FC2ブログ

27-37.清国との戦争突入④~日本国の勝利~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「清国との戦争突入」の4回目で“日本国の勝利”とサブタイトルが付いています。
今回をもって5部の最初の章である「27章 明治維新という大革命」は終わりとなります。
しばらく夏休みをいただき、8月15日にブログ『クルマの歴史物語』は再開し、新しい章である「28章日本車の始まり」がスタートします。

この機会に、「27章 明治維新という大革命」を振り返ってみると、01~07は「5部を始めるに当たって」でした。
08~12は「明治時代の始まり」、13~16が「三菱&三井ストーリー」、17~20が「文明開化と人々の暮らし」、21~22が「民間企業の誕生」というように続きました。
そして、23と24で「三菱&三井ストーリー」が再び登場し、次は「明治時代の交通革新」が25~29、さらに「民間企業の誕生」というように続いて、最後の34~37である「清国との戦争突入」で27章の37話は終わることになりました。

さて、毎日暑い日が続いています。
かってなことを申して恐縮ですが、明日8月3日から8月14日まで夏休みをいただきます。
ブログ『クルマの歴史物語』の再スタートは8月15日(月)となりますので、ご了承を宜しくお願いします。


27.明治維新という大革命


 朝鮮半島の利権を争っている日本と清国間の一触即発関係から戦争が始まった 


明治維新以降、近代化を走り続ける日本は西洋文化だけでなく、ヨーロッパ列強で常識となっている帝国主義思想を取り入れた。

日本が最初に領土的な野心を抱いたのは台湾であった。
1871(明治4)年に、琉球の漁師が台湾に漂着したら台湾住民に殺害されるという事件が起きた。
この問題に関して清国と話し合いが持たれたがいっこうに進展することはなく、事件発生3年後に日本は懲罰を目的として台湾出兵を強行した。

台湾に次いで、日本の関心は「李氏(りし)朝鮮」が治める朝鮮半島に向かった。
西郷隆盛らが主張する征韓論を押えて、大久保利通がリードする政府は、朝鮮との間で1876(明治9)年に条約を結んだが、この内容は朝鮮にとっては不平等なものであった。


この頃から日本は清国を仮想敵国と想定するようになった。
清国との間に戦争が発生した場合、敵国の戦力がどの程度で、日本として準備しておくことは何であるかの研究を積み重ねて、軍備拡張に努めていた。
陸軍は、歩兵、騎兵、野砲兵の体制を整えるとともに兵員の増強を図った。
海軍は6隻の大型戦艦を海外から購入するなど、装備の近代化を推し進めていた。


明治維新の成功によって国力を蓄えてきた日本にとって、最大の脅威はロシアの動きである。
不凍港を求めて東アジアに目を向け始めたロシアは1891(明治24)年に、ヨーロッパと極東を結ぶシベリア鉄道の建設に着手した。

ロシアの領土的野心が、中国東北部に位置する広大な満州に留まるのか、朝鮮半島を狙うのか、さらには日本を支配下に置くことまで考えているのか、世界最大の領地を持つ大国ロシアの動きには目が離せなくなった。


さて、朝鮮半島を治めている李氏朝鮮の国王高宗(こうそう)と妻の閔妃(ビンピ)は贅沢三昧な生活に浸っていたら、1894(明治27)年6月に、農民が武力で立ち上るという事件が発生した。

これを知った清国が暴動制圧に向かって出兵したことを知った日本政府は、在留日本人の保護という理由をつけて、すぐに朝鮮半島への派兵を決定した。


農民の反乱はほどなく武力で鎮圧されたが、清国軍と日本軍はそのまま居座り、両軍の一触即発状態が続いていた。
そこに、日本海軍が清国艦隊を攻撃したことで火がついて全面的な戦闘状態に突入して、8月1日に宣戦布告がなされ〔日本VS清国〕戦争が始まった。

日本では大量の兵員輸送が緊急課題となった。
東海道線と山陽鉄道を使って広島までは鉄道輸送で、広島の宇品港から船による兵員輸送をしたが、朝鮮半島や中国大陸に上陸してから難関が待ち受けていた。

