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100話.パリでのゴールイン〔後編〕

《 主な登場人物 》
■ケッペン中尉:1878年頃の生まれ。パリにゴールインしたプロトス車リーダー。
■ジョージ・シュスター:1880年頃の生まれ。2位でパリに到着したトーマス車リーダー。


列車に乗って時間を稼いだプロトスにペナルティが課せられてトーマスが優勝した


トーマスチームは、最後の国となるフランスにようやくたどり着いた。
ドイツ車を無視したこの国の人は、アメリカ車を大歓迎した。
プロトスがロッキー山脈で、列車に乗せてもらって移動したという事実は広く知れ渡っていたので、フランス人はアメリカ車の健闘を称えた。

パリに至る町々での歓迎行事で時間を取られることになったが、プロトスに追いつくことは不可能と悟ったリーダーのジョージ・シュスターは、フランス人の好意に甘えることにした。

この頃、トーマスチームの一員としてトーマスチームの様子をくまなく記事にして本社に送信していたル・マタン紙のフュリック・ヌーヴィル記者は、書くことがいっぱいあった。
これらの記事は毎日発行するル・マタン紙を通じて全フランスに配布されていたので、途中の町での歓迎式典はますます盛大になっていた。


7月25日、プロトスは先頭を切ってパリにゴールインした。それから5日後に、トーマス・フライヤーが到着し、長い闘いの日々は終わることになった。

アメリカ人とフランス人で構成されるレース開催委員会は、トーマス・フライヤーとプロトスのペナルティをどのように課すかで意見を戦わせた。
そこで問題となったのは、アメリカにおいて最難関のロッキー山脈越えで汽車に乗ったことである。その他にも様々な理由をつけて、15日のペナルティがプロトスに加えられることになった。

その結果、トーマス・フライヤーの優勝という判断を下したが、これは主催者のル・マタン新聞社とニューヨーク・タイムス紙の意向が強く反映したものである。

この決定からかなり後に、ほとんど忘れられかけたツーストが9月17日パリに入ってきた。



ピーター・ヘルクが描き著作した『栄光の自動車レース』という豪華本が出版された


『クルマの歴史300話 第二巻 自動車の産業の興隆』の「100話 パリでのゴールイン」は、ニューヨークを出発してサンフランシスコを経由し、超々長距離を走りぬいてとうとうパリにゴールインして大詰めを迎えている。
ここに至る6つの自動車チームが経験した苦闘の物語は、8話構成というロングストーリーとなったが、ようやく終了することができた。

そこで、読者の皆さんに種明かしをしておきたいと思うが、この話の出所は『栄光の自動車レース』という本の9章「ニューヨーク~パリ:1908年」である。

この『栄光の自動車レース』という定価13,000円の豪華本は、1978年5月に朝日新聞社から発行された。
筆者は、2002年秋に神田にある乗り物専門の古書店で資料を探していた時に偶然めぐり会い、現在は私の宝物になっている。

この本の原本は『Great Auto Races』といい、絵と文章はアメリカ人のピーター・へルクという人物が書いている。
自動車ファン、特にクラシックカーのファンなら、この人の名前を知らなくても、ヘルクが書いた素晴らしいタッチの初期自動車レースのイラストレーションならどこかで見たに違いない。
バーニー・オールドフィールドを始めとした20世紀初頭に活躍した自動車レーサーの生き生きとした運転ぶりと当時の風俗が見事に描かれているし、この本で語られる20世紀初頭のヨーロッパとアメリカ合衆国の自動車レーサー群像の話は、今となっては貴重な資料となっている。

『クルマの歴史300話 第二巻』は、これでお終いとなる。

『クルマの歴史300話 第三巻』は“自動車の大量生産”とタイトルされ、アメリカ合衆国でヘンリー・フォードによって開発されたベルトコンベア方式の大量生産によって〈フォード/T型〉が続々と誕生し、自動車が大衆化する話を中心に置いて、1909年から第1次世界大戦が終了するまでの期間の“クルマの歴史物語”が語られることになっている。

(〔100話〕はここまでで、一週間お休みをいただき、“三のⅠ章”のスタートとなる〔101話〕は3月31日(火曜日)に掲載します。)


