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18-28.GMの歴史23~デュポンの透視能力~

ブログ『クルマの歴史物語』は、本日「3部 大量生産の始まり」の「18章元気なアメリカ車」の最終日を迎えました。
本日のお話は、“デュポンの透視能力”とタイトルされているように、火薬で財を成したピエール・デュポンが専門の分析スタッフを編成し、第一次世界大戦へのアメリカ合衆国の参戦と、戦争終結時期の予測をしていたというお話です。

振り返ってみますと、3部は昨年5月29日の“1部&2部サマリー編”からスタートいたしました。
そして、「13章 フォード社の大量生産」、「14章 アメリカ車産業の波動」、「15章 多彩なヨーロッパ車」、「16章 華麗なる自動車レース」、「17章 世界大戦の始まり」、「18章 元気なアメリカ車」というように続いてきました。
3部で残っているのは、明日から始まる「19章 悲劇の世界大戦」だけとなっており、現在の計画では3月3日には3部の全てが終了することになっています。

3部終了後は、すぐに4部が始まるわけではありません。
1~3部の資料編を掲載する予定で現在準備を進めています。
いずれにしてもブログ『クルマの歴史物語』は、まだまだ続きますので、引き続きましてのご愛読をよろしくお願いいたします。

※※ブログ『クルマの歴史物語』既掲載分中の【GMの歴史】に関するリンク先※※
〔1部&2部での掲載分〕
■国別ブランド別目次一覧《アメリカ編⑤GM》の項で検索
■自動車人名事典《サ行のシ》:「シボレー、ルイス」の項で検索
■自動車人名事典《タ行のテ》:「デュラント、ウィリアム・クラポー」の項で検索
■自動車ブランド事典《サ行のシ》:「シボレー」の項で検索
〔3部での掲載分〕
■14-16.GMの歴史12~シボレー自動車会社の発足~で「14章 GMの歴史」の項を検索
●18-10.GMの歴史13~デュラントとシボレーの決別~
●18-11.GMの歴史14~デュラントの新発想~
●18-12.GMの歴史15~感性重視の新戦略~
●18-13.GMの歴史16~カラフル・シボレーの成功~
●18-22.GMの歴史17~GM社でのクライスラーの活躍~
●18-23.GMの歴史18~デュポン財閥の資本注入~
●18-24.GMの歴史19~デュラントとナッシュ~
●18-25.GMの歴史20~ナッシュ自動車会社~
●18-26.GMの歴史21~クライスラーの反骨~
●18-27.GMの歴史22~リーランドの愛国心~


18.元気なアメリカ車


 情報網を駆使したデュポンは世界大戦の早期終結を予見した 



Dupont.png

〈財閥の総帥ピエール・デュポン=Pirre Du-Pont〉(1870~1954)

ヘンリー・リーランドが社長室を後にしてから、GM社のビリー・デュラント社長は興奮をクールダウンするかのように、3日前に航空機用エンジン開発に関してピエール・デュポン会長との間で交された会話を思い出していた。

「会長、1週間前にご連絡した航空機用エンジンの開発要請の件ですが、そろそろ返事をしなければなりませんが」

「ビリー、君はどう考えているのかね」

「私は、政府に協力すべきだと思いますよ。会長の了解さえ得られれば、来週にも正式に返答するつもりですが」

「それはダメだな」

「何ですって!」

「ビリー、君は戦争がいつ頃終わるか知っているかね」

「会長、アメリカはまだ参戦を決定していませんよ。こんな早い時点で、戦争がいつ頃終わるか分かりっこありませんよ」

「それが分かるのだ」

「どうしてですか」

「わしが雇っている時局分析スタッフは、アメリカの参戦予定日や、ドイツの降伏予定日をわしに教えてくれるのだ」

「本当ですか!」

「ビリー、わしの本職は火薬屋だ。火薬は戦時中は必需品で、1トンでも余分に欲しがるものだが、戦争が終われば誰も使ってくれない。つくり過ぎて余ったとしても、買ってくれる人はどこにもいない。だから、戦争がいつ終わるかを正確に予想しなくては、商売ができないのだ。そのために、わしは大金を使って時局分析チームを雇っているのだ。つい先頃、わしの所に来たレポートによると、アメリカの参戦は1917年5月で、戦争の終結はその翌年の夏であると書かれている」

