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29-27.豊田佐吉物語⑰~ダイハツの起業~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「豊田佐吉物語」の17回目です。
アメリカ合衆国を旅行中のホテルのレストランで会食する豊田佐吉と随行の西川秋次との会話の10回目であり、“ダイハツの起業”とサブタイトルが付いています。
そして、本日は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の92回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その92】※※※※※※※※※※

●『ワールド・カー・ブックス7 リンカーン』●サブタイトル:動くホワイト・ハウス

・モーリス・D・ヘンドリー:著、田村 宏:訳、高齋 正:日本語版監修
・1973年1月に、サンケイ新聞社出版局から定価500円で初版を出版
・BOOKカテゴリー:読み物
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★☆☆、経営・マーケティング★★★★☆、
レースファン★☆☆☆☆、オールドカーファン★★★★☆
・入手容易度:B
  
〖本書の案内〗
今から40年以上前の1972(昭和47)年にサンケイ新聞社出版局から、“ワールド・カー・ブックス”という文庫サイズのシリーズ本10冊が出版されました。
この図書の構成は、「1.ロールス・ロイス」、「2.ブガッティ」、「3.ピアス・アロー」、「4.フェラーリ」、「5.ジャガー」、「6.アルファ・ロメオ」、「7.リンカーン」、「8.デューセンバーグ」、「9.MG」、「10.メルセデス・ベンツ」となっています。
このような10冊構成の“ワールド・カー・ブックス”になった背景として、このシリーズ本の原著にバランタイン出版社版とチルトン出版社版の2種類があるというのが理由のようです。
ちなみに、本書はバランタイン出版社版です。
このシリーズ本が販売された当時の日本の自動車産業は、ようやく世界水準にたどり着きつつある時代でした。
世界の自動車産業の状況や、日本人全般の自動車に対する知識が充分でない時代にあって、専門分野の知識が少ないサンケイ新聞社出版局の企画による“ワールド・カー・ブックス”シリーズは売り出されたのです。
それはそれとして、実際これらの本に目を通してみると、実に読みやすく各ブランドの誕生と成長プロセスの理解が進みます。
その理由は、既に参考図書案内コーナーで何度もご案内したライターの高斎 正氏が翻訳、ないしは日本語版監修役を手掛けているからだと私は思っています。
このシリーズ本は既に【その37】で“ロールス・ロイス”を、【その45】で“ピアス・アロー”を、【その54】で“ブガッティ”を、【その78】で“メルセデス・ベンツ”、【その85】で“アルファ・ロメオ”を、【その89】で、“デューセンバーグ”をお届けしていますので、“リンカーン”は7回目のお届けとなります。

〖本書の目次(ページ構成)〗
  1 リーランド製「リンカーン」誕生(P.10~P.33)
  2 マスプロ・メーカーのフォードに吸収される(P.34~P.49)
  3 酒とギャンブルとモデルL(P.50~P.70)
  4 高性能で豪華車のトップクラスに(P.71~P.91)
  5 週末つげるクラシックカー時代(P.92~P.112)
  6 救世主!傑作車「ゼファー」(P.113~P.126)
  7 エドセルの遺産「コンティネンタル」(P.127~P.141)
  8 過酷なレースも克服(P.142~P.157)
  9 よみがえる「コンティネンタル」(P.158~P.170)
 10 60年代の「コンティネンタル」(P.171~P.183)
 11 豪華車の王道をゆく(P.184~P.194)
 12 栄光と悲劇をはこぶ大統領専用車(P.195~P.211)


92ワールドカーブックスリンカーン
〈『ワールド・カー・ブックス』の表紙〉









29.よちよち歩きの日本車


 大阪工業学校校長先生の呼びかけで関西財界人が出資してダイハツが誕生した 


アメリカ視察旅行を随行している西川秋次の励ましの言葉は、豊田佐吉の気分向上に思わぬ効果を生み、ボルテージはますます上がることになった。

「今までの社長の説明で、東京での自動車の発展のようすはわかりましたが、関西地方には自動車製造会社は誕生しなかったのですか」

「お前さんは、戦国時代から江戸時代を通して大阪がわが国の軽工業の中心地であったことを知っているかね」

「社長。私は紡績機と織機一筋で今日まできましたので……」

「お前さんが、紡績機と織機一筋であることは何回も聞いたよ。大阪は、明治時代に入っても工業地域として発展を続けているのだ。そこで新しい産業として急速に発展しつつある自動車に着目する人が関西に現れることになったが、そのきっかけとなったのは明治36年に大阪の天王寺公園で開催された博覧会であった」

