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28-33.有栖川宮の鎌倉ドライブ26~国産車づくりの打診~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「有栖川宮の鎌倉ドライブ」シリーズの26回目であり、いよいよ鎌倉到着目前となった所での故障のようすの2回目をお伝えします。
振り返ってみますと、『クルマの歴史物語』の「28章 文明開化の時代」は、夏休みが明けた8月15日から始まった“豊田佐吉物語”が4回、続いて“三菱&三井ストーリー”が3回、そして“有栖川宮の鎌倉ドライブ”が26回連続で掲載されました。
この“有栖川宮の鎌倉ドライブ”は本当にあった話かどうか疑問を持っている方も多いと思いますが、実話です。
しかし車内、お休み処、横浜グランドホテルでの会話は全部フィクションで、私が想像力を働かせて書きました。
これらの会話に登場してくる人物は、全て実在の人物であり、彼らの日本自動車発達史に関わる貢献もまた事実です。
私はブログ『クルマの歴史物語』を著作するに際して、有栖川宮殿下の鎌倉ドライブに同行した吉田真太郎の口を通して、宮崎峰太郎、林 平太郎、山羽虎夫という先達の業績を語るという手法を採ったのです。
本日をもって「28章 文明開化の時代」は終了し、明日から「29章 よちよち歩きの日本車」が始まりますので、引き続いてご愛読をよろしくお願いいたします。
そして、本日のサブコンテンツは『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の66回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その66】※※※※※※※※※※

●『World Car Guideシリーズ:21 RENAULT』●

〖本書の概要〗
・笹本健次:編集 兼 発行人
・1993(平成5)年10月に、ネコ・パブリッシング社より定価1,190円で初版を発行
・BOOKガテゴリー:読み物であるが、専門性が高い。
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★★☆、経営・マーケティング★★★★☆、
レースファン★★☆☆☆、オールドカーファン★★★★★
・入手容易度:B(※新たに刊行されたDXシリーズであればA)

〖本書の案内〗
趣味関連の雑誌・書籍を発行していて株式会社ネコ・パブリッシングという会社が、1993(平成5)年に発行したのが “World Car Guide”というタイトルの自動車ブランドシリーズ全31冊です。
既に、本ブログに掲載をした参考図書ご案内【その35】で『18.MERCEDES BENT』を、【その44】で『16.OPEL』を、【その49】で『10 PEUGEOT』を、【その52】で『27.ROLLS-ROYCE&BENTLEY』を、【その56】で『9.ALFA ROMEO』を、【その59】で『11.AUDI』、【その63】で『15.FIAT』をご覧いただいています。
本日はこのシリーズとしての図書案内では8回目となる『21 RENAULT』をお届けします。

〖RENAULT(ルノー):本書の目次(ぺージ構成し〗
  ・Chapter 1.ルノー現行モデルとコンセプトカー、(P.9~P.40)
  ・Chapter 2.戦前のルノー、(P.41~P.56)
  ・Chapter 3.ルノー公団の誕生、(P.57~P.80)
  ・Chapter 4.新世代のルノー、(P.81~P.108)
  ・Chapter 5.アルピーヌとルノー、(P.109~P.132)
  ・Chapter 6.ルノーとモータースポーツ、(P.133~P.160)
  ・Chapter 7.プロダクションモデルのスペック、(P.161~P.185)


66ワールドカーガイド21RENAULT
〈「World Car Guideシリーズ:21 RENAULT」の表紙〉










28. 文明開化の時代


 故障したダラックを直している内山に有栖川宮親王はガソリンエンジン車を発注した 


異常な事態の出現に木下侍従はすぐにダラックを降りて、前車輪周りを眺めて見たが特別な障害物が塞いでいる訳でないことがわかったので、故障であることがはっきりした。

お昼にシャンペンだけでなくワインもたっぷりいただいたことで、横浜を離れてからクルマの中でぼんやりしていた内山の目が光り輝いてきた。
座席から下りると、ボディの下を覗き込み異常がないことを確かめると、エンジンカバーを開いて、どこに問題があるかチェックし始めた。