100話.パリでのゴールイン〔前編〕

《 主な登場人物 》
■ケッペン中尉:1878年頃の生まれ。パリにゴールインしたプロトス車リーダー。
■ジョージ・シュスター:1880年頃の生まれ。2位でパリに到着したトーマス車リーダー。


ロシアの首都ペテルスブルグに最初に入城したプロトスの歓迎晩餐会が開催された


1908年2月12日、厳寒のアメリカ合衆国ニューヨーク市を、異様に目を輝かせた男たちを乗せたクルマがパリを目指して超々長距離自動車レースに出発した。

参加車6台のうち、最初に脱落したのはシゼール・ノーダンで、次にモトプロクが動かなくなり、サンフランシスコまで走ったのはトーマス・フライヤー、プロトス、ツースト、ド・ディオン・ブートンの4台であった。

その後、ロシアの太平洋サイドの玄関口であるウラジオストックでド・ディオン・ブートンはレースを中断することになり、ツースト、プロトス、トーマス・フライヤーの3台が、5月18~19日にウラジオストックからパリに向かって出発することになった。

ここでトップに立ったのはイタリア車のツーストであったが、スパイ容疑でロシア憲兵に捕まり2週間拘留された結果、トーマス・フライヤーとプロトスの2台が先頭を競い合うようになった。
どちらのクルマもロシアの田舎で重要部品を壊して動かなくなるなど難行苦行の日々が続いたが、シベリアの大地を離れてロシア中央部に入る頃には、ドイツ車のプロトスがアメリカ車のトーマス・フライヤーをリードしていた。


先頭を切って走るプロトスチームは7月16日にモスクワに到着した。
モスクワが首都になったのは1917年のロシア革命以降のことであって、この頃のモスクワは人口だけ多い田舎都市で、次の目的地であるペテルスブルグだけがロシアの首都として輝いていた。

プロトスチームのリーダーであるケッペン中尉は、アメリカ走行中に軍隊調でやりすぎてチームはばらばらであったが、これを反省した以降は結束が生まれ、祖国ドイツへの一番乗りを目指して士気は高まっていた。
ドイツ入りが現実感を帯びることになるこの辺りは、幹線道路としてきっちり路面が整備されているので夜を徹して運転を続けることができて、モスクワ入りの翌々日には首都ペテルスプルグに到着した。

「トップで首都ペテルスブルグ入りしたチームに賞金千ルーブルを与える」とロシア皇帝は発表していたので、プロトスチームがこれを受け取ることになった。
そうなると、正装して宮殿を訪れ皇帝陛下から恭しく受け取る儀式に参列しなくてはならない。
ここで時間をロスすることに心理的な抵抗があったが、賞金はどうしても欲しかったので参列することにした。

儀式の最中、ケッペンは後を追っかけてくるトーマスチームが気になって仕方なかったが、謁見時に皇帝主催の晩餐会に招待いただくことになった。
さらに時間をロスせざるを得ない状況に追い込まれたが、賞金千ルーブルを受け取った手前、ここへの出席を断るわけにいなかくて、さらに貴重な時間を浪費することになるのである。


トーマスチームが首都ペテルスブルグに到着したのは、プロトスチームに4日遅れの7月22日であった。
ここにはトーマス社のロシア地区代理店があることがわかっていたので、すぐにそこに行った。
そして、オムスクに送ってもらったトランスミッションの協力に感謝を表明したが、実際は鉄道会社の手違いでカザン駅に放置されていた事実も報告せざるを得なかった。

この代理店は自動車を点検できる設備が整っていたので、最後の総点検を実施し悪い所は大急ぎで修理に取り掛かり、傷んだタイヤはミシュランの新品に取リ換えた。

この作業中にトーマスチームにも、晩餐会の招待がもたらされたが、プロトスを追い越すことに執念に燃やしているシュスターは、行事への出席をていねいに断って、修理完了次第パリに向かうことにしたのである。