「今日は1917年2月12日だから、アメリカの参戦まであと3カ月ということですか。その後、1年少々で終戦になるとすると、航空機エンジン開発期間は少ししかないことになるな」

「戦争が終わった時に完成しても、一文にならない仕事だ。その時になって政府が開発費を保証してくれればいいが、そんなことを政府がするはずがない。だから止めた方がいい」

「政府の要請を断って大丈夫ですか」

「ヘンリー・フォードの例を知っているだろう。はっきり断れば、いいのだ。ビリー、これだけははっきり言っておくが、わしは自動車のことはよく分からん。だから君が好きなようにやっていい。だけど戦争に関することは別だ。わしは確かに戦争で儲けさせてもらった。この大切なお金を戦争で失いたくないのだ。だから君から話が来たGMの話に乗ったのだ。いいか、戦争ビジネスに突っ込んではいかん。この分野はわしだけで充分だからな。分かったな。ビリー」

「会長、よく分かりました。政府にははっきり断ります」と、デュポン会長に答えたのが3日前のことであった。

「ヘンリーは誰かから情報を得たに違いいない。だから俺の所に飛んで来たのだ。もしも社内で情報が流れているとしたら、まずいことになる。早く政府に回答した方がいいな。明日にでも行ってみるか」と考えるのであった。


社長室を出た時からリーランドの腹は決まっていた。
いや、部屋に行こうとした時から腹は決まっていたといった方が正確であろう。
熱狂的な愛国者で、戦争に勝利するためにアメリカ軍のために航空機用の高性能新型エンジンづくりに取り組むことをリーランドは決めていたのだ。

答を出さなくてはいけないのは、GM社が政府の要請を受ければ、ここで開発業務をすることになるし、要請を断れば独立してエンジンメーカーを立ち上げ、GM社を去るだけのことである。

こう考えたリーランドは、リンカーン社という新しい会社をすぐに立ち上げた。
ここで、“リンカーン”の名前を使ったのは、リーランドがリンカーン大統領の熱烈な崇拝者であったからだ。

できたての新会社での最初の仕事は、“リバティ”と呼ばれるパッカード社が設計したV型12気筒の航空機用エンジンの量産であり、このエンジンの信頼性を高めるために、精密かつ大量に生産することがリーランドの課題となった。
リーランドは生産ラインを効率的に組み合わせて大量生産に努めたが、従業員のなれの問題もあって、最初の頃は日産30基に満たなかったものが、やがて70基というぺースで量産ができるようになってきた。
(※18-28話【第594回】は、ここまで)


18-27.GMの歴史22~リーランドの愛国心~

ブログ『クルマの歴史物語』の「18章 元気なアメリカ車」は残すところ、本日と明日の2回だけとなりました。
18章に登場した人物はたくさんいます。
T型フォードの大成功で、アメリカ自動車業界の王者に躍り出たヘンリー・フォードは、超巨大なルージュ工場を建設し、大量生産によるさらなる低価格化を実現しました。

一方、GMの創業者でありながら、この会社を追放されたウィリアム・クラポー・デュラント(愛称のビリー・デュラントと表記)は、いつもGMの歴史の主役を演じています。
下野したビリー・デュラントに新車の設計図を持ち込んだルイス・シボレーは、共同でシボレー自動車会社を設立しました。
GMに引き抜かれたウォルター・クライスラーは、次第に頭角を現してゆきました。
ビリー・デュラントと手を組んだ大財閥の総帥ピエール・デュポンは、GMを手に入れ、ビリーの復帰を支援しました。
ビリーの部下だったチャールズ・ナッシュはGMのCEOに就いたものの、ビリーの復帰後は退社を決意し自分の自動車会社を設立しました。

