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22-26.GMの歴史45~アルフレッド・スローン著『GMとともに』~

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〈5日目、朝日に輝くビスタ・ロッジ〉







今日のブログ『クルマの歴史物語』は、「4部 花開く自動車文化」の「22章 GM社の再スタート」の最終日とであり、この章に書かれているGMストーリーの種本である『GMとともに』を、読者の皆さんにご紹介してします。

それでは、改めてこの22章を振り返ってみましょう。
1話と2話は「第一次世界大戦」であり、次いで3話と4話は「自動車の歴史:アメリカ編」でしたが、5話から連続して「GMの歴史」が26話まで続きました
「GMの歴史」の中では、初回となる“アルフレッド・スローンの登場”が3回、“スローンの企業組織論”が2回、“新生GMの経営革新”が3回、“ブランド戦略チームの発足”が4回、“ブランド戦略方針の確立”が3回、“新営業戦略の4本柱”が3回、“技術者ケタリングの信念”が2回というように続いて、本日の“アルフレッド・スローン著『GMとともに』”が最終回となります。
明日からは、「23章 クライスラー社の発進」がスタートしますので、ぜひご期待下さい。
まだまだ、ブログ『クルマの歴史物語』は続きますので、読者の皆さんの変わらぬご支援を宜しくお願い申し上げます。

さて、『天空のゲストハウス縦走~カナダ・エスプラナーデ~』の方は、4泊5日の最終日を迎えました。
この日は自分の持ち物の整理を終えたら、ビスタ・ロッジ周辺を軽くハイキングするだけでした。
そして、ロッジの近くのヘリコプター発着所から飛び立ては、エスプラナーデのトレッキング・ツアーは終わります。
幸いにして、心配された私の体調の方は、引き続き平熱で、鼻汁がいつもより多い程度であり特に悪い症状もなく、予定通りメンバー一行とヘリコプターに乗って、思い出の多いエスプラナーデを後にすることになったのです。



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〈5日目、ビスタ・ロッジから飛び立つヘリコプター〉








22.GM社の再スタート


 90歳になったスローンは1963年に『GMとともに』を出版し、大反響を巻き起こした 


『クルマの歴史物語 4部 花開く自動車文化』では、「22-05~07話 アルフレッド・スローンの登場」、「22-08~09話 スローンの企業組織論」、「22-10~12話 新生GMの経営革新」、「22-13~16話 GM社のブランド戦略チームの発足」、「22-18~19話 ブランド戦略方針の確立」、「22-20~22話 新営業戦略の4本柱」、「22-23~24話 技術者ケタリングの信念」というように、20話続いてアルフレッド・スローンを主人公としたストーリーが語られている。

ここでの参考文献は、スローン本人が書いた『GMとともに』である。
この本の新訳版が2003年にダイヤモンド社から出版されたので、読者の中にも読んだ人は多いと思う。

20世紀を代表する経営学者のピーター・ドラッカーは、この本の冒頭で「『GMとともに』は1963年、著者アルフレッド・P・スローンが90歳で永眠する3年前に世に出された。
発売後はまたたく間にベストセラーになり、今日に至るまで、経営者、マネージャー、経営を学ぶ人々の間で愛読されている。
私自身、過去25年間にわたって友人、クライアント、学生などに本書を勧めてきたが、その誰もが素晴らしい、そしてまた楽しい読み物だとの感想を抱くのだ。」と書いている。

筆者の実感もその通りで、20世紀末から数えて80年前のGM社のようすが、この本で生き生きと述べられている。

アルフレッド・スローンという人物は、現代経営の手本となるマネジメントを世界で初めて企業内で実践した人物として知られている。
そして、数字に強い冷徹な経営者像がイメージされているが、この本を読み進むうちに、スローンのイメージを修正する人が多くなることと思う。
スローンは、企業を支えるのは人間である点を強調しており、ひとりひとりの人間がやる気をもって仕事に取り組み、ビジネスマンとして才能の芽を伸ばすようにするのが組織であると主張しているのだ。

向上心があって、企業内組織のあり方に関心を持つ読者の皆さんに、ぜひ『GMとともに』を読むことをお奨めする次第である。

(※22-26話【第786回】は、ここまで)



22-25.GMの歴史44~プロジェクトチーム提案の採用~

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〈5日目、久方ぶりの晴天で迎えたビスタ・ロッジに隣接したビスタ湖〉