自動車の修理なら日本一を自負している内山は、これまで何度も修理しているダラックのクセを熟知していたので、キャブレターの一部が破損していることをすぐに見つけた。

この場所でやるにしては簡単な修理ではない。
少し時間はかかりそうだが直すことは不可能ではない。
クルマに積んである工具をチェックして、これらを使ってどのように直すかの考えを巡らし、自分なりの結論を得て作業に取り掛かったら、親王が10分おきぐらいにようすを眺めては座席に戻るということを繰り返した。
作業開始から小1時間ほど経った頃、「内山君。どうかな、直りそうかな」と有栖川宮親王が声をかけてきた。

「大丈夫です。必ず直しますから、もう少し時間を下さい」と答えると、「君は自動車のことなら、何でも知っているのだね」と重ねて内山駒之助に声がかかった。

細かい作業に熱中しているので、親王の話し相手をすることがわずらわしいと思った内山が何の返事をしないでいると、「君ほどの腕であっても、オール国産でガソリンエンジン車をつくることは難しいことかい」と質問してきた。
作業を中断されたくないと思った内山が、「そんなこと簡単ですよ」と反射的に答えた。


2人の会話を聞いていた吉田真太郎は驚いた。
これは親王から内山に対してオール国産でガソリンエンジン車をつくって欲しいという要請ではないかと考えて、作業中の内山の傍に行き、ひそかに袖を引き、「おい内山君、殿下にあんな返事をして大丈夫か」と囁やいた。

吉田が何を言い出したのか真意がわからない内山は、「何かあったのですか」と問い質したら、「君は今、殿下に国産車をつくるのは簡単なことですよと、言ったよね」と確認した。

早く直したいと一所懸命に作業をしているのに、吉田がしつこく聞いてくるのでムカッとした内山が「それがどうしたのですか」と食いついた。

「殿下が、本気で受け止めたらどうするのだ」と問い質すと、「吉田さん。自分は一刻も早く治すことに集中したいので、作業のじゃまをしないでいただけますか」と突っぱねて、内山は一心不乱に修理を続けるのであった。

(※28-33【第983回】は、ここまで)


28-32.有栖川宮の鎌倉ドライブ25~ダラックの故障~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「有栖川宮の鎌倉ドライブ」シリーズの25回目であり、いよいよ鎌倉到着目前となった所でのダラックが故障したようすをお伝えします。
そして、本日のサブコンテンツは『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の65回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その65】※※※※※※※※※※

●『世界の自動車シリーズ:22 ロールス・ロイス、ベントレー』●

〖本書の概要〗
・高島鎮雄:編著
・1979(昭和54)年10月に、二玄社より定価1,000円で初版を発行
・BOOKガテゴリー:限りなくマニア向けに近い専門書
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★★★☆、経営・マーケティング★★★☆☆、
      レースファン★★☆☆☆、オールドカーファン★★★★★
・入手容易度:C

〖本書の案内〗
本日の参考図書案内は『世界の自動車』シリーズの8回目となります。
1970(昭和45)年、カーグラフィック(CG)誌を創刊した小林祥太郎編集長は、CAR GRAPHIC LIBRALYとサブタイトルが付いている“世界の自動車”というシリーズ本を企画し、二玄社から出版を始めました。
『クルマの歴史物語』参考図書ご案内シリーズでは、既に初回として【その41】で“フォード-1”を、2回目は【その42】で“シトローエン”を、3回目として【その46】で“フィアット”を、4回目として【その51】で“ルノー”を、5回目として【その58】で“02 メルセデス・ベンツ-戦前”を、6回目として【その55】で“21 ロールス・ロイス(戦前)”を、7回目として【その62】として“04 オペル、ドイツ・フォード”を取り上げております。
8回目のご案内となる本日は、高島鎮雄氏編集の“22 ロールス・ロイス、ベントレー”をお届けします。
既に、参考図書案内の【その55】で“21 ロールス・ロイス(戦前)”を取り上げていますが、今回取り上げるのは、ロールス・ロイス社がベントレー社を吸収した後を記述対象としているので、ロールス・ロイスとベントレーは基本的には同一車であるという前提で編集されています。