ドイツの首都ベルリンにトップで入ったプロトスを、ドイツ人は熱狂的な歓迎をした


トーマスチームは公式行事へ参加しなかったので、プロトスとの時間差を詰めることになり、プロトスは2日間だけのリードで、地元のドイツに入ることになった。

ドイツ生まれのプロトス車は、どんな田舎町でも心のこもった歓迎を受けることになったが、いよいよ首都ベルリンへの入城を果たす段になると、人々の歓迎はさらに凄まじかった。
市内のメインストリートを音楽隊が先導するパレードが準備され、紙ふぶきが舞う中を行進することになったが、栄光のプロトスに触ってみたいという人々がクルマの前に飛び出してきて、危険きわまりなかった。

この中でひときわ目立った行動していたのは、退役陸軍将校のケッペン中尉の父親で、この典型的なドイツ軍人は自分の息子の偉業が嬉しくてたまらなかったので、周りの人々に誇らしげにふれ回っていた。

やがて広場で待ち受けていた皇帝陛下の前にパレードは到着して、皇帝から恭しく勲章を戴くことになり、興奮は最高潮に高まった。
この夜は、ドイツ自動車クラブからの公式歓迎会への招待を受けることになった。
ケッペンはいったん断ろうと思ったが、せっかくの好意であるので、この晩餐会が終わり次第ベルリンを出発することにした。

クルマの方は、プロトス社のエンジニアを総動員して、悪い部品は全て新品に交換するように指示をしていたので、晩餐会への参列も決して時間が無駄になったわけではなかった。


この頃、トーマスチームはようやくドイツ国境に着いたところだった。
ドイツ国内の道路は整備されていたので24時間運転を続けてベルリンに到着することになった。
ベルリンではプロトス大歓迎の余韻が残っていて、アメリカ車の到着を待ち受けていた人々がいた。
トーマス・フライヤーが来たことは、ぼろぼろになったアメリカ合衆国の国旗で知れ渡り、ベルリンっ子たちはニューヨークからここまでたどり着いたアメリカ車とアメリカ人への賞賛を惜しまなかった。
この頃、ドイツの人々にとって、アメリカ合衆国は移民を受け入れてくれる友好国であり、心温まる歓迎ぶりはアメリカ人ジョージ・シュスターやノルウェー人ハンス・ハンセンを喜ばせるのに充分であった。



超々長距離自動車レースのゴールであるパリに、プロトスが先頭でゴールインした


首都ベルリンを出発したプロトスは、最後の目的地であるパリに向かってまっしぐらに進んでいた。

ベルリンで完璧な修理をした直後であるし、ドイツ国内にはプロトスの販売店が点在していて、緊急事態が発生しても大丈夫なのでエンジン全開で走行した。
ロシアの時と違って、新車と変わらぬ性能を取り返したプロトスのスピードは凄まじく、再びトーマスチームに差をつけ始めたのである。

トップをひた走るプロトスチームはハノーバーに到着し、ここで最後の休息を取り、翌朝、太陽の光が燦々と降り注ぐ中を出発した。
この辺りの道路状態は素晴らしかったが、その分自動車がたくさん走っていて、自分たちの走行スピードとこれらの自動車のスピードがまったく異なるので、一般車は邪魔者でしかなかった。
その後大都会のケルンに到着して、ライン川の橋を渡った。

この後、祖国ドイツに別れを告げ、プロトスは隣国のベルギーに入った。
ベルギーは小さな国でありすぐにここを横切り、いよいよ最後の国であるフランス国境を通過すると、最終目的地のパリまではあと320キロ足らずとなった。

フランス国内にはトップを走るプロトスを歓迎する雰囲気はまるでなく、人々は猛スピードで駆け抜けるドイツ車を静かに見守るだけだった。
結果としてこのフランス民衆の態度が勝利に直結することになり、プロトスチームは脇目もふらず最終区間を飛ばしに飛ばし、最後のゴールであるパリ到着がいよいよ迫って来た。


プロトスに続いて、トーマスチームもベルリンを出発した。
前途にはまだ1,120キロの道が横たわっていた。
ハノーバーで1泊して、翌朝走行を開始しようとしたら、クラッチがいうことをきかなくなり、エンジンは威勢よく回転するのだが、エンジンパワーが車輸へと伝わらないという深刻な事態に遭遇した。