大量の武器や食糧を陸上輸送する馬車がなく、やむなく人力で運ぶことになった。
この輸送は、通常兵力では足りないので、日本国内や現地で徴用した大量の人員が、鉄砲を背負い大砲や食料を満載した大八車を引っ張った。

この時代の日本では、鋼鉄製の大砲をつくりたくても、技術も原料となる鉄鉱石もなく、江戸時代からある青銅砲を集め溶解して、イタリア式青銅砲を製造した。
こんな青銅砲でも敵軍に向かって発砲すると、寄せ集め部隊の清国軍はその音で恐れをなしてすぐに逃げ出した。

しかし海戦となると逃げ出すわけに行かず、黄海開戦では12隻の日本艦隊と14隻の清国艦隊が戦い、なかなか決着がつかなかったが、よく訓練された日本海軍の技量が勝り、勝利することができたのである。


こうして、陸戦でも海戦でも日本軍は清国軍に圧勝することができて、1895(明治28)年2月に日本軍の一方的な勝利で〔日本VS清国〕戦争は決着したのである。
(※27-37話【第950回】は、ここまで)



27-36.清国との戦争突入③~鹿鳴館舞踏会~

本日より8月に入りました。
また、今日は月曜日ですので、今週もブログ『クルマの歴史物語』は週5日更新を続けます。
本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「清国との戦争突入」の3回目で“鹿鳴館舞踏会”とサブタイトルが付いています。
そして、本日は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の34回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その34】※※※※※※※※※※

●『欧米日・自動車メーカー興亡史』●

〖本書の概要〗
・桂木 洋二(かつらぎ・ようじ):著
・2004(平成6)年8月に、グランプリ出版から定価2,200円で初版を発行
・BOOKカテゴリー:教養書
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★☆☆、経営・マーケティング★★★★★、
    レースファン★★★☆☆、オールドカーファン★★★☆☆
・入手容易度:A

〖本書の案内〗
1945(昭和20)年に東京都で生まれた著者:桂木 洋二(かつらぎ・ようじ)氏は、自動車雑誌編集を経てクルマ関係のレポートや解説などを執筆しています。
著書に「てんとう虫が走った日」、「日本における自動車の世紀・トヨタと日産を中心にして」、「歴史の中の中島飛行機」、「プリンス自動車の光芒」(いずれもグランプリ出版)などがあります。
本書はタイトルが示すように、自動車産業勃興以降のヨーロッパ先進国とアメリカ合衆国の自動車メーカーの生き残り競争の様子をいきいきと記しています。
また、第3部では、そこに割って入った日本車メーカーの様子を加えるなど、雄大な構想に基づいて、事実を精緻に伝えています。
大変な力作ですので、皆さんにお勧めします。

〖本書の目次(ページ構成)〗
■第1部 序(P.7~P.11)
 ・第 1章 ドイツにおける自動車の誕生、(P.12~P.30)
 ・第 2章 フランスにおける自動車メーカーの誕生、(P.31~P.47)
 ・第 3章 ダイムラーとベンツのメーカー活動、(P.48~P.58)
 ・第 4章 その後に誕生した自動車メーカーの活動、(P.59~P.78)
■第2部 序(P.79~P.83)
 ・第 5章 初期の自動車メーカーの動きとフォードの活動、(P.84~P.96)
 ・第 6章 ゼネラルモータースの成立と初期の活動、(P.97~P.103)
 ・第 7章 大量生産体制の確立による新時代の到来、(P.104~P.121)
 ・第 8章 ヨーロッパのメーカーに与えた大量生産方式の影響、(P.122~P.129)
 ・第 9章 ビッグスリーによる寡占体制の確立、(P.130~P.152)
■第3部 序(P.153~P.155)
 ・第10章 戦前の日本の自動車メーカーの動向、(P.156~P.181)
 ・第11章 戦後の混乱を抜け出して、(P.182~P.199)
 ・第12章 成長する自動車メーカーと競争の激化、(P.200~P.227)
 ・第13章 日本車の輸出と海外メーカーの動向、(P.228~P.239)
 ・第14章 成長の限界が叫ばれている中での発展、(P.240~P.258)
 ・第15章 グローバル化の中の日本の躍進、(P.259~P.276)
 ・第16章 日本が世界をリードする時代の到来、(P.277~P.307)
   ・燃料電池車の開発レース、そしてメタ・ビークルの誕生へ、(P.308~P.311)