〖22 ロールス・ロイス、ベントレー:本書の目次(ページ構成)〗
   はじめに(P.5~P.13)
  ・ 1章 シルヴァー・レイス、(P.14~P.29)
  ・ 2章 シルヴァー・ドーン、(P.30~P.35)
  ・ 3章 ベントレー マークⅥ Rタイプ、(P.36~P.45)
  ・ 4章 シルヴァー・クラウドⅠ~Ⅲ、ベントレー S1-S3、(P.46~P.78)
  ・ 5章 ファンタム Ⅳ~Ⅵ、(P.79~P.93)
  ・ 6章 シルヴァー・シャドー、ベントレーT、(P.94~P.118)
  ・ 7章 カマルグ、(P.119~P.127)


65世界の自動車22ロールスロイスとベントレー
〈「世界の自動車シリーズ:22 ロールス・ロイス、ベントレー」の表紙〉









28. 文明開化の時代


 鎌倉直前にある急な上り坂で唸りながら進んでいたダラックのエンジンが停止した 


鎌倉までのドライブの途中で立ち寄った横浜グランドホテルでの昼食で、支配人が奨めた本日のメインディッシュであるスズキのムニエルを口にした内山駒之助は、こんなにおいしい魚料理が西洋にあることを初めて知った。

食事中も有栖川宮親王と吉田真太郎の会話は続いていたが、聞き役に徹している内山の気分は、鉄道車両メーカーへのボディ発注が小型バスづくりの失敗要因であると吉田から聞いた時のショックから徐々に立ち直り、最高級ホテルの洋食を楽しむまでに戻っていた。

3人がシャンペンで乾杯をしてから、すでに1時間10分が経過している。ホテルでの食事は最後のデザートに移りバニラアイスクリームと紅茶が運ばれてきたら、内山に「このホテルのお料理は、いかがだったかな」と親王から声がかかった。

「生まれて初めて、こんなおいしい食事をいただきました」と内山が答えたら、親王はお世辞だと思ったらしくそれ以上に反応を示さなかったが、内山にとってはお世辞でもなんでもなく、夢のような世界であった。

すっかりお腹が満たされた3人は、車寄せで木下侍従が待機するダラックに乗り込むと、鎌倉を目指して走り始めたら、一行は東海道を離れて鎌倉街道に入ることになった。
東海道も決して広い道ではなかったが、この道はさらに細く、自動車1台が通るのがやっとという狭さであり、小高い丘を昇ったり下りたりと、自動車には負担がかかる行程になってきた。

何とか鎌倉まで残り2キロほどの所までやってきて、最後の上り勾配に差し掛かった。
親王にとっていつものことながら、この坂がダラックにとっては最難関であり、エンジン音が唸り続けていたら、突然停止してしまった。

(※28-32話【第982回】は、ここまで)


28-31.有栖川宮の鎌倉ドライブ24~日露戦争後の不況~

ついこの前、夏の終わりを告げる9月に入ったと思ったら、今日の月曜日から9月最終週に入ることになりました。
ブログ『クルマの歴史物語』の方は、「28章 文明開化の時代」に入ってから8回目となる8月24日から“有栖川宮の鎌倉ドライブ”が続いています。
このロングシリーズは今週水曜日をもって終了し、同時に28章も完了し、木曜日から「29章 よちよち歩きの日本車」に移ります。
本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「有栖川宮の鎌倉ドライブ」シリーズの24回目であり、横浜グランドホテルでの会食での会話内容の続きをお伝えします。
そして、サブコンテンツの方は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の64回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その64】※※※※※※※※※※