本日のブログ『クルマの歴史物語』は、「22章 GM社の再スタート」では、最終回の前の回で、“プロジェクトチーム提案の採用”となります。

さて、9月から続けてきたエッセイ『天空のゲストハウス縦走~カナダ・エスプラナーデ~』の方は、書き始めてから3ヶ月目の後半に差し掛かっていまして、4泊5日のトレッキング・ツアーの4日目まできています。
実は、私の体調は3日目辺りから悪化しつつありました。
もうすこし厳密に事実を振り返ると、日本を出発する日の朝、少し異変があって、風邪のような症状が現れたのです。
これはいつもと違うなと懸念して、海外旅行に必ず携行しているわけではありませんが、今回は大事を取って体温計と風邪薬を持参したのでした。
カナダに到着して以降、体調変化が現れるきっかけとなったのは、トレッキング3日目の寒波襲来時以降のことで、低体温症の危険を感じるほどの寒さの中で、鼻汁がかつて経験したことがないほど流れ続けました。
この日は、メドウ・ロッジに到着しサウナに入ったことで、何とか体調を取り戻し、予防の意味を込めて持参の風邪薬を服用しました。
翌4日朝、特別な体調不良もなかったので、メンバーの皆さんと同一行動をして、カナデイアン・ロッキーのすばらしい眺望を楽しむことができました。
ところが、昼過ぎから降り始めた雨の中のトレッキング時には、再び鼻汁に悩まされることになり、明らかな体調不良状態に陥りました。
ビスタ・ロッジに到着後、体温を調べてみたら全くの平熱であり、鼻汁は出るものの他には風邪の諸症状は出ていませんでしたので、この夜も風邪薬を飲んで眠りについたのです。
そして、5日目の最終日を迎えました。
この日は朝から快晴で、2日続いた曇り空とは打って変わって、素晴らしい一日になるに違いないと大いに期待したのです。


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〈朝の輝きの中に、七色の虹が出現しました。〉







22.GM社の再スタート


 説明を終えたチームメンバーに、全ての戦略を採用するとの知らせが届けられた 



ケタリングが説明を終えて席に就くと、リーダー役のアルフレッド・スローンが、まとめの話を始めるためにゆっくりと立ち上がった。

「これで、プロジェクトチームの5つの戦略の説明は全て終了しました。
最後に私から戦略の理解について、少しお話をさせていただきたいと思います。
本日の提案に関しては、経営委員会での審議の結果、何らかの結論を得ることになりますが、プロジェクトの提案をこの会社で生かすためには、全ての事業部が足並みを揃えて、全社の方針に従うことが大切となります。
今回スタートを切った新しい事業部制では、事業の成果に至る全ての権限が事業部長に委ねられています。
そうなると、その前提となる“戦略”の理解がたいへん重要となりますが、『戦略とは見えざるものなり』と古代より表現されているように、理解することが難しいものです。
私は、戦略とは考え方のフレームともいえる“コンセプト”に他ならないと思っています。
戦略をコンセプトと定義すると、この内容を理解することは難しいことではありません。
そういう意味では、本日のプロジェクトチームの説明は、GM社の新しい企業コンセプトを提案したということになります。
表現を変えると、当社の経営幹部として一時も忘れてならない基本的な考えとなるのが、本日の5つの提案なのです。
新戦略方針が確定すれば、GM社で働く経営幹部はこのフレームの枠内で仕事をしなくてはなりません。
そして、各事業部が全体戦略の枠組みの中で、自主的に仕事をするようになれば、GM社の将来の発展は限りないものとなるでしょう。
この点を強調させていただくことで、本日予定されていたプロジェクトチームの説明は全て完了となります。
一方的な説明ばかりでしたので、ご質問も多いと思いますので、さっそく受けたいと思います」

これを捉えたピエール・デュピンから、「チームの皆さん、短時間のプロジェクトでしたが、本当によく頑張ってくれました。今日の説明内容は、期待していた以上でした。私から、チームの皆さん全員にお礼を申し上げます。経営委員会の皆さんは、プロジェクトメンバーの努力に報いるためにも積極的に質問をしてください」と言葉があった。

この後、ジョン・ラスコブとエイモリー・ハスケルから数々の質問がなされ、これらに対して、各々のメンバーが的確な答えをしたので、スローンが手助けをするような局面はついぞ現れなかったし、ピエール・デュポンは、質問を2人に任せて、自らは疑問をぶつけることもなかった。

ここで昼食の時間となり、プロジェクトメンバーは退くことになった。
スローンから、「ランチ後に再開された経営委員会で、今回の提案を即時実行することが正式決定された」とメンバー全員に連絡があったのは、この日の経営委員会が終了した午後4時過ぎのことであった。