この修理は手間取った。夕方になってようやく動くようにはなったが、今度はヘッドライトが点かなくなっていた。
時間を大きくロスしたのを取り返そうと考えて、卜―マスチームは闇の中へ飛び出したところ、断続的な雨が降り出し、無灯の車は深夜降り続く雨の中をゆっくりと前進した。

ドイツからベルギーに入る頃になって、再びクラッチの調子が悪くなり、その他にも故障寸前の部品がたくさんあって、モタモタ走るだけでトップのプロトスチームとの差は広がるばかりであった。

(金曜日の〔100話:後編〕に続く)


99話.ユーラシア大陸での前進〔後編〕

《 主な登場人物 》
■ヌーヴィル・フュリック:1880年頃の生まれ。トーマスチームを応援する新聞記者。
■ジョージ・シュスター:1880年頃の生まれ。トランスミッションで悩むトーマス車リーダー。
■ハンス・ハンセン:1877年頃の生まれ。トーマス車の優勝に協力するノルウェー人。


トランスミッションの応急修理に成功したトーマス・フライヤーは、再び前進を開始した


トランスミッションの応急修理に成功したトーマスチームは、イルティシュ川を離れて前進を続けて、7月6日にシベリア鉄道の重要な分岐点であるエカテリンプルグ駅にたどり着いた。

ここで、シュスターら一行と鉄道で先行したヌーヴィル記者が再会を果すことになったが、もうひとりのヨーロッパ人との再会は全員を驚かすに充分であった。
それはプロトスチームのリーダーのケッペン中尉であった。


この前にトーマス・フライヤーはプロトスを追い抜いた。
その後、一度たりともプロトスを見ていない。
それにもかかわらずケッペンがここにいるのは、自分たちの走行ルートと異なるルートで追い抜かれたに違いないと落胆をしたトーマスチームメンバーに、新しい事実が判明することになった。

ここでわかったことは、プロトスは車軸を折ってしまい、800キロ後方で立ち往生しているという事実であった。
新しい部品をモスクワに発注したケッペンはシベリア鉄道に乗ってここまで来て、この到着を待っていたのである。

応急修理したばかりのトーマス・フライヤーのトランスミッションは、風前の灯であるが、競争相手もウラル山脈のふもとで、損傷した重要部品の到着をじっと待っていて、歴史的な超々長距離自動車レースの勝負は今や、部品を届けるシベリア鉄道の手に握られることになったのである。

ここでトーマスチームは作戦を練り直した。
どう考えても、応急修理したばかりのトランスミッションはパリまでの数千キロ走行にもちそうにないので、再度真剣に行方不明のトランスミッションを探すことにして、これをリーダーであるシュスターの役割としたところ、ヌーヴィルも新聞社の情報網を使って最大限の援助をすることを約束してくれた。

ナビゲーターのハンセンは、よたよたのトーマス・フライヤーを前進させる役割を担うことになった。
こうしてシュスターが抜けたトーマスチームは、次なる難所である標高1,219メートルのウラル峠越えに危げな足どりで挑戦することになった。

今まで何度も峠越えをしてきたが、今度が最後の険しい峠越えとなった。
難所を通るのに1年でいちばんいい季節であった上に好天に恵まれて、雨に一度も遭遇することはなかったので、覚悟をした割には順調な走行が続いて、とうとう峠のてっぺんに到達した。
ここには、東側の方向に位置する場所に「アジア」、西側の場所には「ヨーロッパ」と刻まれた標識が立てられていた。



行方不明のトランスミッション梱包が、カザン駅にあることをG.シュスターは見つけた


ウラル峠を越えたペルムという所に着いたトーマスチームに、トランスミッションを探しに行ったシュスターから電報が届いていた。

「ハンス・ハンセン様 汽車を使って主要駅に保管してある荷物を調べたところ、カザン駅にて木箱に梱包された272キロという重さのトーマス社の代理店から発送された荷物があることが判明。この荷物を私がシベリア鉄道で運べる所まで運ぶことにする。シュスターより」