●『フォード その栄光と悲劇』●

〖本書の概要〗
・原題:MY FORTY YEARS WITH FORD
・チャールズ・E・ソレンセン(Charles E.Sorensen):著、高橋達男:訳
・1978(昭和43)年5月に、産業能率短期大学 出版部より定価480円で初版を発行
・BOOKカテゴリー:読み物
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★☆☆、経営・マーケティング★★★★☆、
      レースファン★☆☆☆☆、オールドカーファン★☆☆☆☆)
・入手容易度:C

〖本書の案内〗
本書の著者であるチャールズ・E・ソレンセンはブログ『クルマの歴史物語』では、ヘンリー・フォードの茶坊主的存在として何度も登場しています。
そのソレンセンが著作した本書に関して、訳者である高橋達男氏は、ソレンセンの主張をもとにフォード社の歴史を次のように4区分しています。
 ・第1期〔1903~1913〕:クーザン(※『車の歴史物語』ではコウゼンスと表記)の時代
 ・第2期〔1913~1925〕:ヘンリー・フォードとエドセル・フォード時代 
 ・第3期〔1925~1944〕:ソレンセン時代
 ・第4期〔1944以降〕:ヘンリー・フォードⅡ世時代

この第3期のソレンセン時代の解説文章をここに転載してみましょう。
 「さしものT型車もようやく大衆にあきられ、車種転換を余儀なくされるのであるが、みごとV8車への切り替えに成功したものの、大不況、ニューディール政策の実施、第二次大戦による民需生産の中止、軍需転換と局面は大きく変動する。これに対し、ヘンリー・フォードはすっかりいや気がさし、そのうえ、1938年に卒中で倒れてからアタマがおかしくなってしまう。二代目エドセルは父親の強圧下でやりたいこともできず、結局、病に倒れた。となると、「総督」としてフォード帝国の生産部門を統括し、最後に「摂政」としてフォード社の舵を取り、若いヘンリー・フォードニ世に引き継いだのがソレンセンである。」

上記した転載コメントでも理解できる通り、私たちが抱いているヘンリー・フォード観とは大きく異なる見解によって本書は支配されていますが、ここにはある種の真理が記されているかもしれないと私は思っています。
この本を出版したのは産業能率短期大学出版部というビジネス書では実績があるお堅い出版元であり、訳者の高橋氏は当時日本電信電話公社の経営幹部という人物であるだけに、本書を際物書籍としてとらえるのは危険と申せましょう。

〖本書の目次(ページ構成)〗
■第1部
 ・第 1章 私の知っているのはこれだけ、(P.3~P.10)
 ・第 2章 フォードは本当はどんな人だったか、(P.11~P.24)
 ・第 3章 ヘンリー・フォードの腹心、(P.25~P.38)
 ・第 4章 フォード社の歩み、(P.39~P.50)
 ・第 5章 仕事が遊び、(P.51~P.66)
■第2部
 ・第 6章 私=チャールズ・ソレンセンとは、(P.67~P.80)
 ・第 7章 フォード社に入社、(P.81~P.96)
 ・第 8章 クーザン、ウィルス、フランダース:フォードの3巨頭、(P.97~P.112)
 ・第 9章 T型フォード、(P.113~P.132)
■第3部
 ・第10章 大量生産方式の誕生、(P.133~P.154)
■第4部
 ・第11章 日給5ドルの真相、(P.155~P.170)
 ・第12章 ルージュ工場の創業、(P.171~P.188)
 ・第13章 ルージュ工場の完成、(P.189~P.208)
 ・第14章 フォード氏鉄道に手を出す、(P.209~P.226)
 ・第15章 ロシアの冒険、(P.227~P.260)
 ・第16章 T型よ、さらば、(P.261~P.280)
 ・第17章 トラクター紛争、(P.281~P.308)
■第5部
 ・第18章 ニューディール下のフォード、(P.309~P.334)
 ・第19章 試練に勝つ、(P.335~P.368)
 ・第20章 ヘンリー・フォードの最大の失敗、(P.369~P.412)