「僕もその博覧会に見に大阪まで行きましたが、400万人を超える人々が見学したそうですね」

「そうじゃ。あの博覧会でのいちばん人気は自動車であったことは覚えているのう」

「会場内で陳列された自動車だけでなく、梅田駅から会場までバスで輸送するということが大人気でした。いつも長蛇の列だったのですが、僕は2時間近く並んで会場までバスに乗りました」

「あのバス運行は、大阪の中川辰之助(なかがわ・たつのすけ)という人物が、見物客を会場まで輸送することを提案して実施されたもので、この成功を見て、日本各地で乗合自動車運行事業を考える実業家が雨後のたけのこのごとく出現したそうじゃ。実際に運行開始できたのは、ほんの一握りしかいなかったが、物産の資料によると京都の二井(しせい)商会というのがいちばん早かったそうじゃ」

「京都での乗合自動車事業は成功したのですか」

「ここで使ったクルマは横浜の貿易商が輸入した乗用車のロコモビルを改造したものであったが、多人数を乗せるため人の重さにタイヤが耐え切れず破損して、すぐに運行中止になったそうじゃ」

「社長、質問があるのですが。京都での失敗の原因がタイヤであることはわかりましたが、博覧会の会場へのバス運行はその問題をどう解決したのですか」

「難しい質問じゃな。ちょっと待ってくれんかのう」と言いながら、佐吉は物産の報告書をめくって、どんなことが書いてあるかを調べた。

「ここには、博覧会で観客移動に使ったバスはアメリカから輸入したロコモビル蒸気自動車であるとだけしか書いていなのでわからないが、わしは、博覧会ということで予算がたっぷりありスペアを何本も持っていて、タイヤが悪くなる前に新品に交換したのではないかと想像しているのじゃ」

「なるほど。京都での失敗の件はよくわかりましたが、関西では他にバス運行事業に挑戦する人は現れなかったのですか」

「転んでもただではおきないと定評のある大阪の事業家たちじゃ。次にバス運行事業に挑戦したのは博覧会で会場までバス運行を担当した中川で、博覧会が終わってからしばらくした明治38年秋に大阪自動車株式会社という会社を設立して大阪と堺間のバス運行事業を始めたそうじゃ」

「吉田真太郎さんの会社が東京自動車製作所で、中川さんの会社が大阪自動車ですか。東京への対抗意識が出ていて、面白いネーミングですね」

「名前はともかく、実際のバス運行事業は、難問続きでなかなかうまく行かず、中川は会社を外人に売ってしまったそうじゃ」

「そうすると、関西では乗り物産業が興隆することはなかったのですね」

「それは違うよ。お前さんは大阪に“ダイハツ”というエンジン製造所があるのを知っているかね」

「社長。僕は紡績機と織機だけしかわかりませんので……」

「そのことはわかっているから、もう言うな!」

「社長。わかりました」

「日露戦争直後に大阪高等工業学校の校長先生の呼びかけによって、関西財界人の共同出資で発動機製造という会社が、エンジン生産事業を始めたのだ」

「社長。その会社はどうしてダイハツと呼ばれるのですか」

「大阪所在の発動機製造という会社名からきていて、大阪の“大”と発動機製造の“発”を組み合わせてダイハツと呼ばれるようになったのじゃ」

「その後、この会社は発展を続けているのですか」

「ガソリンエンジンの活用範囲は広いので、着実に成長していて、今や関西の一大勢力に育っているそうだ」

「なるほど。よくわかりました。僕は、紡績機と織機しか知りませんでしたが、今回の旅行では、社長からいろんなことを教わって、本当に感謝しています」と頭を下げた西川に、「君は若いから、これからどんどん知識を吸収して、これからの日本を支える技術者になってくれたまえ」と激励することを佐吉は忘れなかった。


1910(明治43)年5月8日に日本を出発した豊田佐吉と西川秋次のコンビによるアメリカ旅行は、当初予定していたすべての旅程を終了した。


佐吉はアメリカ旅行の後はヨーロッパ諸国を回ることになっていたが、西川には「米国に残って、より深く産業構造と技術に関する調査を進めるよう」に言い残して、ニューヨークを後にした。

ロンドンに到着した佐吉は、三井物産ロンドン支店が段取りを付けてくれていた見学コースを中心に、ヨーロッパ6カ国を訪問した。


そして、厳冬のヨーロッパを後にして、日本に到着したのは年が明けた1911(明治44)年の元日であった。
200日余のアメリカ・ヨーロッパ旅行は、傷心となっていた佐吉を別人のごとくよみがえらせたのである。

(※29-27話【第1,010回】は、ここまで)