34欧米日・自動車メーカー興亡史
〈「欧米日・自動車メーカー興亡史」の表紙〉










27.明治維新という大革命


 条約改正の条件を整えるために国会創設と並んで鹿鳴館での舞踏会が開催された 


国会創設と並んで、条約改正のために解決を急がなくてはならないテーマは“憲法”制定である。

この認識に関しては、政府も自由民権運動家も違いはなかった。
民権運動家が急速にことを進めようとしていた。
伊藤博文が指導する政府は、先進諸国の憲法の中から日本の範になる憲法の研究にいそしみ、ベルギーないしはプロイセンの憲法を参考にして憲法草案づくりの準備を進めることになった。


その一方で、不平等条約をいかに解決して新しい国際関係を樹立するかに腐心している井上 馨外相は、日本に住んでいる外国人高官との人的交流の必要性を強く実感していた。

こうした井上の考えに基づいて、政府は東京日比谷公園のそばに鹿鳴館(ろくめいかん)という名前の洋風建築物をつくった。
ここは日本の要人たちと在留外国人高官との社交の場であり、懇親パーティ、舞踏会、バザーなどを開いて人的交流機会を増やすことになったが、西洋では夫人同伴が常識なので、要人たちの奥方や令嬢も参加することが強要された。

いちばんのイベントである舞踏会では、男たちは燕尾服(えんびふく)でめかしこみ、女たちはカラフルな西洋ドレスをまとい、華やかな雰囲気の中でダンスに興じるのであった。


さて、かねてからの課題である憲法問題に関して、1889(明治22)年2月に日本国の憲法が発布され、国民は各種の権利が保障され、選挙で衆議院議員を選ぶことができるようになった。

法律や予算の成立には議会の承認が必要とされ、衆議院と、華族中心の天皇任命議員からなる貴族院から構成される2院制度が発足した。


憲法発布の翌年には、満25歳以上の男子で一定額以上の納税者に選挙権が与えられ、日本で初めてとなる衆議院議員選挙が行われて、当選した議員たちによって帝国議会が開催された。

これによって日本は、アジアで最初の議会をもつ立憲国家としての歩みを始めるのであった。

こうした日本の動きを高く評価したのはイギリスである。
新聞『タイムズ』が、憲法のできの良さを称えたこともあり、イギリス政府は日本からの条約改正要請に同意した。
治外法権を撤廃する新しい条約の締結がなされ、長年にわたる日本人の悲願は大きな前進を見たのである。
(※27-36話【第449回】は、ここまで)


27-35.清国との戦争突入②~条約改正運動の高まり~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「清国との戦争突入」の2回目で“条約改正運動の高まり”とサブタイトルが付いています。
そして、本日は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の33回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その33】※※※※※※※※※※

●『F.ポルシェ〔その生涯と作品〕』●

〖本書の概要〗
・原題:Die ungewöhnliche Geschihte des Hauses Porsche
・Richad Frankenberg(リチャード・フォン・フランケンベルグ):著、中原義浩:訳
・1972(昭和47)年11月に、二玄社より定価1,700円で初版を発行
・BOOKカテゴリー:専門書
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★★☆、経営・マーケティング★★★★★、
      レースファン★★★★★、オールドカーファン★★★☆☆
・入手容易度:B

〖本書の案内〗
ポルシェに関する本はたくさん出版されていますが、この本はそれらの中でも秀逸ともうせましょう。
ドイツ人の著者:Mr.Richad Frankenberg(リチャード・フォン・フランケンベルグ氏)は、レーシングドライバーを経験した人物で、自動車レースに関する本をたくさん書いています。
日本語訳は1972(昭和47)年に出版されているので、現在では入手は難しいと思いますが、自動車専門古書店で探してみる価値は十分あるでしょう。