(※22-25話【第785回】は、ここまで)


22-24.GMの歴史43~技術者ケタリングの信念②~

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〈4日目、曇天の中でブルーレイクの色も冴えません。〉






さて、ブログ『クルマの歴史物語』は、熱心な読者のおかげで昨日の掲載が783回になりました。
1週間7日の内、月曜日から金曜日まで週5日間は新しい記事を掲載していますので、783日を週5日で割ると157週という数字になります。
通常1年間は52週ですので、単純に157週を52週で割ると、ちょうど3という数字になりますので、このブログは3年間続いているということになります。
ところが実際は、心臓手術で入院したり、旅行に出かけたりしてお休みをいただくことも多々あります。
振り返ってみますと、ブログ『クルマの歴史物語』の初回掲載日は2012年6月12日でしたので、そこから数えると本11月27日は、掲載開始日から3年4ヶ月と16日目ということになります。

一方、エッセイ『天空のゲストハウス縦走~カナダ・エスプラナーデ~』の方は、4日目の様子をお伝えしています。
朝方曇りの中を出発した4日目は、かなりハードなトレッキングが続きました。
お昼ごろまでは、曇り空ながら、それほど温度が低くならず助かりました。
このまま天気が、ロッジに着くまでもってくれればいいが・・・との期待は、見事裏切られることになり、昼食後は雨が降り続きました。
充分な雨対策の装備をしているだけに深刻な事態を招くことはありませんが、やはり晴れた方が気持ちいいに違いありません。
この辺りは確かに太古の自然のままの美しい景観の連続なのですが、気持ちよく歩くには程遠い状況となっていたのです。


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〈4日目、雨降る中をひたすらビスタ・ロッジを目指す。〉







22.GM社の再スタート


 ケタリングはGM社の技術優位性を証明するために、空冷エンジンの開発を主張した 


プロジェクトチーム技術担当のケタリングは話を続けた。

「本日のプロジェクトチームでの技術チームのリーダーの発表として、これからのGM社の先進技術のシンボルとなる空冷エンジンについて、説明を致したいと思います。
空冷エンジンに関しては、今まで何度もお話をしてきましたが、改めて、なぜ空冷エンジンなのかから話を進めたいと思います。
今から3年前に遡りますが、当時デルコ社の技術責任者であった私は、デイトンの研究所で空冷エンジンの実験にとりかかりました。
空冷方式はシリンダーにフィンを取りつけて、そこに風を送ってエンジンが持つ高熱を冷却させる構造であり、原理そのものは新しいものではなく、初期のタイプはフランクリン車にも採用されています。
フランクリン車は鉄のフィンを用いていましたが、私は熱伝導率において鉄に対して10倍勝る銅でフィンをつくって、シリンダーに溶接しようと考えました。
銅製フィン付きのエンジンブロックを開発するには、鉄と銅との間の膨張率の違いがあるため、さまざまな難問が持ち上がっていまして、この解決には高度な冶金技術が求められていますし、量産化には一層の問題解決が必要になっていることは申すまでもありません。
空冷エンジンは、水冷方式と違ってラジエターと水の配管パーツが不要であるのでコストの削減ができますし、部品が少ない分、重量を軽くすることができます。
その上、エンジン性能をアップすることも期待できますので、この実用化技術をGM社が完成すれば、業界で大きな注目と賞賛を集めることは間違いありません。
研究所チームは1年10カ月前のGM社の役員会で、空冷エンジンに関する研究成果を報告致し、その時点で研究の継続指示を受け、今日まで着実に技術開発が進行しております。
この席にいらっしゃるデュポン会長、ラスコブ副会長、ハスケル役員、スローン役員、ジンマーシード部長の5名の方にデイトンの研究所におこしいただき、開発状況の把握をしていだだきました。
その時点で、試作車を製作して、厳しい条件のもとでテストし、その後に実用化の可否を判断することが確認されています。
あの時から10カ月が経過し、今日の発表を迎えることになりました。
われわれプロジェクトチームの提案を聞いていただいた後に、経営委員会で審議の上、空冷エンジン採用の最終判断がなされるということを、スローン氏から聞いております。
私たちメンバーは数多くの激論を重ねた結論として、シボレーの4気筒エンジンとオークランドの6気筒エンジンを空冷エンジンに切り替えることを提案いたします。
ただし、本日時点で空冷エンジン量産化に際して100%問題解決ができているわけではありませんので、若干の時間を必要としています。
これらの問題が解決されるのは本年末の見通しですので、切り替え時期は来年1月以降になるものと想定しています。
本日の私の説明は、空冷エンジンに絞っております。
申すまでもないことですが、空冷エンジンはGM社の技術優位性のほんの一部に過ぎません。
この他にもたくさんの優位性のある技術が、当社には存在しています。
どんな技術分野でアドバンテージを発揮しているかに関しては、別の機会をいただいて私から説明させていただきたいと思います。
経営委員会メンバーの皆様におかれましては、当社の自動車技術力が合衆国ナンバーワンであることに、自信を持って経営にあたっていただきたいと思います。
本日は私の話を聞いていただきまして、ありがとうございました」