29-26.豊田佐吉物語⑯~宮田製作所の旭号~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「豊田佐吉物語」の16回目の掲載となります。
今日の内容は、アメリカ合衆国を旅行中のホテルのレストランで会食する豊田佐吉と随行の西川秋次青年との会話の9回目であり、“宮田製作所の旭号”とサブタイトルが付いています。
そして、本日は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の91回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その91】※※※※※※※※※※

●『モータースポーツミセラニー 世界自動車レースの軌跡』●

〖本書の概要〗
・高齋 正(こうさい・ただし):著
・1998(平成10)年10月に、朝日ソノラマより定価1,800円で初版を発行
・BOOKカテゴリー:読み物ですが、レースの記録も記されています。
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★☆☆、経営・マーケティング★★★☆☆、
      レースファン★★★★★、オールドカーファン★★★★☆)
・入手容易度:A

〖本書の案内〗
1938年群馬県生まれの著者:高齋 正(こうさい・ただし)氏は、自動車レースをテーマとした小説をたくさん書いています。
世界の自動車レースの資料を文献で調べるかたわら、ミレミニア、タルガ・フローリオ、パリ~ルーアン、パリ~ボルドーなど、第一次世界大戦前のグランプリ・レースのコースを、著者は実際に走っているというように、高齋氏の図書はリアルティにあふれています。

〖本書の内容〗
〔ルマン〕、〔ルマンの1911年のコース〕、〔ドイツのレーシング・カラー〕、〔ナショナル・レーシング・カラーの起源〕、〔世界最初のモーター・レース〕、〔フランス自動車クラブの誕生〕、〔パリ~マルセーユ往復レース〕、〔ゴードン-ベネット・トロフィー・レース〕、〔メルセデスという車名の由来〕、〔ゴードン-ベネット・トロフィー・レース(続)〕、〔パリにある記念碑 セルポレ、ルヴァソール、ウィミーユ〕、〔史上最初の自動車レースの死亡時期〕〔ヴァンダービルト・カップ・レース〕、〔ロコモービル〕、〔インディアナポリス500マイル・レース〕、〔シャンパンの効用〕、〔洋書の文献の誤り〕、〔ブライトン・ラン〕、〔101日間の奇跡〕、〔ルマンで二度目のグランプリ・レース〕、〔イタリア・グランプリ〕、〔ベルギー・グランプリ〕、〔ドイツ・グランプリ〕、〔モナコ・グランプリ〕、〔ルマン24時間レース〕、〔ミシュランのガイドブック〕、〔サルト・サーキットとジャコバン・プロムナード〕、〔ヘンリー・シーグレイヴ〕、〔ギネスとモータースポーツ〕、〔ジョニー・ウォーカーとモータースポーツ〕、〔70年前の教訓〕、〔ジュリオ・ランポーニ〕、〔フェラーリの紋章〕、〔メルセデス・ベンツW196と300SLRの気筒内燃料燃焼装置〕、〔ミレミニア〕、〔ダン・ガーニー〕、〔パーネリ・ジョーンズ〕、〔FICAからFOCAへ〕


91モータースポーツミセラニー
〈「モータースポーツ ミセラニー」の表紙〉











29.よちよち歩きの日本車


 自転車メーカーの宮田製作所がつくった自動車の旭号が共進会で金牌を受賞した 


佐吉のビールを飲むピッチがいつもより早くなってきた。
それと同時に、機嫌もいつになく上々で、西川が相槌を打つだけでどんどん話が進んでいった。

「今年の3月のことだから、われわれが日本を出発する直前に、名古屋で開催された共進会に宮田製作所という自転車メーカーが製作した“旭号”という国産の小型乗用車が1等の金牌を受賞したことをお前さんは知っているかな」

「そう言われれば、新聞で見たように思いますが……」

「宮田製作所は日本における自転車メーカーの最古参のひとつだが、最初は銃砲製造業であったことを知っている者は少ないと思う。日清戦争時には、ここでつくられた銃が日本陸軍の勝利に大活躍したのじゃ」

「社長。鉄砲の会社が、どうして自転車をつくるようになったのですか」

「そんなことを聞かれても、わしもよくわからんが、この会社は鉄砲をつくりながら輸入自転車の修理を始め、そのうち自転車の製造もやるようになったら、いつしか自転車製造が本業になってしまったそうだ」

「なるほど」

「自転車製造業を受け継いだ二代目社長が、今から3年ほど前から自動車の将来性に着目するようになり、技術者に自動車工学の研究を命じて、社長の陣頭指揮で完成したのが、共進会の金牌を仕とめた旭号なのじゃ」