64フォードその栄光と悲劇
〈「フォード その栄光と悲劇」の表紙〉









28. 文明開化の時代


 ロシアとの戦争後、大不況が日本を襲ってモーター商会は解散を余儀なくされた 


横浜グランドホテルのメインダイニングルームでの食事を楽しむ有栖川宮親王、吉田真太郎、内山駒之助の3人は、前菜である小エビのカクテルをいただく頃には、飲み物はシャンペンから白ワインに移っていた。

ご機嫌がますますよくなっている有栖川宮親王から、「会社勤めの経験がないので、経営の難しさはよくわからないが、さぞやご苦労であったろうね」と言葉があった。

「小生は、双輪商会を立ち上げてから忍耐の大切さを身に付けました。それで、苦労をいとわなくなりましたので、生活や仕事で苦しいと思ったことは一度もありません」と吉田が自信たっぷりに答えるのであった。

「われら皇族は、子供の頃から甘やかされて育っておるので、社会に放り出されたら、どうなるかわからないよ」

「ところで殿下、話を元に戻してよろしいでしょうか。明治37年、つまり去年のことですが、双輪商会の自動車部は本体から独立させることにし、京橋にある自動車修理専用工場に『東京自動車製作所』の看板を掲げました。この時点で、自動車の修理をやれる所は東京中ではここだけでした」

「確かにそうですね」

「故障した親王のダラックが私どもの修理工場に持ち込まれましたが、自動車と一緒に殿下が来社されたのには本当に驚きました。そしてお話をお聞きしたら、殿下が自動車技術に深い見識をお持ちであることを知ったのです。殿下は、いつ頃から自動車に関心を持たれたのですか」

「ドイツの皇太子殿下の結婚式に天皇陛下の名代として参列するために欧州に渡った折に、各地で走り回っている自動車に興味を抱くようになったさ。いろんなクルマを運転したが、いちばん気に入ったのがダラックであり、日本に持ち込むことを決めたのだよ。これには西洋文明の進展ぶりを日本の指導者たちに説明するのも大変なので、技術の先進性をダラックで実感してもらおうという意図があったのだ」

「殿下のそのようなお考えは、新聞で報道されたのを読んだ記憶がございます」

「それと宮内省の幹部に、御料車のあり方の問題提起をしようと考えたのも事実だ」

「皇族の移動は馬車と汽車に限るという現実がございますが……」

「そのとおりであるが、宮内省も自動車に関心を持つようになり、天皇陛下専用車の可否の議論が高まっているのだ」

「それは本当ですか。もし、天皇陛下が馬車に代わって自動車に乗るようになると、自動車の普及は一気に加速するに違いありません」

「まだ、結論は出ていないが、皇室が自動車を使うようになるのは、そんなに先のことではないよ」

「殿下は、クルマと一緒に外人の運転手も連れて来られたそうですが……」

「そうなんだが、この男はプライドが高く、日本人に決してなじもうとしなかったな。その上、運転が荒っぽくヒヤヒヤすることが多いので、このドライバーを帰国させて以降は、自分でハンドルを握ることが多くなったのだ」

「ダラックの具合が悪くなる度に、殿下は当社の修理工場にいらっしゃいましたので、親しくお話ができるようになり、ありがたいことだと思っています」

「皇族は行動範囲が限られているので、こうして吉田君とクルマ談義をすることが、ここのところの楽しみになのだよ。ところで、ご同業のモーター商会が最近営業を止めた、という話を聞いたのだが」