カザン駅は、ペテルスブルグからの鉄道とシベリア鉄道との分岐駅である。本来ならこの駅で、オムスク行きの貨物列車に積み換えることになっていたのだが、駅員が積み忘れてそのまま放置されていたのだった。

この電報を受け取ったハンセンは、シュスターがカザン駅からトランスミッションを持っていく所はどこか、そしてどこで部品交換作業をするかを考えた。
新しいトランスミッションと瀕死のトーマス・フライヤーが出会うのに少なくとも1週間はかかることが想定されたので、結論として、トーマスチームは前進することにして、カザン駅にいるはずのシュスター宛てに電報を打った。

「ジョージ・シュスター様 行方不明のトランスミッションを探し出してくれてありがとう。われわれは一刻の時間も無駄にできないので、明日ペルムを出発して、当面の目標地であるベルリンに向かうことにする。途中でトランスミッションの交換作業をするので、そこまで汽車で運んで欲しい。ハンス・ハンセンより」


ペルムではシュスターからの電報と一緒に、アメリカからのエドウィン・トーマス社長からの電報が届けられていた。

「ジョージ・シュスター様 トランスミッションに関してペテルスブルグの代理店に問い合わせたところ、間違いなく発送しているので、必ずオムスクに到着するから安心するように。部品交換すれば優勝は間違いないから、最後まで頑張って欲しい。今のペースで行くと、パリに到着するのはいつの予定になるか連絡を待つ。また運転のプロのモンティ・ロバーツを、最終区問のドライバーとして送リ込んでやろうか。返事を待っている。エドウィン・トーマスより」

 これを見たハンセンは、この電報をカザン駅のシュスターに転送した。シュスターはこれを見て、すぐにアメリカのトーマス社長宛てに電報を打った。

「エドウィン・トーマス社長様 トランスミッションはカザン駅にあることが本日確認されたので安心されたし。運転の交代に関しては、現在のスタッフで十分なので必要なし。パリ到着は7月26日を予定している。トーマスチームのシュスターより」


当面連絡すべきことは全て完了したので、ハンセンはペルムを出発してパリを目指すことをトーマスチームに伝えた。
出発直後から激しい雨が降ってきて、なかなか降り止まなかった。
ジャッツイという所まで来たら、ロシア人の鍛冶屋で応急修理をした歯車が駄目になり、トーマス・フライヤーは動かなくなってしまった。

一方、車軸が折れて動けなかったプロトスの方は、トーマスチームより1週間部品到着が早く、すぐに修理作業を行い、動ける状態に戻ったので、再びパリを目指して出発してスピード走行を開始した。
ジャッツイでトランスミッションの到着を待っているトーマスチームを横目で見て、猛スピードで走り抜けていった。

シュスターは汽車と馬車を乗り継いで、350キロの旅をして、カザンから貴重な荷物を持ち帰った。
そのトランスミッションが据え付けられ、トーマス・フライヤーは再び動き出した。

7月19日、疲れ果てたトーマスチームは、ニジニー・ノブゴロドに着いた。
ヌーヴィルが迎えに出て、チームメンバーは13日ぶりに風呂に入リ、着替えをし、まともな食事をとった。
トーマス・フライヤーの方はエンジンマウントが緩み、クラッチもおかしくなり、タイヤは傷だらけだったが、モスクワまでの360キロは、なんとしてももたせなければならなかった。

(〔99話〕はここまでで、〔100話〕は来週の火曜日に掲載。)


99話.ユーラシア大陸での前進〔前編〕

《 主な登場人物 》
■ヌーヴィル・フュリック:1880年頃の生まれ。トーマスチームを応援する新聞記者。
■ジョージ・シュスター:1880年頃の生まれ。トランスミッションで悩むトーマス車リーダー。
■ハンス・ハンセン:1877年頃の生まれ。トーマス車の優勝に協力するノルウェー人。


ようやくのことでたどり着いたオムスク駅に、トランスミッションは到着していなかった


ウラジオストックを最初に出発したイタリア代表のツーストは、スパイの容疑をかけられロシアの憲兵に捕まり、2週間拘留された。
このことによって、ドイツ代表のプロトスとアメリカ代表のトーマス・フライヤーの2台がトップを争うことになったが、トラック仕様で悪路に強いプロトスチームが先行し、トーマスチームは追撃に総力をあげていた。