〖本書の目次(ページ構成)〗
  ・ 1.パリ万国博 電気自動車、(P.7~P.12)
  ・ 2.ポルシェの生いたち、(P.13~P.16)
  ・ 3.ヤーコプ・ローナー社 混成動力車、(P.17~P.22)
  ・ 4.アウストロ・ダイムラー社 スポーツレース、(P.23~P.34)
  ・ 5.第1次世界大戦後 ザッシャ車、(P.35~P.42)
  ・ 6.ダイムラー・ベンツ社、(P.43~P.45)
  ・ 7.タルガ・フローリオ クリスティアン・ヴェルナー、(P.46~P.51)
  ・ 8.メルセデス・レーシングカー カラッチオラ、(P.52~P.57)
  ・ 9.シュタイル社、(P.58~P.60)
  ・10.ポルシェ設計事務所 ヴァンダラー車、(P.61~P.64)
  ・11.フォルクスワーゲンの芽生え、(P.65~P.67)
  ・12.ロシア旅行、(P.68~P.72)
  ・13.フォルクスワーゲンの成立、(P.73~P.82)
  ・14.アウト・ウニオン・レーシングカー、(P.83~P.90)
  ・15.アメリカ旅行、(P.91~P.95)
  ・16.さまざまな記録 ローゼマイヤー、(P.96~P.102)
  ・17.絶対的世界記録 スーパー・カー、(P.103~P.107)
  ・18.第2次世界大戦 チシタリア車、(P.108~P.112)
  ・19.フェリィ・ポルシェ、(P.137~P.141)
  ・20.ポルシェ356型、(P.142~P.148)
  ・21.グミュントからシュトゥットガルトへ(P.149~P.151)
  ・22.ポルシェの晩年(P.152~P.155)
  ・23.国際レースへの参加 ル・マン、(P.156~P.162)
  ・24.ミッレ・ミリア 量産車レース、(P.163~P.171)
  ・25.ポルシェ・スパイダー レーシングカー、(P.172~P.191)
  ・26.スピードスター ポルシェ・カレラ、(P.192~P.199)
  ・27.904型・911型 若きポルシェたち、(P.200~P.209)
  ・28.911T カレラ6・910、(P.210~P.222)
  年譜 (P.223~P.227)


33ポルシェ・その生涯と作品
〈「F.ポルシェ〔その生涯と作品〕」の表紙〉










27.明治維新という大革命


 西洋文化の普及に伴い先進諸国と結んだ不平等条約の改正気運が高まった 


東京湾にやってきたアメリカ合衆国の外交官タウンゼント・ハリスと、徳川幕府の間で1858(安政5)年に通商条約が結ばれた。
この条約締結はアメリカの圧力を背景としたものであって、2国間の関係から見ると不平等なものであった。
アメリカに続く、イギリスなどのヨーロッパ諸国との条約も、ほとんど同じ内容であった。


元号が明治に変わった直後のこと、麻薬を厳しく取り締まっている日本の官憲によって、アヘンを輸入したイギリス商人が逮捕された。
日本とイギリスの間に結ばれている条約では、イギリス人の日本国内での犯罪行為の裁判権はイギリスにあると定められていた。
この“治外法権”条項によって、実際に裁判を担当したイギリス領事は,「持ち込んだアヘンは薬用なので無罪」と判決した。

これはほんの一例であるが、治外法権がある限り日本は本当の独立国とはいえず、実質的に外国の属領であることと同じである。
この問題を一刻も早く解決することは、日本人の悲願となってきた。


土佐出身で、幕末期の討幕運動で活躍した板垣退助(いたがき・たいすけ)は明治政府の高官に登用された。
1874(明治7)年に権力抗争に敗れて民間人になった板垣は、国会の早期設立に関する建白書を政府に提出し、国民が政治に参加できる道を開くことを強く求めるのであった。

板垣は、藩閥体制を打破しない限り日本の近代化はないと考え、国民の自由を保障し、国民が政治に参加することの重要性を主張する“自由民権運動”を始めた。
やがてこの動きは国民の支持を集めるようになり、全国規模に広まってきた。


27板垣退助
〈自由民権運動のリーダー板垣退助〉

一方、条約改正に執念を燃やす政府は、阻害要因である近代化の遅れを早期に解決する必要性を痛感していた。
中でも、国民の意思を政治的に反映させることができる“国会”創設を急ぐことにした。

1881(明治14)年に、政府が「10年後に国会を開設する」と国民に約束したことは、日本人の政治への関心を一気に高めることになった。

国会創設のためには国会議員が必要である。
そうなると、思想を同じくする同志が集まる“政党”が存在していて、政党が政治の主導権を握るという時代を迎えることになる。

そこで、自由民権運動のリーダーである板垣退助が自由党を結党すると発表すれば、政府から飛び出して政党人となることを宣言した大隈重信は立憲改進党の組織化に動き出した。