18章の最後に登場するのは、キャデラック社を創業し、この会社をGMに売却したヘンリー・リーランドです。
熱烈な愛国者であるリーランドは、航空機用エンジンを生産することで国家に貢献したいという想いにとりつかれてしまったのです。

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●18-10.GMの歴史13~デュラントとシボレーの決別~
●18-11.GMの歴史14~デュラントの新発想~
●18-12.GMの歴史15~感性重視の新戦略~
●18-13.GMの歴史16~カラフル・シボレーの成功~
●18-22.GMの歴史17~GM社でのクライスラーの活躍~
●18-23.GMの歴史18~デュポン財閥の資本注入~
●18-24.GMの歴史19~デュラントとナッシュ~
●18-25.GMの歴史20~ナッシュ自動車会社~
●18-26.GMの歴史21~クライスラーの反骨~



18.元気なアメリカ車


 GM社内でリーランドとデュラント間で激突が発生した 


Leland.png

〈ヘンリー・フォードと並ぶ巨匠ヘンリー・リーランド=Henry Leland〉(1843~1932)

ヘンリー・リーランドは、自分が創業した会社をGM社に売却した後も、GM社内でキャデラック社の社長の地位を続けていた。

リーランドは、より精度の高いクルマをつくるにはどうしたらいいかという点に強い関心を持っていて、ヨーロッパ車の現状がどうなっているかを把握する視察旅行を欠かすことはなかった。

そこで、フランス車を調べているうちにド・ディオン・ブートン製のV8エンジンの高性能ぶりをみて驚き、早速1基を持ち帰った。
すぐにGM社グループ入りしたデルコ社の技師長のチャールズ・ケタリングに話をつけて、V8エンジンの開発をスタートさせた。
リーランドの期待どおり、誕生した新型車の〈キャデラック/V8〉はエンジンのすばらしさに加えて、巧みな宣伝によって大ヒット商品となった。

このクルマのエンジン回転のスムースさに着目したのはアメリカのリーダーたらんとする男たちばかりではなかった。

合衆国政府はキャデラックを生み出すリーランドのエンジン技術力の高さに着目するようになった。
国際情勢は大きく変化していた。中立にこだわっていたウッドロー・ウィルソン大統領は、度重なるドイツ軍のUボート攻撃による民間人の犠牲の多さから、〔イギリス+フランス〕協商国軍に加わることで、世界大戦に参戦する準備を急ぐことを考えるようになり、GM社に航空機用エンジンを開発して、これを量産するように要請してきた。


騒動の発端は、GM社の本社社長室に飛び込んできたヘンリー・リーランドの刺激的な発言から始まった。
「ビリー、お前さんは政府の要請に難色を示しているそうだな」

「いったい、薮から棒に何ごとだ」

「うちに来た航空機用エンジン開発要請のことだ!」

「そのことか。確かに政府から要請は来ているが、正式な回答はまだしてないが…」

「お前は断る腹づもりだな。もしも要請を拒絶するのなら、わしは許さんぞ」

「ちょっと待った。断っておくが、この話はGMに来たのであって、あんたのところに来たわけではない。したがって、これを受けるかどうかはGM社の代表である俺が決めることで、あんたがとやかく言う筋合いではないはずだ」

「それは違うぞ。政府が航空機用エンジンの開発要請をしたのは、キャデラックの技術を評価しているからだ。キャデラック以外のうちの技術はたいしたことがないことは誰でも知っている」

「それは言い過ぎだ。確かにキャデラックのV8エンジンはすばらしい。だからといって、GMの他部門を軽蔑する発言を俺は許さん!」

「本当のことだから、わしは言っているんだ。お前はGMの社長として、キャデラック以外には大した技術がないことを知っているだろう」

「ヘンリー、話はそのぐらいで止めないと、あんたには都合の悪いことになるぞ。これは警告と受け止めてもらってもいい」

「そんな脅しには屈しないぞ。いいか、わしはお国のために航空機用エンジンを開発する決心をした。これだけは覚えておくんだな」と、言い放ったヘンリー・リーランドは出口の方に歩みを進め、ばたんと扉を閉めたのであった。
(※18-27話【第593回】は、ここまで)