5つの専門チームの最後となる技術戦略チームを代表するチャールズ・ケタリングの信念溢れる説明があって、プロジェクトチームによる全ての説明が完了した。

(※22-24話【第784回】は、ここまで)


22-23.GMの歴史42~技術者ケタリングの信念①~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のコンテンツは、“新営業戦略”の4本柱から、“技術者ケタリングの信念”に移ります。

アルフレッド・スローンが組織化したGM社のプロジェクトチームが提案した新営業戦略の4本柱とは、①ディーラー政策、②割賦販売、③中古車の下取り、④年次モデルチェンジでした。
現代から見れば当たり前のこれらの提案ですが、それまでのアメリカ自動車業界では画期的な戦略思想だったのです。
今から90年以上前のことですが、これら4つの新戦略を採用することで、GM社はフォード社を追い抜いて全米ナンバーワンの自動車メーカーとして君臨するようになりました。
やがてフォード社も経営方針を大転換しGM方式に追随するようになり、さらには誕生まもないクライスラー社もGM方式を採用し、ビッグスリーを構成する一大メーカーに成長するのです。

第二次世界大戦後、わが国の自動車産業はよちよち歩きながら、市場にニューモデルを投入することで、確実に成長を重ねるようになりました。
そこで、トヨタ自動車を始めとした多くの自動車メーカーが採用したのが、①ディーラー政策、②割賦販売、③中古車の下取り、④年次モデルチェンジ、というGM社と全く同じ営業戦略でしたが、ただ一点、GM社と大きく異なる戦略がありました。
それはブランド戦略です。
GM社は、最初から高級車のキャデラック、中高級車のビュイック、大衆車のシボレーといように客層に合わせたブランド戦略を採用していました。
それに対して、トヨタ自動車は“トヨタ”ブランド一つで全ての日本人ユーザーに対応しようと考えたのです。
(トヨタが、わが国の高所得層を狙って創造した“レクサス”ブランドは、わずか10年間しか歴史がありません。)
ブランドは一つにかかわらず、トヨタ自動車がトヨタ系、トヨペット系、カローラ系、ネッツ系というディーラー政策を採用している点は、GM社とは大きく異なるポイントです。
ところが最近のトヨタ自動車は考えが大きく変化して、全系列店併売車種がだんだん多くなっています。
最量販車であるアクアやプリウス、最近ではシェンタも全店取扱い車種になっていますが、この背景としては、トヨタなりに新しいブランド戦略を構築するという思惑が見え隠れしていると私は思っているのです。



22.GM社の再スタート


 最後の「技術戦略」はC.ケタリングの「技術に不可能はない」という信念から始まった 


ノーバル・ホーキンズの説明途中でのジョン・ラスコブの拍手で、ブランド戦略プロジェクトチームの成功を確信したリーダー役のアルフレッド・スローンは、技術戦略チームを紹介するために立ち上がり、話を続けた。

「本日のブランド戦略プロジェクトチームの説明は、チャールズ・モットによるブランド基本戦略から始まって、ハリー・バセットの価格戦略、次いでK.W.ジンマーシードの大衆車戦略、先ほどのノーバル・ホーキンズによる営業戦略と続きました。
本日の説明の最後は、皆さんご存じの当社技術陣の至宝であるチャールズ・ケタリング氏による技術戦略の説明に入ります。
それではケタリングさん、お願いします」