(※27-35話【第948回】は、ここまで)


27-34.清国との戦争突入①~帝国主義の時代~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「民間企業の誕生」シリーズから「清国との戦争突入」に移り、本日は新シリーズの初回で“帝国主義の時代”とサブタイトルが付いています。
そして、本日は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の32回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その32】※※※※※※※※※※

●『デトロイト・モンスター 自動車王フォード』(ザ・アメリカ 勝者の歴史⑧)●

〖本書の概要〗
・大森 実 :著
・1986(昭和51)年10月に、講談社より定価1,300円で初版を発行
・BOOKカテゴリー:読み物
・読者区分別推薦度:エンジニア★★☆☆☆、経営・マーケティング★★★★☆、
      レースファン★☆☆☆☆、オールドカーファン★★☆☆☆
・入手容易度:B

〖本書の案内〗
国際ジャーナリストとして有名な大森 実氏が、1986(昭和61)年に「ザ・アメリカ 勝者の歴史」全10巻シリーズの8巻目として出版したのが本書となります。
ヘンリー・フォードを中心にして、ビリー・デユラント、ウォルター・クライスラーなど、アメリカの自動車産業を興した人物がいっぱい出てきて、読み物としてたいへん面白い本です。
この大森 実著「ザ・アメリカ 勝者の歴史」シリーズでは、3巻目ではロックフェラーを、4巻目ではカーネギーを、5巻目ではJ.P.モルガンを主人公に取り上げていますので、興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか。
残念な点は、既に初版発行から30年が経過していて、なかなか入手が難しいことです。

〖本書の目次(ページ構成)〗
■第1章 大いなる予感
 ・天才メカ小僧、(P.14~P.25)
 ・建国101年目の夜明け、(P.25~P.35)
 ・文明開化の組み合わせ、(P.35~P.45)
 ・発明狂繚乱、(P.45~P.55)
■第2章 内助の功
 ・エドセル誕生、(P.56~P.65)
 ・「仲間」は300人、(P.65~P.73)
 ・試作第1号車、(P.73~P.81)
 ・トーマス・エジソン、(P.81~P.93)
■第3章 不退転の大衆車志向
 ・デトロイト自動車会社、(P.94~P.103)
 ・フォード・モーター、(P.103~P.115)
 ・オールズ自動車会社、(P.115~P.122)
 ・モデルA、(P.122~P.133)
■第4章 吸収合併の時代
 ・GM(ゼネラル・モーターズ)の改組、(P.134~P.141)
 ・ビュイックの支配権、(P.141~P.151)
 ・ウォール街との対決、(P.151~P.167)
 ・ルイ・シボレー青年、(P.167~P.177)
■第5章 フォード革命
 ・わが生涯最大の賭け、(P.178~P.188)
 ・フォード・システム、(P.188~P.199)
 ・革命宣言・5ドル発表、(P.199~P.210)
 ・労働価値宣言と反戦宣言、(P.210~P.221)
■第6章 孤独なる闘い
 ・平和の巡礼船、(P.222~P.231)
 ・オスカーⅡ世号の反乱、(P.231~P.240)
 ・180度の変身、(P.240~P.252)
 ・ユダヤ・マネー(P.252~P.263)
 ・エピローグ 絶対的帝王、(P.264~P.286)


32デトロイト・モンスター
〈「デトロイト・モンスター 自動車王フォード」の表紙〉







27.明治維新という大革命


 20世紀の初頭のアジア諸国は、帝国主義思想に毒された列強各国に侵略された  


産業革命によって工業化が大きく進展したヨーロッパ列強は、19世紀後半に軍事力を背景とした威嚇外交によって、地球上のあちこちで自分たちが支配する領土を拡大した。

20世紀に入ると、このような“帝国主義”思想が常態化して、南アメリカ大陸へ、アフリカへ、さらにはアジアの諸国へと次々と侵略していった。

これら列強の中でいちばん早く領土拡大に手をつけたのは、外交上手のイギリスである。
インドを早くから保護領とし、オーストラリア大陸を領有したのは18世紀末のことであった。

