに惹かれ、かれこれ6年間にわたってたくさんのムービーを制作してきました。
この間に制作した作品本数は30を下回ることはありません。
それらの作品の中から18ムービーを選んで、各々のDVDジャケットを1枚のパネルにとりまとめて展示したので、来場いただいたたくさんの皆さんの興味・関心を引いたことと思います。
そこで、〖The World of MASA展〗を構成する一要素として、この個展を記録したムービーを制作することを思い立ち、来場者の中でも特に親しくお付き合いをいただいている方に、DVDとして提供しよう考えたのです。
構想そのものは個展開催を決断した時からあったものの、事前準備に時間を取られたため、ムービーの制作に入ったのは、全ての来場者にお礼状を送付した後のことでした。
幸いにして個展開催期間中、たくさんの写真を撮っておいたので、〖The World of MASA展〗をレポートするだけならそれほど時間を要する作業ではありませんが、それでは面白くありません。
ムービーならではの表現があるはずに違いないと、作品の表現方法をどうするかで試行錯誤がありましたが、6週間くらい頑張った結果、11月中旬には完成を迎えることができたのです。


ムービーDVD


〈11月中旬に完成したムービー〖The World of MASA展〗のDVDジャケット〉











17.世界大戦の始まり


 アメリカで無料のハイウェイが各地で建設されるようになった 


20世紀に入って自動車が町を走り始めたが、アメリカの道路はどこでもひどいもので、でこぼこ道路は晴れた日はほこりだらけで、雨が降ればぬかるみになるというように、普及し始めた自動車はまともに道を走れなかった。

1913年、アメリカ大陸の東西を初めて結んだ、ボストンからカリフォルニア州の州都サクラメントにいたる5千キロを超える長さのリンカーン・ハイウェイができあがった。

この道は名前だけは立派だったが、実際は開通式が行われた後10年間という長きにわたって舗装されることはなかったので、でこぼこ道であった。
あまりの道のひどさに、これ以上放置できないと立ち上がった連邦政府は1916年7月に法律を制定して、州間幹線道路網を全国規模で確立する方針を打ち出すことになったが、この効果は絶大で急速にアメリカの道路はアスファルト舗装化が進んだのである。


この頃、アマンダ・プロイスという女性はV8エンジンのオールズモビルを運転して、ニューヨークを出発してサンフランシスコまでの間を11日と5時間45分で走破する記録を打ち立てたが、クルマのスピードが出るようになったのも確かだが、大部分は改善された道路のおかげだった。

この年はまた、V8キャデラックに乗ったアーウィン・キャノンボール・ベイカーという男が、大陸横断をわずか7日半でやりきって、アメリカ中に話題を提供した。

1918年、第二十八代ウッドロー・ウィルソン大統領は各州を結ぶハイウェイ建設のために助成金を支出することを決定した。
この連邦助成金によって建設されるハイウェイには、2つの条件がついていた。
一つは維持費を州が負担すること、二つ目は通行料を無料にすることであったが、通行料無料の考えはアメリカ人の自動車活用に加速度をつけることになった。
(※17-21話【第562回】は、ここまで)