「そうなのです。ロシアとの戦争が終わってしばらくすると、あれだけ好景気を謳歌したわが国に大不況が襲うようになりました。大阪での博覧会以降、日本各地にふって沸いたような乗合自動車設立の嵐はすぐに収まり、キャンセルが相次ぎました。日本人として初めて輸入車販売店としての営業を始めたモーター商会は、この影響をまともに受けて経営が立ち行かなくなり、とうとう解散することになったのです」

「お酒がダメな林 平太郎さんは、失業してしまったのかな」

「林さんは会社の清算人から、この会社の仕事を引き継ぐ許可をもらいました。そして、日本自動車商会という小さな会社を発足させたものの、輸入が途絶えたままなので売る商品がなかったし、修理の仕事も少なく細々とした営業が続いているようです」

「いやはや、皆さん大変ですな」

(※28-31話【第981回】は、ここまで)


28-30.有栖川宮の鎌倉ドライブ23~新車開発の停滞~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「有栖川宮の鎌倉ドライブ」シリーズの23回目であり、横浜グランドホテルでの会食での会話内容をお伝えします。
そして、本日のサブコンテンツは『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の63回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その63】※※※※※※※※※※

■『World Car Guideシリーズ:15 FIAT』●

〖本書の概要〗
・笹本健次:編集 兼 発行人
・1994(平成6)年8月に、ネコ・パブリッシング社より定価1,190円で初版を発行
・BOOKガテゴリー:読み物であるが、専門性が高い。
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★★☆、経営・マーケティング★★★★☆、
      レースファン★★☆☆☆、オールドカーファン★★★★★
・入手容易度:B(※新たに刊行されたDXシリーズであればA)

〖本書の案内〗
趣味関連の雑誌・書籍を発行していて株式会社ネコ・パブリッシングという会社が、1993(平成5)年に発行したのが “World Car Guide”というタイトルの自動車ブランドシリーズ全31冊です。
既に、本ブログに掲載をした参考図書ご案内【その35】で『18.MERCEDES BENT』を、【その44】で『16.OPEL』を、【その49】で『10.PEUGEOT』を、【その52】で『27.ROLLS-ROYCE&BENTLEY』を、【その56】で『9.ALFA ROMEO』を、【その59】で『11.AUDI』をご覧いただいています。
本日はこのシリーズとしての図書案内では7回目となる『15.FIAT』をお届けします。

〖15 FIAT:本書の目次(ぺージ構成し〗
  ・Chapter 1.フィアット現行モデル、(P.9~P.24)
  ・Chapter 2.思い出のフィアット、(P.25~P.40)
  ・Chapter 3.フィアット社の誕生、(P.41~P.58)
  ・Chapter 4.トポリーノの誕生、(P.59~P.74)
  ・Chapter 5.リア・エンジンの時代、(P.75~P.96)
  ・Chapter 6.前輪駆動への挑戦、(P.97~P.112)
  ・Chapter 7.新世代のフィアット、(P.113~P.136)
  ・Chapter 8.フィアットとアバルト、(P.137~P.152)
  ・Chapter 9.フィアット社の全貌、(P.153~P.160)
  ・Chapter10.プロダクションモデルのスペック、(P.161~P.185)


63ワールドカーガイド15FIAT
〈「World Car Guideシリーズ:15 FIAT)」の表紙〉










28. 文明開化の時代


 広島での失敗話になったら、内山が突然立ち上がり吉田に向かって頭を下げた  


東京・麹町を出発したダラックは無事に横浜グランドホテルに到着し、おいしいランチをいただきながら有栖川宮と吉田真太郎の会派は続いていた。
後続の方と、同席することは初めての内山駒之助は慣れない洋食を食べるのに精いっぱいであった。

有栖川宮親王が「吉田君。オートモビル商会の小型バスづくりに話が戻ることになるが、この仕事は成功とは言えなかったね」と話しかけた。

有栖川宮親王から、広島での小型バスづくりに関する感想を問われた吉田真太郎は、「殿下、あの仕事は完全な失敗です。タイヤに問題があるというのは言い訳に過ぎなくて、鉄道車両メーカーにボディを発注したことが、そもそもミステイクでした」と吉田が何気なく語った。