これを受けたケタリングは、途中で拍手を受けたホーキンズに負けてなるものかと、説明を始まる前からアドレナリンの分泌が多くなっていた。

「私は、今回のプロジェクトのメンバーに選任され、たいへん光栄だと思うと同時に、技術チームのリーダーとして、本日トップの皆様へお話ができることを心から喜んでいます。
簡単に自己紹介させていただくと、私はオハイオ州立大学で機械と電気工学を学んで卒業後、NCRでキャシュレジスターの電動化の仕事をやりました。
皆さんがアメリカ中のお店やレストランで支払いをする時に目にする電動レジスターは、私が発明したものです。
NCRは私の発明から生み出される成果を全部会社が取り込んで、私個人には何の見返りもくれなかったので、腹を立ててここを辞めました。
その後、自動車用電装品をメインビジネスとするデルコ社の設立に参画したところ、キャデラック社のリーランド社長からセルフスターター開発の依頼を受けました。
私は小型モーターを使用してエンジンを始動するアイデアにこだわり、1912年に電動セルフスターターを完成させました。
この装置は、全ての自動車メーカーで採用されるヒット商品になりました。
その後、デルコ社がキャデラック社から請け負ったのがV8エンジンの開発であり、これが私とエンジン開発の初めてのかかわりとなりました。
私が開発したV8エンジンには、イギリスで最高の権威といわれるデュワー賞を受賞することで、優秀性に折り紙が付けられました。
今から5年前に、デルコ社はユナイテッド・モーターズ社の傘下に入りました。
そのユナイテッド・モーターズがGMグループ入りしたことで、現在GM社の技術に関する総責任者をやっております。
私は45歳となりましたが、大学を卒業して以降の20年以上にわたって携わった技術開発に全て成功をしていることを、皆様にご報告いたします。
それが故に、私には“技術開発に不可能はない”という信念があります。
例えば、セルフスターターの時ですが、リーランド社長から開発依頼を受けたのは私だけではありませんでした。
多くの技術者は機械式にこだわりました。
私が電気式で悪戦苦闘していた時、彼らは電気式では絶対不可能とあざ笑っていたのです。
しかし、私は“技術に不可能はない”という信念で、問題解決に取り組んでついに完成させたのです。
もう一点、この機会に強調しておきたいのは、自動車メーカーであるGM社が送り出すクルマは、技術優位性のあるクルマでなくてはならないという点です。
他のどれより技術的に優れたクルマでなければ、売り込み競争をする上で、どうしても価格競争に陥ります。
そうなれば、フォード社のように低コスト生産にたけた会社のクルマには、勝つことができません。
創業当時のGM社には、技術優位性を確立する姿勢が欠けていましたが、私が当社の技術責任者になって以降、この点を口をすっぱくして言ってきましたので、最近は技術重視の思想が浸透してきましたが、まだまだです。
これからも、“技術のGM”と人々から尊敬を持って呼ばれるようになるまで、技術優位の重要性を繰り返し主張するつもりです」

ブランドプロジェクトの技術チーム代表としてのケタリングの発言は、いつしか自分の立場を離れて、日頃GM社の技術リーダーとして考えている思想表明の演説になってきた。
この会議室には、経営委員会メンバーのピエール・デュポン、ジョン・ラスコブ、エイモリー・ハスケル、アルフレッド・スローンと、プロジェクトメンバーのチャールズ・モット、ノーバル・ホーキンズ、ハリー・バセット、K.W.ジンマーシードがいたが、自分以外には誰ひとりとして技術者がいないことで、ケタリングは自説の主張にいつになく力が入っていた。

(※22-23話【第783回】は、ここまで)


22-22.GMの歴史41~新営業戦略の4本柱③~

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〈カナディアン・ロッキーの、カーメードア・グレーシャー(氷河)を望む〉





今日のブログ『クルマの歴史物語』は、火曜日から始まった“新営業戦略の4本柱”の3回目となります。

さて、4泊5日のエスプラナーデ・トレッキングは、既に3泊3日が終了し、残すところ1泊2日だけとなりました。
4日目の7月22日(木)、リーダーのTさんに引率された11名のメンバーは、いつもの順番で並ぶ隊列を組んで、本日の目的地であり、同時に宿泊場所であるビスタ・ロッジを目指してメドウ・ロッジを出発しました。
4日目の行程は思いのほかハードでした。
途中ではかなりの登り坂が続くことでしんどい思いをしましたが、このエスプラナーデ・トレッキングのハイライトともいえる素晴らしい景観が続くことで、私の疲れを少し癒してくれました。
ここで、出発前のオリエンテーションで教わったことを思い出していただくと理解は早いのですが、エスプラナーデ山地は、コロンビア川を挟んでカナディアン・ロッキーの対岸に立地しています。
従って、私たちから見える白銀の峰々は、全部カナディアン・ロッキーであり、標高3,000m、4,000m級の山々が連なっています。
中でも、カーメードア・グレーシャー(氷河)を、間近に見たのには感動しました。
その一方で、この日は7月23日という北半球では1年でいちばん温度が上がる時期であるはずなのに、ここでは残雪地帯のトラバースを余儀なくされるなど、ハラハラドキドキを体験したのです。