「自転車屋さんが、自動車をつくることは簡単なことではないと思いますが」

「お前さんの言うとおりで、最初にオートバイ用のガソリンエンジンを購入して内燃機関の研究を始め、その後東京高等工業学校の先生を顧問に招いて、フランス製クレメントをモデルにして新型自動車の設計に入ったそうじゃ。設計開始から試作車ができあがるまでたった1年2カ月という短期間だったそうじゃ」

「旭号は、全ての部品が国産なのですか」

「最大の難物はタイヤで、輸入品を使うことになったが、これ以外は国産部品に徹したと聞いているよ」

「いったい、どんなクルマなのですか」

「わしは自動車の専門家でないので、詳しくは知らんが、日本の国情に合致するように小型2入乗りの幌付だったように記憶している。どんなクルマにしても、自力で自動車をつくるためには、たいへんな努力を必要とするが、それをやり遂げたことは立派なことじゃな」

「社長。日本にこのような挑戦者たちがいることは本当に心強いですね。社長も織機の分野では世界ナンバーワンの実力をお持ちになっていらっしゃることが、今回のアメリカ産業視察旅行ではっきりしたわけですので、帰国したら、いっそう頑張っていただきたいと思いますね」

「西川君。お前さんから面と向かって激励の言葉を言われるとは思っていなかったな。しかし、お前さんの言うとおりだな。だいぶ充電もできてきたので、もう一度ふんどしを締めなおして、新型自動織機の開発に取り掛からんといかんな」

「社長から、こうして力強いお言葉が発せられると私もうれしくなります。社長。もう一杯いきましょうか」

「西川君。遠慮することはないぞ。景気付けにもう一杯いくか」

(※29-26話【第1,009回】は、ここまで)


29-25.豊田佐吉物語⑮~実用化が進む自動車~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「豊田佐吉物語」の15回目となります。
今日の内容は、アメリカ合衆国を旅行中のホテルのレストランで会食する豊田佐吉と随行の西川秋次との会話の8回目であり、“実用化が進む自動車”とサブタイトルが付いています。
そして、本日は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の90回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その90】※※※※※※※※※※

●『GM帝国への挑戦』●

〖本書の概要〗
・原題:TAKING ON GENERAL MOTORS
・エリック・マン(Eric Mann):著
・1993(平成5)年7月に、第三書館より定価3,000円で初版を発行
・BOOKカテゴリー:専門書
・読者区分別推薦度:エンジニア★☆☆☆☆、経営・マーケティング★★★☆☆、
      レースファン★☆☆☆☆、オールドカーファン★☆☆☆☆
・入手容易度:B

〖本書の案内〗
本書の著者エリック・マン氏は「人種平等会議」と「民主社会のための学生連合」から始めて、その後20年以上にわたって公民権運動、反戦運動、労組オーガナイザー等の活動を続けてきた人物です、
下に記した目次(ページ構成)を見てもらうとわかる通り、本書のメインはGM社のパン・ナイズ工場での労働争議の記録です。
しかし、第2部第3章の「アルフレッド・P・スローンのGM組織改革」の部分は、ブログ『クルマの歴史物語』を著作するのに参考になりました。

〖本書の目次(ページ構成)〗
■第1部 舞台設定
 ・第1章 時代背景、(P.14~P.22)
■第2部 ゼネラル・モーターズ物語
 ・第 2章 ビリィ・デュラントとゼネラル・モーターズの形成、(P.24~P.38)
 ・第 3章 アルフレッド・P・スローンのGM組織改革、(P.39~P.67)
 ・第 4章 ロジャー・スミスとハイテク世界、(P.68~P.90)
■第3部 GMパン・ナイズ工場操業を続行させる運動
 ・第 5章 「運動」はある閃きで始まった、(P.92~P.120)
 ・第 6章 「運動」、市民権獲得、(P.121~P.146)
 ・第 7章 連合形成 - 幅広い連合をつくるための戦略、(P.147~P.167)
 ・第 8章 GMボイコット戦略は有効か、(P.168~P.178)
 ・第 9章 「運動」とGM会見、(P.179~P.197)
 ・第10章 GMの反撃、(P.198~P.224)
 ・第11章 誰がパン・ナイズ工場を“救った”のか、(P.225~P.238)
 ・第12章 「運動」かチーム・コンセプトか?、(P.239~P.292)
 ・第13章 パン・ナイズ工場の将来、「運動」の将来、(P.293~P.322)
■第4部 パン・ナイズ闘争の教訓
 ・第14章 大不況の中のパン・ナイズ闘争、(P.324~P.350)