すると、突然内山が立ち上がり「その発注をお願いしたのは自分です。本当に申し訳ありませんでした」と、頭を下げるのであった。

これで驚いたのは吉田である。責めるつもりなど微塵もなかったので、内山がとった行動が信じられなかった。
「内山君。そういう意味で言った訳ではないのだ。食事中に立ち上がって謝るなんて、みっともないから早く座りたまえ」と声をひそめて叱った。
親王からも「内山君、食事をいただきなさい」と声がかかったので、内山はしぶしぶ座ることになった。

「内山君。小生がミステイクといったのは、私たちのクルマづくりの全体設計が未熟であったという意味だ。その点は小生の見識も不充分だったと大いに反省をしていて、決して君を責めている訳ではないのだ」

「よくわかりました。自分は精一杯やったつもりでしたが、タイヤが弱いのが致命傷だったと思います」

「その件なら、さっきの山羽虎夫さんの話にも出ているように、日本中の自動車エンジニアが悩まされている部分だから、もう言いっこなしにしよう」と諭された内山は、「吉田さん、よくわかりました」と答えるのであった。


このやりとりを聞いていた有栖川宮親王は、「オートモビル社は、次にどんな自動車を製作したのかな」とほこ先を変え、いったん沈みこんだ場の雰囲気に配慮した。

「小生たちは、広島での経験を通してクルマづくりの難しさを真に理解しました。そこでもう一度原点に戻って、自動車の構造と各部品の機能について徹底して勉強することを始めました」

「なるほど」

「自分たちが少しでも疑問に思うことは、正直に質問をぶつけ合うことにして、ガソリンエンジン車に関する自動車工学の全てを身に付けようと2人で議論を重ねたのです」と、吉田が説明した。

「ということは、新車開発はしばらくお休みしたのですな」

「殿下のおっしゃるとおりです。小生たちにとって新車開発は時期尚早であると判断したのです。それに、現実にはクルマの修理の方が商売になりますから。この頃、外国車があちこちで走り始めており、これらの修理をやりながら会社の経営を維持することにしたのです」

「なるほど」

「そこで、オートモビル商会という名前は、双輪商会の旧称に戻し、社内に自動車部を設けて、ここで自動車修理業に励むことにしました」

(※28-30話【第980回】は、ここまで)


28-29.有栖川宮の鎌倉ドライブ22~シャンパンで乾杯~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「有栖川宮の鎌倉ドライブ」シリーズの22回目であり、横浜グランドホテルに到着し、食堂で会食するようすをお伝えします。
そして、本日のサブコンテンツは『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の62回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その62】※※※※※※※※※※

●『世界の自動車シリーズ:04 オペル、ドイツ・フォード』●
  
〖本書の概要〗
・高島鎮雄:編著
・1979(昭和54)年10月に、二玄社より定価1,000円で初版を発行
・BOOKカテゴリー:限りなくマニア向けに近い専門書
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★★★☆、経営・マーケティング★★★☆☆、
      レースファン★★☆☆☆、オールドカーファン★★★★★
・入手容易度:C
  
〖本書の案内〗
本日の参考図書案内は『世界の自動車』シリーズの7回目となります。
1970(昭和45)年、カーグラフィック(CG)誌を創刊した小林祥太郎編集長は、CAR GRAPHIC LIBRALYとサブタイトルが付いている“世界の自動車”というシリーズ本を企画し、二玄社から出版を始めました。
『クルマの歴史物語』参考図書ご案内シリーズでは、既に初回として【その41】で“フォード-1”を、2回目は【その42】で“シトローエン”を、3回目として【その46】で“フィアット”を、4回目として【その51】で“ルノー”を、5回目として【その58】で“02 メルセデス・ベンツ-戦前”を、6回目として【その55】で“21 ロールス・ロイス(戦前)”を取り上げております。
7回目のご案内となる本日は、高島鎮雄氏編集の“04 オペル、ドイツ・フォード”をお届けします。