18-26.GMの歴史21~クライスラーの反骨~

ブログ『クルマの歴史物語』では、現在「18章 元気なアメリカ」の終盤に差し掛かり、残りの掲載は本日を含めて3回となります。
そこで、この機会に18章を振り返ってみましょう。
この時代、ヨーロッパ大陸ではイギリス・フランス軍とドイツ・オーストリア軍が熾烈な泥沼戦を繰り広げていました。
その一方で、アメリカ合衆国は中立を保ち、両陣営に武器弾薬を供給し、繁栄を極めていました。
そのアメリカでの自動車産業の発展ぶりを記したのが「18章 元気なアメリカ車」でした。

18章で記されたコンテンツを整理してみると、「自動車の歴史:アメリカ編」が3回、「レースの歴史:アメリカ編」が8回ありました。
またブランド別には、「ダッジの歴史」が2回、「フォードの歴史」が2回、「キャデラックの歴史」が2回ありました。
いちばんボリュームが多い「GMの歴史」に至っては明日、明後日を含めると11回の記事掲載となります。
今日のお話は、いつもに比べ少し長くなりますが、GMの役員会の様子をお伝えします。

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〔3部での掲載分〕
■14-16.GMの歴史12~シボレー自動車会社の発足~で「14章 GMの歴史」の項を検索
●18-10.GMの歴史13~デュラントとシボレーの決別~
●18-11.GMの歴史14~デュラントの新発想~
●18-12.GMの歴史15~感性重視の新戦略~
●18-13.GMの歴史16~カラフル・シボレーの成功~
●18-22.GMの歴史17~GM社でのクライスラーの活躍~
●18-23.GMの歴史18~デュポン財閥の資本注入~
●18-24.GMの歴史19~デュラントとナッシュ~
●18-25.GMの歴史20~ナッシュ自動車会社~


18.元気なアメリカ車


 GM社経営会議でクライスラーがデュラント社長に食いついた 



Chrysler.png
〈若き日のウォルター・クライスラー=Walter Chrysler〉(1875~1940)

GM社のビリー・デュラント社長体制では、毎月2回、第1火曜日と第3火曜日に経営会議が開催されることになっていて、執行役員全員が集まりお互いの業務報告をしあったり、会社として答を出さなければならない重要事項を審議することになっていた。

1916年12月後半の経営会議が10時から始まった。
この会議の議長は、CEO兼社長であるビリー・デュラントであるが、昨夜のクリスマスパーティで飲みすぎて、二日酔いで頭がもやもやしていた。
「皆さん、おはよう。今日もたくさんの議題があるので、議事の進行に協力するように。最初の議題は、トラクター分野への進出プランだ。この議案提案者は、トーマス君だな。それでは説明を始めたまえ」と口を切った。

これを受けて、事前に配られた資料に基づいて、経営企画室長のスコット・トーマスが説明を始めた。
20分ほど説明が進むと、デュラント社長から「トーマス君、もう少し簡潔に説明できんのか」と横槍が入った。
「分かりました」と答えて説明を続けたが、それから10分もしないうちに、またもデュラント社長がさえぎった。

「トーマス、今日は昼間までしか会議の時間がないんだ。早くしろ!」と怒鳴りつけた。

「申し訳ありません」と謝ったトーマスが後を急いだので、充分な説明をしないまま終了することになった。

「ただ今、経営企画室長から説明のあったトラクター事業への進出計画について、意見はどうかね」とデュラント社長が役員連中を見回したら、ウォルター・クライスラー副社長が発言を求めているのが目に入った。