そのトーマス・フライヤーのトランスミッションのギヤが破壊寸前の状態になり、交換できるトランスミッションの新品をチームリーダーであるジョージ・シュスターが急いで手配した結果、「ロシアの首都ペテルスブルグにあるトーマス車の代理店が在庫している物を、シベリア鉄道経由でオムスク駅に送る手配が完了した」というトーマス社長からの連絡をトムスクで受け取ることになった。


099話トーマス1908年大陸間レース 
←アメリカ代表のトーマス車








トランスミッションがいつ壊れるか不安の中で走行してきたトーマスチームは、新しい部品に交換できると勇気付けられてオムスクヘ向かって進んでいた。
スピードはのろかったが少しずつオムスクが近づいてきた。
相変わらずトランスミッションの調子は悪く、この頃になるとローギヤだけでの走行となっていたので、オーバーヒートにならないようにエンジンの冷却への配慮が欠かせなくなっていた。

トーマスチームがオムスクに着いたのは7月1日であり、ウラジオストックを出発して以来44日間かけて5,500キロという長距離を走破したことになる。

市内に到着したトーマスチームは、交換部品を入手するためにシベリア鉄道のオムスク駅に直行した。
ロシア語が堪能なフランス人ヌーヴィル・フュリックの通訳で、「駅留めでトーマスチーム宛てに大きな鉄道小荷物が来ていないか」を駅員に問い合わせたところ、そんなものは到着していないと返事があった。
そんなはずはないと、さらにしつこく聞いてみたが、トランスミッションやっぱり到着していなかった。

この事実を知ったトーマスチームの全員が落胆し、ここまでチーム全員を引っ張ってきた希望が、音を立てて崩れ去ったのである。

「これはまずい。何とかしなければ」と思ったものの、いちばん気落ちしたのはシュスター本人なので建て直しが難しかったが、トーマス社長に電報を打つことにした。

「エドウィン・トーマス社長殿 本日オムスク駅にトランスミッションの受け取りに行ったところ、到着していない事実が判明した。いつ、どこから発送したのか詳細情報を連絡されたし。トーマスチームのシュスターより」



故障寸前のトーマス・フライヤーが、車軸のトラブルでもたつくプロトスを追い越した


Felex,Neuville第二巻099話
〈チームに協力するヌーヴィル・フェリック〉





ここで落胆したトーマスチームを励ます役割を担ったのが、ル・マタン紙のヌーヴィル・フュリック記者である。
ヌーヴィルは、「自分が行方不明になったトランスミッションを探すので、チームはパリに向かって前進したらどうか」と、提案した。

この提案で元気が戻ったトーマスチームは、再びパリを目指してオムスクを出発することになった。
そういってもトランスミッションの問題は解決をしたわけではないので、のろのろ運転で進んでいたら、はるか前方にやはりのろのろと走っているプロトスが視野に入ってきた。
しかも、そのスピードは自分たちより遅いことがわかってチーム全員の血がたぎってきた。

幸いにしてトーマス・フライヤーのエンジンの方は問題なかったので、追撃ののろしを上げ、ローギヤのままアクセルをいっぱいに踏み込み、ついにプロトスチームを追い越した。やがて差がつき始め、ライバルは見えなくなってしまった。


意気が上がるトーマスチームは、イルティシュ川に到着した。
この川を渡った直後から、猛烈な雨が降ってきて、たちまち道路は泥の海と化した。
泥の中に車輪を取られ、ここから脱出しようとして板をかませてアクセルを吹かした瞬間にトランスミッションからガリガリという大きな異音が発生した。
しまったと思ったが後の祭りで、エンジンの回転はもはや後輪に伝わることはなかった。
雨の中を水がかからないように傘を差して、トランスミッションカバーを開けて中を見たらギヤの歯が折れて噛み合わなくなっていた。
懸念した最悪の事態が発生したのである。

ここで解決策は2つ考えられた。
ひとつはオムスク駅で受け取る予定だった新品のトランスミッションを探して交換することである。
もうひとつの解決策は、近くの鍛冶屋でギアの修理をすることであるが、田舎の鍛冶屋の技術力では成功の確率はきわめて低かった。