90GM帝国への挑戦
〈「GM帝国への挑戦」の表紙〉











29.よちよち歩きの日本車


 明治時代の末期になると自動車は軍事や宣伝などいろいろな活用法が広がった 


今日も佐吉の食事はビフテキである。
乾杯の掛け声とともに、うまそうにビールを飲み干した佐吉は、器用にナイフとフォークを操って肉をほおばると、西川のテーブルに運ばれてきた新しい料理を覗きこんだ。

「西川君。今日は何を頼んだかね」

「久しぶりに魚を食べようと思って、キャットフィッシュのフライを注文しました」

「キャットフィッシュとは、どんな魚なんだい」

「なまずですよ」

「何!米国人はなまずを食べるのか」

「なまずはアメリカでは、どこでもある魚で、淡白な味で食べやすいですね」

「こちらに来て、米国の工業力の実態についてはよくわかったつもりであるが、米国人の食事だけはどうにも理解ができないのう」

「まったく同感です。この国は異民族の混合体ですから、食事もいろいろなスタイルが存在しているのですね」

「米国人とひとくくりできないのが食事かもしれないな。それはそれとして、昨日まで日本の自動車産業の話を続けてきたが、今日もその続きを進めることにするか」

「社長。お願いします」

「今日は、軍隊と自動車の関係の話をするとしよう。西川君も知っているように、わが国では民間需要水準は未だに低く、それに対して軍需の占める割合が非常に高いのは事実だ。今回のロシアとの戦争事例を見るまでもなく、繊維産業は軍需を抜きにしては成り立たないという実情がある」

「繊維産業に関しては、僕もよく理解できます」

「ついこの前のロシアとの戦闘では、秋山好古(あきやま・よしふる)少将が指揮するわが騎兵がコサック騎兵に対して善戦したので、その点にばかり目が行きがちであるが、わが軍の勝利に貢献した兵站(へいたん)部隊の活躍を知っている人が少ないのは残念じゃ」

「兵站部隊は、どんな仕事をやるのですか………」

「兵站というのは戦争を見えないところで支える重要な役割を担っている。わが軍の兵站部隊が砲弾や食糧を的確に輸送する役割を担ったことで、兵士たちは敵に向かって弾を打ち込むことができ、食事にありつけるのじゃ。こうした兵站を重視する思想は欧米だけのものじゃなくて、中国の名将は皆、その重要性を熟知しているのじゃ。その点がよくわかっているわが陸軍は輸送力増強を考え、従来の馬に依存する方式から転換して、自動車を導入することを考えているようじゃ」

「戦争になると、輸送車は道なき道を進軍しなくてはなりませんね。そんな悪路を進むことができる日本車があるのですか」

「そこが問題なのじゃ。わが陸軍は、ロシアとの戦争が終わった直後に、フランスから2台のトラックを輸入して、運転技術や修理技術を向上すべく、自動車を使いこなす訓練を始めたそうじゃ」

「ということは、陸軍でトラックを制式に採用することになったのですね」

「陸軍では、トラックが本当に実戦で役立つかどうかの訓練を現在も続けているようだ。お前さんも知っているように、大都市周辺では道路整備が進んできたものの田舎へ行くと未だひどいものじゃ。陸軍で実施した青森までの長距離走行試験では、雨の日のぬかるみにはまったトラックを10人以上の兵士が泥まみれになって脱出させるなど苦労の連続の果てに、どうにかたどり着くことができたそうじゃ」

「軍事トラックの実用化研究は現在も進んでいるのですね」

「自動車の実用化への道は、軍隊ばかりでなく、民間でも始まったばかりなのじゃ。そのひとつは商品の宣伝に自動車に利用するという考えじゃ。英国のウイスキー製造者から送られてきたウーズレーの話をしたことがあるが、日本人でこれを初めて実行したのは東京京橋にある酒類食品販売業者である明治屋で、全国一手販売をしている麒麟(キリン)ビールの宣伝に自動車を使おうと考えたそうじゃ」

「僕もその自動車のことを聞いたことがありますよ。確か“ナンバーワン”という愛称が付いているクルマですよね」

「明治屋の主人は英国に渡り、麒麟ビールの形をクルマに架装するように発注したそうじゃ。このクルマが日本に輸入され東京の街を走り回るようになると、人々の注目を集めて宣伝効果は抜群だったそうじゃ。このクルマのナンバープレートは1番だったので、ナンバーワンという愛称で東京の人々に親しまれて、麒麟ビールの人気アップに貢献しているのじゃ」