19世紀後半におけるイギリスの最大関心事は、アジアの中心である清国における支配力強化であった。
アヘン戦争の成果として1842(天保13)年に締結された南京条約によって、香港の地を150年間にわたって租借する権利をもぎ取るなど、着実に前線基地を築いていた。

マレー半島はイギリスの独壇場となり、貿易拠点としてのシンガポールを確保した。
この地では、亜熱帯気候を活用し、ゴムの原料となるパラゴムのプランテーション農業を育成していた。
そして、ビルマの地(現在のミャンマー)にも触手を伸ばしていた。


一方、イギリスと並ぶ列強のフランスはインドシナ半島を侵略した。
“小パリ”と呼ばれるベトナムの首都サイゴンではフランス語が日常的に使われる状況となっていた。


アジアを狙っているのは、イギリスとフランスばかりではなかった。

ポルトガルはマカオに拠点を持った。

オランダはジャワ島を始めとしたインドネシア諸島への支配権強化を図っていた。

スペイン領だったフィリピンは、アメリカ合衆国が触手を伸ばしスペインを追い出して自国領にしてしまった。

このような列強のアジア進出は南アジアばかりでなく、北アジアでも同様ではあった。
ドイツは中国大陸東北部に位置する山東半島の根元にある青島(チンタオ)を領有したし、ロシアも清国侵略を虎視眈々と狙っており、準備を進めていた。
(※27-34話【第947回】は、ここまで)


27-33.民間企業の誕生⑥~浅野グループの形成~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「民間企業の誕生」の6回目で、“浅野グループの形成”とサブタイトルが付いています。
そして、本日は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の31回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その31】※※※※※※※※※※

●『カーレースの歴史』●

〖本書の概要〗
・レイモンド・フラワー:著、桂木 洋二 訳
・1982(昭和57)年8月に、ベースボールマガジン社より定価1,500円で初版を発行
・BOOKカテゴリー:自動車レースファン向け読み物
・読者区分別推薦度:エンジニア★★☆☆☆、経営・マーケティング★★☆☆☆、
      レースファン★★★★★、オールドカーファン★★☆☆☆)
・入手容易度:C

〖本書の案内〗
イギリス生まれの著者:レイモンド・フラワー氏はレーシングドライバーであり、1949~1963年にかけては、モンテカルロラリーをはじめとする国際イベントに数々参加し、フランス、スウェーデンのグランプリでは好成績をあげました。
1955年にはイギリス・レーシングドライバークラブのメンバーに選ばれています。
ウィンタースポーツに関する著者としても知られ、こちらも自ら実践する行動派ライターです。
訳者の桂木洋二氏は、わが国における自動車ジャーナリストして第一人者ですので、原著の良さを引き出すべく読みやすく、分かりやすく日本語で表現されています。
残念なことに発行されてから30年以上が経過していますので、中々入手が難しいと思います。

〖本書の見出し(ページ構成)〗
  ・カーレースの起源、(P.20~P.22)
  ・競技として誕生、パリ・レース、(P.23~P.29)
  ・ゴードン・ベネット・カップ、(P.30~P.34)
  ・初期の陸上スピード記録/1899~1903年、(P.35~P.37)
  ・北京~パリ“冒険狂時代”、(P.38~P.43)
  ・初期のラリーとヒルクライム、(P.44~P.48)
  ・ヨーロッパ間レースの隆盛、(P.49~P.57)
  ・アメリカの躍進、(P.58~P.63)
  ・軽量車時代への幕開け、(P.64~P.69)
  ・“スポーツ”として再開、(P.70~P.74)
  ・古きよき時代のモーターリング、(P.75~P.79)
  ・初期のル・マンを精したベントレー、(P.80~P.84)
  ・20年代のグランプリレース、(P.85~P.95)
  ・国際ラリーの全盛、(P.96~P.101)
  ・大戦前のスピード記録、(P.102~P.113)
  ・30年代“タイタン”の時代、(P.114~P.119)
  ・第2次大戦後の発展、(P.120~P.125)
  ・最後の、最もロマンチックな時代、(P.126~P.136)
  ・“インディー”の70年、(P.137~P.145)
  ・音速への挑戦、(P.146~P.151)
  ・テクノロジーの時代、(P.152~P.165)
  ・ビッグ・ビジネスへの転換、(P.166~P.183)
  ・サファリラリー、その過酷と栄光、(P.184~P.193)
  ・今日のモータースポーツ・シーン、(P.194~P.203)
  ・栄光の記録/主要イベント優勝者一覧、(P.204~P.209)
  ・世界の主要サーキットの概要、(P.210~P.225)