ジョージ・シュスターは交換部品を探す役を担うことになり、農民を雇い50キロもの道をオムスクまで戻ることにした。
ここで、行方不明のトランスミッションを探すために、考えられる全ての所に電報を打って、じりじりしながら駅で待っていたが、返ってきた電報はシュスターを落胆させるものばかりであった。

一方、修理を担当することになったのは、ノルウェー人ナビゲーターのハンス・ハンセンである。
修理できる可能性は低かったが、やるだけやってみようということで、これまた近所の農家の馬車を借り受けて、動かなくなってしまったトーマス・フライヤーを馬車の力で近くの鍛冶屋まで引いてもらうことにした。

幸いにしてロシア人の鍛冶屋は事態を正しく理解して、それから2日間、欠けた歯の代用品を工夫してつくりあげ、他の歯車と噛み合うように努力した結果、トランスミッションの応急修理は奇跡的に成功した。

シュスターは期待した回答をひとつも得られなくて、失望の中でむなしく帰ってきたところ、ロシア人の鍛冶屋での応急修理でトランスミッションが再び生き返った事実を知って、絶望の渕から這い上がることができたのである。

(金曜日の〔99話:後編〕に続く)


98話.シベリア大地の泥沼〔後編〕

《 主な登場人物 》
■ジョージ・シュスター:1880年頃の生まれ。シベリアでトップを競うトーマス車リーダー。
■ケッペン中尉:1878年頃の生まれ。トップでのドイツ入りに執着するプロトス車リーダー。
■ヌーヴィル・フュリック:1880年頃の生まれ。ル・マタン新聞社のフランス人記者。


トップのツーストはスパイ容疑によって拘留されることになり、2台に追い抜かれた


ロシアでのレースに突入してから、先行するツーストを追うプロトスとトーマス・フライヤーは泥沼で時間を取られてしまったが、その後はシベリアの大平原をひたすら西に向かって走ることになった。

この辺りはまともな道がない上に、道路の行く先を案内する標識もなく、両チームとも本当にこの道でいいのかを聞いて回り、方向だけを頼りに前進していた。
この点は先行しているツーストも同じであったが、ツーストチームが手元に持っている道路地図は不完全なもので、どこへ行ったらいいのかに迷うことが多かった。
自分たちはいったいどこを走っているかがわからなくなってしまったツーストチームは、先ほど通った道を行ったり来たりしたり、普段人が行かない所に足を踏み入れたりしているうちに、変な自動車がシベリアの大地をうろつき回っているという噂が広まり、その噂に尾ひれがつき、「イタリア人のスパイが、あちこちで調査をしている」ということになってしまった。

この噂の真意を調べようと動き始めたのはロシアの公安当局であり、ツーストチームの一行は連行され、根掘り葉掘り尋問を受けることになったが、言葉がまったくわからないので返答のしようがなく、何日も拘留されることになった。

ツーストチームのひとりは、この状況を打開するには新聞がいちばんだと気がついた。
ニューヨークを出発する時に手に入れたニューヨーク・タイムス紙を持っていたので、これを提出して自分たちはニューヨーク~パリ間の自動車レースの参加者であることを強くアピールした。

英語で書かれたアメリカの新聞を入手した係官は、これをウラジオストックの本庁に提出して調べてもらったところ、つい先頃、アメリカから渡ってきた自動車レースチームのうちのイタリア代表のツーストチームに違いないと判断して、すぐに釈放するように指示を出したのである。

この結果、ツーストチームの全員は無罪放免されることになったが、留置所で拘束された2週間で、トーマス・フライヤーとプロトスに追い抜かれ、その差は大幅に開いていた。

この2つのチームでは、トラック仕様で荒地の走行性に優れたプロトスが安定した走りを続けて、トーマス・フライヤーをリードするようになってきた。



ル・マタン紙のフランス人記者F.ヌーヴェルは、トーマスチームの応援に回った


トーマス・フライヤーが、シベリア鉄道のポクラニッチナヤ駅にたどり着いたら、フランスのル・マタン紙のヌーヴィル・フュリック記者に出会うことになった。

ロシア語が堪能でロシアの国内事情に詳しいフランスの新聞記者は、本来ならド・ディオン・ブートンの応援記事を書くために派遣されていたが、既にフランス代表はレースを退場しているので、手持ち無沙汰な状態にあった。
そこで自国フランスの代わりに、アメリカ代表のトーマスチームを応援することにしたが、その実はドイツ人が大嫌いなので、プロトス以外ならどのチームでも良かったのである。