〖04 オペル、ドイツ・フォード:本書の目次(ページ構成)〗
■オペル
  はじめに:実用車としての平凡さ、(P.5)
・1章 ミシン→自転車→自動車、(P.6~P.16)
・2章 オペルとモーターレーシング、(P.17~P.26)
・3章 GM傘下で量産体制を確立、(P.27~P.45)
・4章 戦後の発展とワイド・バリエーション化、(P.46~P.76)

■ドイツ・フォード
  はじめに:デトロイトとケルン、(P.77)
・1章 フォードのヨーロッパ大陸進出、(P.78~P.87)
・2章 戦後の再スタートと新世代への発展、(P.88~P.111)
・3章 ヨーロッパ・フォード化への歩み、(P.112~P.127)


62世界の自動車04オペル
〈「世界の自動車04 オペル、ドイツ・フォード」の表紙〉









28. 文明開化の時代


 内山は生まれて初めてのシャンペンでの乾杯に戸惑いながら洋食の食事を始めた  


吉田真太郎と内山駒之助は有栖川官威仁親王から鎌倉行きのドライブに誘われ、東京麹町の親王家を出発して国道1号線を品川から川崎を経由して横浜までやってきた。

当地で昼食を摂ることを考えていた親王の計らいで、横浜グランドホテルのメインダイニングルームに案内されたら、食前の飲み物としてシャンペンが選ばれた。


これが運ばれるまでの時間が惜しいと思ったのか、有栖川宮親王が「ここまではほぼ予定どおり来たが、まだ行程の半分ぐらいだね」と口を開いた。

「東京から横浜までが約30キロ、横浜から鎌倉までが約25キロですから、ここから3時間ぐらいのドライブになると思います」と、吉田が答えた。

「ここまでは吉田君から、わが国での自動車発展史の話を聞かせてもらったので、時間が経つのを忘れてしまったよ。それにしても、吉田君は博学だね」

「小生が自転車の商売を始めてから既に8年が経過し、クルマに関心を持つようになって5年経ちました。この間、どうしたら自転車が売れるか、いつになったらクルマが普及するか、そんなことばかりを考えてきましたので、知らず知らずのうちに知識が身についたのだと思います」

「吉田君の話は、いつも年号や人の名前がたくさん出てくるので、感心して聞いているが、知識を正確に覚えようと努めているのかな」

「小生は小さい頃から数字の記憶力が良い方で、特段覚えようとしている訳ではないのですが、自然に覚えてしまうようです」

「たいしたものですな」と親王が感心していると、細長いグラスに満たされた透明で泡立った飲み物が運ばれてきて各自の前に置かれた。
「ドライブの安全と諸君の健康を祈念して乾杯!」と、親王はグラスを持ち上げた。

ロシアで生活したことがある内山であるが、高級酒としてまぶしい存在のシャンペンは一度も飲んだことがなかった。とっさにグラスを上げようと思ったが持ち方がわからない。隣の吉田のやり方を見て、これをまねることにした。


「乾杯!」と親王が声をかけると、吉田が「乾杯!」と続けた。
内山は、言いそびれてしまったが、後で言うのも変な気がしたので黙っていた。

親王がグラスを置くと、小海老とおぼしき料理をのせた小皿が配られた。
親王は、右手にナイフ、左手にフォークをもち、器用に料理を口に運びながら、「内山君、どうぞ遠慮なく食べなさい」と声をかけた。

内山が何か返事をしようかと考えているうちに、親王が「吉田君。オートモビル商会の小型バスづくりに話が戻ることになるが、この仕事は成功とは言えなかったね」と話しかけた。

(※28-29話【第979回】は、ここまで)