「僕でも知っている有名な話ですね」
「実は、1番のナンバープレートを最初に手にしたのは明治屋ではなかったのだ」

「いったいどこだったのですか」

「それは三井呉服店だった。三井は自分たちの名前に結びつく3番にこだわり、3番のナンバープレートがつく予定だった明治屋に交換を申し込んだのじゃ。明治屋はこの提案を喜んで受け入れ、この結果、明治屋の麒麟ビールは有名になったのじゃ」

「ビールといえば、社長はビールが大好きですね」

「本当のことを言えば、わしがいちばん好きなのは日本酒で、しかも燗をつけたのが大好きなのだが、米国では無理なので、こうしてビールを飲んでいるのじゃ。しかし、毎日ビールを飲んでいると、ビールが好きになるから不思議じゃのう」

「僕も社長のお付き合いで、毎日ビールを飲んでいますが、おいしいですね。きっと日本人もビール党が増えますね」

(※29-25話【第1008回】は、ここまで)


29-24.豊田佐吉物語⑭~日米産業力の格差~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「豊田佐吉物語」の14回目となります。
今日は、アメリカ合衆国を旅行中のホテルのレストランで会食する豊田佐吉と随行の西川秋次との会話の7回目として“日米産業力の格差”というテーマのお話となります。
さて、ブログ『クルマの歴史物語』では、豊田佐吉と一緒にアメリカ旅行に行った、西川秋次という佐吉より14歳年下の人物が登場しています。
この人物は実在しており、ウィキペディアでは以下のような説明がありますので、ここに転載をいたします。

西川 秋次(にしかわ あきじ、1881年12月2日 - 1963年9月13日)は豊田佐吉の片腕として活躍したトヨタ(豊田)初期の大番頭である。
秋次は失意の豊田佐吉の渡米にひとり同行し、アメリカ滞在を支えた。
秋次は佐吉の夢であった海外への進出に大きな働きをした。
中国・上海に工場設立後は佐吉に代わり事実上の責任者として豊田紡織廠(とよだぼうしょくしょう)の経営に携わった。
佐吉没後も、中国に留まり、佐吉の夢の実現に努力した。
また、秋次は豊田喜一郎が自動車への進出を決めた際には、全面的に中国から支援することを申し出た。
1945年(昭和20年)の終戦の後も国民政府の要請で中国に残り、戦後の復興に尽力する。
晩年、西秋奨学会を創設した。

こうしてみると、西川秋次氏は素晴らしい働きをした大人物ですね。
さて、本日は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の89回目となります。

※※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その89】※※※※※※※※※※

●『ワールド・カー・ブックス8 デューセンバーグ』●サブタイトル:世界一を誇る幻の名車

・ルイス・W・スタインウェーデル+J・ハーバートニューポート:共著、高齋 正:翻訳
・1973年3月に、サンケイ新聞社出版局から定価500円で初版を出版
・BOOKカテゴリー:読み物
・読者区分別推薦度:エンジニア★★★☆☆、経営・マーケティング★★★★☆、
レースファン★☆☆☆☆、オールドカーファン★★★★☆
・入手容易度:B

〖本書の案内〗
今から40年以上前の1972(昭和47)年にサンケイ新聞社出版局から、“ワールド・カー・ブックス”という文庫サイズのシリーズ本10冊が出版されました。
この図書の構成は、「1.ロールス・ロイス」、「2.ブガッティ」、「3.ピアス・アロー」、「4.フェラーリ」、「5.ジャガー」、「6.アルファ・ロメオ」、「7.リンカーン」、「8.デューセンバーグ」、「9.MG」、「10.メルセデス・ベンツ」となっています。
このシリーズ本は既に【その37】で“ロールス・ロイス”を、【その45】で“ピアス・アロー”を、【その54】で“ブガッティ”を、【その78】で“メルセデス・ベンツ”、【その85】で“アルファ・ロメオ”をお届けしていますので、“デューセンバーグ”は6回目のお届けとなります。

〖本書の目次(ページ構成)〗
  1 夢と野望の夜明け(P.12~P.24)
  2 航空エンジン開発で一大飛躍(P.25~P.34)
  3 躍り出た直列八気筒車モデルA(P.35~P.52)
  4 1930年代の寵児モデルJ(P.53~P.79)
  5 はばたく不死鳥モデルSJ(P.80~P.91)
  6 走るスタイリスト(P.92~P.142)
  7 本領発揮する高性能レーシングカー(P.143~P.175)
  8 今なお夢を呼ぶ幻の名車(P.176~P.201)
    付「デューセンバーグ」のコーチビルダー(P.204~P.214)
    付「デューセンバーグ」モデル別性能諸元(P.202~P.203)