「ウォルター、何だい」

「ただ今の説明では、当社がなぜトラクター事業に進出するのか、その目的が私にはよく分かりません」と発言した。

これを聞いたデュラント社長は二日酔いが急速に醒めるのを感じた。

そこに、「社長、私が答えてよろしいですか」とトーマスが発言の許しを請うてきたので、「いいよ」とデュラントは答えた。

「それでは、当社がトラクター事業に進出する目的に関して、重ねてご説明を致します。この事業進出の目的の第一は、わが国の農業近代化にとって欠かせないトラクター事業への進出が、当社の事業規模の拡大につながるという点です。これに伴って、3年後に予想される売上規模は、これをやらない時に比べて18%アップすることになっています」

「その時点で、トラクター市場内での当社のシェア予想は何%になっているかな」というクライスラー副社長の質問に対して、「この計画に基づくと、シェア獲得目標は初年次10%、2年次20%、3年次以降は30%になっています」とトーマスは答えた。

クライスラー副社長は発言を続けた。

「トーマス君、君はわが国の自動車業界における当社のシェアが何%かを知っているのかね。一時は20%以上あったのが現在では10%前後をふらふらしているのだ。シェアを取るのはそれほど難しいのだ。それを、3年間で30%のシェアを取るというのは、無謀な計画ではないか!」


不意を突かれて、回答できないトーマスに代わって、デュラント社長が口を出した。

「ウォルター。確かに君が言うように自動車業界は強者ばかりだから、シェアを取るのは本当に難しい。しかし、トラクター分野は違う。トップメーカーであるインターナショナル・ハーベスター社は長い間市場を独占してきたが、シェアダウンが著しく38%に落ちてしまった。最近、この市場にわが社のライバルであるフォード社が登場したが、急速にシェアアップを図っているという。フォード社がこの市場に新規参入したのは、競争相手が弱いと判断したからだろう。だから、われわれの力を持ってすれば必ず大きなシェアが取れることは間違いない」

「それは楽観過ぎませんか。私は農業機械産業の市場がどんな風になっているかをまったく知りません。ただ今の経営企画室長の説明では市場構造の把握が充分できません。市場構造が把握できていないのに、3年間で30%シェアを確保するという経営プランの妥当性は私には判断できません。したがって、この提案に賛成することはできません」

これを聞いたデュラント社長はクライスラー副社長を睨みつけ、「ということは、この案件には反対ということだな」

「私の意見は、本日の説明が充分でないので賛成できないと言っているだけです」と、クライスラー副社長が返事をすると、キャデラック部門のヘンリー・リーランドから発言があった。

「わしも、クライスラー君と同じ意見じゃ」


デュラント社長はトラクター事業進出プランに関して、既にデュポン会長と話がついていて、「デュラント社長が最後まで責任を持つなら、やってもいい」という回答を、会長から引き出していた。

たとえクライスラー副社長が反対しても、今日の経営会議で議決して、前に進むことを心中で決めていたので、デュラント社長は強引に採決に持って行くことにした。

「クライスラーとリーランド両名から賛成できないとの意見が出されたが、その他の方々の意見はいかがですかな。ただ今から採決に移るのでよく考えるように」と、出席者ひとりひとりの顔を見回しながら、断定調で発言した。

「それでは採決に移ることにしよう。賛成の方は挙手をするように」と、大きな声を上げ、2人以外の全員が挙手をしたのを満足げに確認した。

「挙手は5名、それに俺を加えて賛成が6名だな。ただ今の採決よって、トラクター事業進出プランは可決した。トーマス君、説明ご苦労さん。それでは次の議題に移ってくれ」


こうしてGM社の経営会議において、トラクター事業開発に関する議題は可決されて参入準備に入ることになったが、今回のようなビリー・デュラント社長の強引な意思決定のやり方をウォルター・クライスラー副社長は危険視し始めるようになった。
一方、再び自動車メーカーの経営に自信を持ち始めていたデュラント社長は、最近たてつくことが多いクライスラー副社長の存在が、気になり始めたのである。
(※18-26話【第592回】は、ここまで)


18-25.GMの歴史20~ナッシュ自動車会社~

本日のブログ『クルマの歴史物語』は、先週末から始まった8回連続の“GMの歴史”シリーズの4回目となります。
今回登場するアルフレッド・スローンという人物は、GMの発展に大きく貢献することで、後に有名になりますので、ぜひ着目していただきたいと思います。