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〈4日目、残雪をトラバースする。〉






22.GM社の再スタート


 営業戦略4本柱の最後として、N.ホーキンズは“年次モデルチェンジ”に論を進めた 




「ここまでの説明で、①ディーラー政策、②割賦販売、③中古車の下取り、④年次モデルチェンジ、という新営業戦略の4本柱のうち、3項目の説明は既に完了しましたので、これから4つ目である年次モデルチェンジに話を進めます。
自動車産業史の第2期に位置付けられている今日、われわれ自動車メーカーの関係者には、モデルチェンジという概念は存在していません。
特にT型という永久モデルを継続生産することしか考えていない最大手のフォード社では、モデルチェンジは禁句となっています。
この後、ケタリングさんから『GM社は常に技術優位性を追求する姿勢が重要だ』という説明があると思いますが、この思想とモデルチェンジは強い関連をもちます。
私たちGM社は、同じモデルをつくり続けるフォード社に対して、技術の進展を毎年のモデルチェンジに結びつけるという年次モデルチェンジに挑戦して、業界トップの位置を奪い取ろうと考えました」

ここで突然“業界トップ”という、経営委員会のメンバーにとって刺激的な言葉が飛び出した。
この挑発に乗せられてしまったメンバーは、目を輝かせてホーキンズの次の言葉を待ちわびることになった。

「現在、当社とフォード社の間には、年間販売台数で70万台もの大差がついています。
しかし、私たちチームメンバーが想定しているような多様化の時代に入っても、フォード社がT型を継続生産し、一方当社がプロジェクトチーム提案のブランド基本戦略、価格戦略、大衆車戦略に則って、魅力的な新型車へのモデルチェンジを繰り返すことになれば、10年以内に当社が業界トップの地位をフォード社から奪うことは決して不可能ではありません」

この言葉を聞いたジョン・ラスコブが感激のあまり拍手をし、ピエール・デュポンもつられ、それにエイモリー・ハスケルが加わった。
説明中のノーバル・ホーキンズは思わぬ展開にあっけにとられ、モデルチェンジの重要性を指導してきたアルフレッド・スローンは密かにほくそえむのであった。

「これからのGM社は、シボレーで大衆車市場に再挑戦することになりますが、収益源となるのはミドルクラス車と高級車であることは変わりません。
ミドルクラス車と高級車市場を活性化するためには、クルマをより魅力的にするモデルチェンジが欠かせません。
モデルチェンジのやり方は、フルモデルチェンジとマイナーチェンジの2つあります。
フルモデルチェンジは4~5年に一度、シャシーを含めてクルマの全ての中味を新型に変えるもので、スタイルは全面変更となります。
これに対して、マイナーチェンジは、外観の一部を変更して新規性を出すというやり方です。
年次モデルチェンジ車の発表は、毎年同じタイミングに設定します。
例えば、1923年モデルの発表時期は、前年の11月というようにするのです。
こうすることによって、当社の開発陣は、発表時期に合わせて仕事の段取りをつけることができるようになります。
このモデルチェンジの思想はGM車の全てに適用することを私たちは提案いたします。
モデルチェンジすることでコストアップが懸念されますが、コストの増加分は売上の上昇で吸収することにします。
そのために、コストアップを最小に抑えて、売上増加に直結するモデルチェンジのノウハウ蓄積が必要になります。
わが国の自動車の年間販売台数が400万台を突破する時代がすぐそこにやってきますが、その時点でのマーケットリーダー車が10年以上経過したT型であることは考えられません。
GM車がT型にとって代わる可能性があるとしたら、本日説明がなされたブランド基本戦略、価格戦略、大衆車戦略に加えて、私から説明を致しましたディーラー政策、割賦販売制度、中古車の下取り、年次モデルチェンジという新営業戦略の4本柱が確実に執行される時でしょう。
われわれGM社が、アメリカ合衆国の自動車業界のトップ企業になれるチャンスは決して遠い時期ではないことを、重ねて強調させていただき、私の説明を終えさせていただきます。本日は、ご静聴ありがとうございました」

深々と頭を下げたホーキンズが着席すると、一段と大きな拍手が沸き起こるのであった。

(※22-22話【第782回】は、ここまで)