89ワールドカーブックス8デューセンバーグ
〈『ワールド・カー・ブックス』の表紙〉








29.よちよち歩きの日本車


 佐吉と西川の2人はデトロイトでゼネラル・モータース社シボレー工場の見学した 


豊田佐吉と西川秋次がデトロイトに来て、既に3日間が経過した。

この間、当地で盛んな機械産業の工場視察を続けてきたが、本日は最大の眼目である自動車工場の視察であった。

この段取りを付けてくれたのは三井物産機械部で、かねてよりコンタクトがあるゼネラル・モータース(以下GM)社のシボレー工場を見せてもらえることになっていた。


2人が朝食を終えて、ホテルのロビーで待っているとGM社の運転手が迎えにやってきた。

GM社シボレーの工場見学を終えてホテルに帰った2人は、工場中を歩き回った疲れを部屋で癒したのち、いつものようにホテルのレストランで夕食をとることになった。

「西川君。わしの食事はいつもと同じビフテキだよ。よく焼くように頼んでくれないか」

「社長。大丈夫ですから、僕に任せてください」

「それと最初はやっぱりビールだな」

「社長。毎日ご一緒ですから、社長の好みは決して忘れません。注文しておきましたので、すぐに来ると思いますよ」

「いつも、世話になっているのう」

「社長。アメリカにいる間は、どんなことでも遠慮なく申しつけください」

「後しばらくじゃが、頼んだよ」

「社長。僕にお任せください。それにしても社長、アメリカ産業の実力は本当にすごいですね」

「わしもいろいろな工場を見たが、日本との差をいちばん感じたのが今日の自動車工場だったな」

「僕も同意見です。技術水準といい、規模といい、あらゆる意味で日本とは別世界ですね」

「われわれの必死の努力によって、織機技術では米国を追い抜いたが、自動車のような複雑な構造の機械になると、とても足元によれないな。ひょっとしたら、日本では自動車産業が育つことは無理かも知れんな」

「社長。日本人は優秀な民族です。今は大きな差がついていても、いつかは必ずアメリカに追いつきます。われわれが織機で実現したように、世界ナンバーワンの技術大国になることは決して夢ではないと僕は思います」

「わしもそう願っているが、それがいつ実現するのやら、見当がつかんのう」と佐吉がため息をついているところに、西川が佐吉のために注文したビールジョッキが運ばれてきた。

「西川君。乾杯といくか」

「今日はいったい何に対して乾杯するのですか」

「もちろん日本の工業振興に対してじゃ。それでは、日本工業の発展と旅の安全を願って、乾杯!」

「乾杯!」

(※29-24話【第1,007回】は、ここまで)


29-23.豊田佐吉物語⑬~手作りのコスト高~

本日のブログ『クルマの歴史物語』のメインコンテンツは、「豊田佐吉物語」の13回目で、アメリカ合衆国を旅行中のホテルのレストランで会食する豊田佐吉と随行の西川秋次との会話の6回目となります。
そして、本日は『クルマの歴史物語』参考図書ご案内の88回目となります。

※※※※※※※※※『クルマの歴史物語』参考図書ご案内【その88】※※※※※※※※※

●『キャディラック ワールド』(別冊CG)●※副題:アメリカの夢

〖本書の概要〗
・日本ゼネラルモーターズ株式会社:編
・1997(平成9)年11月に、より定価1,800円で発行
・BOOKカテゴリー:読み物
・読者区分別推薦度:エンジニア★★☆☆☆、経営・マーケティング★★★☆☆、
      レースファン★☆☆☆☆、オールドカーファン★★★☆☆
・入手容易度:B

〖本書の案内〗
本書は、日本ゼネラルモーターズ株式会社が1997年に新型キャディラック/セヴィルを市場導入するに当たって、PR用に編集した諸資料を二玄社が取りまとめて発行した企画書物です。
従がって、宣伝色いっぱいの本ですが、なかなか立派な内容ですので、キャデラックファンに限定してお勧めします。
なお、『クルマの歴史物語』では“キャデラック”と表記していますが、本書では“キャディラック”と表記しています。
このクルマの発売元である日本ゼネラルモーターズ株式会社は、この本を発刊した当時、このような表記をしていたようです。
ところが、この原稿を書くに当たって、改めてインターネットで公式サイトをチェックしてみたら“キャデラック”と表記されています。
英語を日本語で書くとなると、ことほど左様に色々ありますので、著者としてはその点が苦労の種なのです。