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●18-13.GMの歴史16~カラフル・シボレーの成功~
●18-22.GMの歴史17~GM社でのクライスラーの活躍~
●18-23.GMの歴史18~デュポン財閥の資本注入~
●18-24.GMの歴史19~デュラントとナッシュ~

さて、ここのところアメリカ自動車業界では大きな変化が訪れ、ついこの前まで支配的であった燃費志向が急速に衰えているそうです。
この結果、ハイブリッド車の売り上げ増に大きなブレーキがかかり、販売不振が続いていた大型SUVやピックアップトラックの売り上げが急拡大しているという現象が発生しているようです。
この原因はガソリン価格の下落にあります。
申すまでもないことですが、ガソリン価格は原油価格にリンクしており、この原油価格が1バーレル当たり100ドル水準で高止まっていたものが、この数か月間で急落し今や50ドル以下の水準へ突入しています。

わが国のガソリン価格は急速な円安の進展と原油価格の下落が混じりあっていますので、アメリカほど極端な下落は見られませんが、それでもひと時に比べ相当安くなっています。
ここ数年燃費向上が自動車メーカー各社の最大眼目であった流れが、この原油価格下落の影響を受けて、少し変化するかもしれません。


18.元気なアメリカ車


 再び社長に就いたデュラントは順調なスタートを切った 



Nash.png
〈実直で苦労人のチャールズ・ナッシュ=Chales Nash〉(1864~1948)

GM社を辞めて精神的に開放されたナッシュに手を差し伸べたのは、銀行団から派遣されて暫定社長としてナッシュと一緒に仕事をやったことがあり、今はリー・ヒギンソン商会に戻ったジェームス・ストロウである。

ストロウは自動車メーカーの経営者としてのナッシュの実力をよく知っており、トーマス・ジェフリー社という小さな自動車メーカーを買収する提案をもってきた。

リー・ヒギンソン商会の資金に自分の退職金を加えた豊富な買収資金で、難なくこの会社を入手することに成功して社長に就いたナッシュは、1916年7月に会社名をナッシュ自動車会社に変更した。
そして、今度はGM社のライバルとして立ち上がり、翌1917年には排気量4リッターの6気筒車が“ナッシュ”というブランドで登場することになった。



デュポン財閥が持てる資金力で、再建銀行団から経営権を奪い取ったGM社では、ピエール・デュポン会長、ビリー・デュラント社長という強力な体制になってきた。

GM社の実権を手に入れたデュラント社長は、ピエール・デュポン会長が期待するGM社の拡大に向かって次々と手を打った。

最初の仕事は、デルコ社やハイヤット・ベアリング社などの部品メーカーを吸収して、これらを統合して自動車部品を製造する子会社のユナイテッド・モータース社を設立することであった。
この会社の社長には、ハイヤット・ベアリング社で社長をやっていたアルフレッド・スローンというスマートなビジネスマンを任命した。

スローンはマサチューセッツ工科大学(MIT)で電気工学を学び、大学を卒業するとベアリングをつくっているハイアット・ベアリング社に入社した。
やがて、テクニカル・セールスマンとして成長することになったスローンは、GM社に出入りしているうちにビリー・デュラント社長の目に止まり、ユナイテッド・モータース社の社長という重責を担うことになったのである。
(※18-25話【第591回】は、ここまで)


18-24.GMの歴史19~デュラントとナッシュ~

ブログ『クルマの歴史物語』では、先週の金曜日から“GMの歴史”シリーズ全8回が始まりました。
このシリーズには多彩な人物が登場しますが、GMの創業者でありながら放漫経営の結果、ここを追われることになったビリー・デュラントが常に主役を演じています。
次に、下野したビリー・デュラントに新車の設計図を持ち込んだルイス・シボレーが登場しました。
ルイスと共に創業したシボレー自動車会社ではビリーの才覚が花開き、“シボレー”の人気はうなぎのぼりに高まります。
こうなると、火薬ビジネスで大儲けしたデュポン財閥の統帥であるピエール・デュポンはビリーと接近し、二人は共同戦線を張り、GM入手に動いたのです。
一方、ビリーなきGMで頭角を現してきたのがエンジニアのウォルター・クライスラーであり、彼に関する説明は昨日完了しています。。
ここで、4人目の登場人物としてGMのCEOとして仕事の指揮をとるチャールズ・ナッシュが登場することになりました。