31カーレースの歴史
〈「カーレースの歴史」の表紙〉









27.明治維新という大革命


 三菱の長崎造船所、川崎造船所に続いて、日本各地で民間企業が立ち上がった 


『クルマの歴史物語 5部 日本車の夜明け』が始まってから、本書に登場し生き続けている民間の大企業は、民営鉄道を除くと、三井・三菱・住友・安田の4つの企業グループ、それに大倉組と川崎造船所の6つである。

この頃の日本の工業力の中心は官営工場であり、広島県の呉、神奈川県の横須賀、京都府の舞鶴、長崎県の佐世保には海軍の工場、すなわち当時の工廠(こうしょう)があった。

また東京と大阪には陸軍の砲兵工場があり、東京の板橋と目黒、群馬県の岩鼻(いわはな)の3カ所に火薬工場があった。
これらの工場では、戦争で必要とされる兵器・武器や砲弾、さらには軍艦などのあらゆる物がつくられていた。

軍需品以外では、深川セメント製造所、品川硝子(ガラス)製造所、深川白レンガ製造所があり、繊維に関しては1872(明治5)年創業の富岡製糸場を始めとして6カ所の官営工場があった。


ドイツでカール・ベンツが3輪のガソリンエンジン車を開発したのは西暦1886年のことである。
これを日本の元号に直すと明治19年になるが、日本ではこの頃からエネルギー関連、機械、化学という産業分野で、民間工場が仕事を始めている。


この機会に、日本におけるエネルギー産業の勃興期の話を少ししておこう。

産業エネルギーの基盤である発電事業に関しては、アメリカでエジソンによって白熱電球が発明され、ドイツで発電機が実用化された直後に当る1883(明治16)年に、東京電燈会社(現在の東京電力株式会社)が外国の技術を導入して、火力発電による配電事業を開始した。
その後、東京に続いて神戸、大阪、京都、名古屋、というように各地の主要都市で配電会社が開業していった。

これらの電力供給は最初の頃は火力発電ばかりだったが、山間部が多いという日本特有の地形に着目して、水力発電への期待が高まり、1889(明治22)年に着工した京都の蹴上(けあげ)発電所が営業用水力発電所の第1号となった。

また、街灯で使うガス供給事業に関しては、東京瓦斯(ガス)会社(現在の東京ガス株式会社)が1885(明治18)年に創業している。



次は、7つ目の民間企業の話として浅野グループに移る。

1848(嘉永1)に、魚がうまいことで知られる北陸の氷見(ひみ)に生れた浅野総一郎(あさの・そういちろう)が長じてからやった商いは失敗続きで、24歳になると地元を追われて江戸に出た。

ここでも試行錯誤が続いて、くさっていた頃、住まいの向かいにある貸ふとん屋の女中サクの働きぶりが気に入り、彼女を口説いて所帯を持った。
ところが結婚後も、強盗に入られたり火事で店を失ったりと苦労が絶えなかったが、いつも前向きなサクによって励まされ、総一郎の商いは徐々に大きくなっていった。

元号が明治に代わり、総一郎・サク夫妻は、横浜市瓦斯(ガス)局が廃物処理に困っていたコークスとコールタールを引き取り、これを再販売する商売で一山当てた。

やがて渋沢栄一や、同郷で10歳年長の安田善次郎(やすだ・ぜんじろう)と知り合うようになったことで事業発展の糸口をつかんだ。
そして、1881 (明治14) 年7月に、深川セメント製造所を、さらにその翌々年に深川白レンガ製造所の払い下げを受けた。

その後、東京湾の埋め立て事業に携わり京浜工業地帯づくりの基盤整備に貢献するなど、セメント事業は年々その規模を拡大し,ついに夫唱婦随で浅野グループを形成するのであった。


27浅野総一郎
〈夫唱婦随でのし上った浅野総一郎〉

(※27-33話【第946回】は、ここまで)