〖本書の目次(ページ構成)〗
  ・新型セヴィルのすべて、(P.6~P.47)
  ・アメリカの夢で走る、夢が生まれた土地、(P.48~P.59)
  ・巨匠、キャディラックを語る、(P.60~P.64)
  ・イメージの創造 髙島鎮雄 著(P.65~P.85)
  ・ミュージアムの主役たち、(P.86~P.93)
  ・アメリカの夢のゆくえ、(P.94~P.101)
  ・最新カタログ 日本のキャディラック応援団、(P.102~P.114)
  ・日本のキャディラック・ミュージアム、(P.115~P.119)


88キャデラックワールド
〈「キャディラック ワールド」の表紙〉














29.よちよち歩きの日本車


 原価を変動費と固定費に区分して大量生産による低コスト化効果を佐吉は説明した 


デトロイトのレストランでの夕食の話題は深刻になってきた。
今まで技術一筋で来たので会社の経営のことがわからない西川秋次は、素朴な質問を佐吉にぶつけることにした。

「社長。ひとつ質問があるのですが、タクリー号はフォード車よりかなり小型ですよね。小型ということは部品など材料費が大型のフォード車より安いわけでしょう。それなのに、どうしてフォード車との価格競争に負けてしまうのですか」

「西川君。お前さんの質問は極めて初歩的であるが、同時にとても大切な点でもあるので、基本から説明をしなくてはいかんな」といって、佐吉は身を乗り出した。

「機械の原価は変動原価と固定原価に区分されることは、知っているな」

「はい」

「変動原価というのは、生産台数に比例する材料費などであるが、この部分は生産台数が増えたからといって1台当りの原価はそれほど大きく変わらない。これに対して、固定原価というのは、生産台数と無関係の原価をいう」

「はい」

「自転車の例えで説明すると、1台あたりの材料費、すなわち変動原価を2円としよう。自転車を20台生産するのも100台生産するのも工場の設備総額は100円で変わらないとしよう。1台当りの固定原価負担分は、100台の場合には1円になり、20台の場合には5円となる。ここまでは分かったかな」

「わかりました」

「そうなると20台生産の場合は変動費が2円、固定費が5円だから合わせて1台あたりの原価は7円になるね。これに対して100台を生産した場合は変動費が2円、固定費が1円で合わせて3円になる。機械の原価構造は多少の変動原価の差があっても、同じモノを大量生産した時の固定費の負担分の差が原価全体に与える影響の方が大きいのじゃ」

「そういうものですか」

「大量生産している大型のフォード車の方が、小型のタクリー号よりも低原価が実現できていて、それがゆえに価格競争力があるというわけなのだ。西川君、わかったかね」

「社長。たいへんよくわかりました。ていねいなご説明をありがとうございました」と素直に感謝の言葉を述べる西川であった。


西川秋次は工業学校を卒業後、学校の推薦で新設したばかりの豊田式織機株式会社に就職をした。

入社すると新型織機開発部門に配置され、学校で習った工学の基礎技術を生かせる仕事ができると喜んだのもつかの間、実際は豊田佐吉常務のアシスタント役で、常務の指示に従って行動するだけの多忙な日々を過ごしていた。

そうこうしていると、会社はこれ以上経営を継続することは無理なので解散すると知らされた。
途方にくれていると、常務から「今までの給料を保証するから英語を勉強するように」と誘いがあった。

失業することを覚悟していたので、この言葉をありがたく受け止めて、必死になって英語の勉強を続けていたら、次に「三井物産と相談して、わしのアメリカ旅行の準備を進めるように」と指示を受けた。

自分の給料が常務の財布から出ていることを知っている西川は、佐吉の信頼を裏切らないように、物産の担当者からアメリカの現状を教えてもらい、何とか旅行プランをつくりあげたら、今度は「自分と一緒にアメリカ旅行をするように」と命ぜられた。

これには心底驚いた。
自分のように無知な男が、常務をアメリカに案内できるのか。
たしかに旅行プランは三井物産の指導を受けて自分が作成したが、そこには何の現実味もなかった。

実際行くとなるとそうもいかない。
もう一度やり直してみたら、自分が作成したプランがいかに非現実的であったかがよくわかり、冷や汗をかいた。


日本を出発して今日までで2/3が経過した。

行程変更を余儀なくされることもなかったわけではないが、大枠は計画どおりに進んでいる。
常務、いや社長の機嫌も決して悪くない。
それどころか、日が経つにしたがって明るく元気になっている。

どうかこの機嫌が、日本に帰国するまで続くようにと祈る西川であったが、昨日と同様、このレストランで最後の客となっていることに気がつき、熱心に原価構造の話を進めてくれた豊田佐吉に席を立つように言葉をかけるのであった。

(※29-23話【第1,006回】は、ここまで)