※※ブログ『クルマの歴史物語』既掲載分中の【GMの歴史】に関するリンク先※※
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●18-13.GMの歴史16~カラフル・シボレーの成功~
●18-22.GMの歴史17~GM社でのクライスラーの活躍~
●18-23.GMの歴史18~デュポン財閥の資本注入~


18.元気なアメリカ車


 銀行団が管理していたGM社はデュポン財閥に経営移管された 


こうしてGM社は、銀行団によって管理される会社から、デュポン財閥が支配する会社に生まれ代わったが、デュラントはすぐに全ての実権を取得したわけではない。
1915年11月の株主総会で、GM社の新しい取締役が選任された。
このメンバーはデュポンファミリーと財界名士によって占められて、取締役会の議長である会長にはピエール・デュポンが就くことになった。


アメリカの会社の多くでは、経営を指導し管理する役割を担う取締役(ディレクター)と現実の仕事を担う執行役員(オフィサー)に分離された経営組織で会社を動かしている所が多いが、GM社も例外でなく、執行役員が実務を担当していた。

日本の会社組織は取締役が経営の執行責任を担う会社ばかりであったが、20世紀に入って以降は執行役員制度を採用する所が多くなり、今では大会社を中心に執行役員体制は常識化しつつある。

ところが日本には、形だけ執行役員制度を採用して、取締役が本来担うべき管理監督業務と執行役員の執行責任がごちゃごちゃになっている会社が多いという現実がある。

その点、アメリカでの執行役員制度は年季が入っていて、事業を推進する全ての責任はオフィサーの代表者であるCEO(チーフ・エグゼクティブ・オフィサー)が担っているのだ。

デュポン支配になって初めて開催された取締役会で、新しい執行役員が選任されることになり、CEO兼社長は引き続きチャールズ・ナッシュが就くことになった。

新生GM社の執行役員としては、ナッシュの他は、ビリー・デュラント副社長、子会社のビュイック社のウォルター・クライスラー社長、キャデラック社のヘンリー・リーランド社長が主だった執行役員となった。


1864年に貧しい農家に生れたチャールズ・ナッシュは幼くして孤児となり、農家の手伝いをしながら成長し、12歳のときはビリー・デュラントの馬車工場に入社して技術を身に付け、デュラント社長に可愛がられながらアシスタントとしてビジネスのやり方を覚えた。

そしてデュラントが1908年にGM社を創立した時には、性格が素直で従順なナッシュはデュラントの右腕として、ビュイック部門の責任者に就いて、指示されたことを黙々とこなしてきた。

それが、時間経過の中で、今度はナッシュがGM社の社長でデュラントが副社長というように立場が逆転したのだから、2人の関係はうまく行くことはなかった。

一方、ナッシュが実権を持っていた時には、社長の信任を得て仕事がやりやすい環境にあったクライスラーは、会社全般の経営に関しても忌憚のない意見を述べてきた。
ところが、デュラントの発言力が増してくると、自分の見解と違うことが多くなり、会議の席上で対決するケースが度々発生するようになっていて、あまり居心地は良くなかった。

デュラントとの人間関係に疲れ果ててしまったナッシュ社長は新体制が発足して半年も経たない1916年4月に、ピエール・デュポン会長に辞表を提出して、GM社を去ることになった。
ナッシュは昔のボスに追い出されたわけで、今度はデュラントがCEO兼社長として6年ぶりに復帰して、会社の実権を奪取したのである。

この時、ビリー・デュラントは54歳という働き盛りであった。
(※18-24話【第590回】は、ここまで)