シュスターを始めとしたトーマスチームといっしょに行動するうちに、ヌーヴィルはチーム員との間でだんだんと信頼関係が築き上げられ、トーマスチームの一員として打倒プロトスに向かって協力を惜しまなくなっていた。
そのうちにヌーヴィルは、シベリア鉄道の汽車を使って本隊に先行し、先行するプロトスの動向を調べて、トーマスチームが走行するに必要とするサービスや品物を、事前に確保する役目を自ら担うようになっていたのである。

汽車で先行するヌーヴィルは、プロトスに関する情報を正確に把握した。
この情報によれば、プロトスは6日分先を走っているという。
これを取り返すには普通の走行では無理なので、シュスターは再び鉄道の枕木の上を走行することにし、ガタピシ音を立てながらタイヤを擦り減らし枕木の上を走り、少しずつ先行するプロトスとの距離を狭めていた。

6月21日になると、トーマスチームはバイカル湖畔のバブシキンの船着場でプロトスチームに追いつくことになった。
この船着場からは船に乗って対岸のイルクーツクに行くのが近道である。プロトスチームが乗船した船に乗ることができれば、差がなくなると思ったのもつかの間、連絡船は予定時間より早く出港してしまい、トーマスチームは乗せてもらえなかった。
よく見ると船上はがらがらでスペースは十分あった。



トーマス・フライヤーのトランスミッションが壊れ、シュスターは電報で緊急手配した


プロトスのケッペン中尉は、トーマス・フライヤーが接近しているのを知っていたので、連絡船の船長に金を握らせ、早めに船出をさせたのである。

これを知った、ジョージ・シュスターは切歯扼腕することとなった。連絡船は1日に1回しか出港しないので。
丸24時間、ここで待ちぼうけを食らうことになった。
いたずらに時間を過ごしても意味がないので、この際しっかり休息を取るよう、シュスターはチームメンバーに指示をした。

翌日になった。連絡船に乗船したトーマスチームは、対岸の河口都市であるイルクーツクでクルマを下ろして、再びプロトスの追撃を始めた。
メンバー全員久方ぶりにゆっくりと休息が取れたので意気軒昂であったが、クルマの方は相当くたびれていて、特にトランスミッションの機嫌が悪く、歯車の狂いがだんだんひどくなっていた。

エンジンと車輪をつなぐ連絡役のトランスミッションはたいへん重要な部品であり、これが壊れたら自動車は動かなくなる。
無理をしないように心掛けたが、調子は悪くなるばかりで、ギヤの入れ替えには大きな力と同時に慎重な取り扱いが必要となっていた。

このままでは故障して動かなくなるに違いないと不安になったシュスターは、代わりのトランスミッションの手当てをすることを考えた。
そうはいっても、どこに連絡して、どのように入手したらいいのか、実に難しい問題に直面することになったのである。

宛先を、アメリカ合衆国バッファローにあるE.R.トーマス社のエドウィン・トーマス社長として、最初の電報がシュスターから送信された。

「エドウィン・トーマス社長殿 わがチームの現在地はイルクーツク西方120キロであり、次の目的地のオムスクに向かって走行しているが、トランスミッション破損という、スタート以来では最大のピンチに遭遇しつつある。至急、シベリア鉄道のオムスク駅留めにてトランスミッションを送って欲しい。この電報の返信は、次の休憩予定地のトムスク駅留めに送信されたし。トーマスチームのシュスターより」

電報を打ったトーマスチームは、アメリカからの電報を受け取る予定地のトムスクまでは、何としてもたどり着かなくてはと、トランスミッションでのギヤチェンジを最小回数で抑えるように慎重な運転で進むことになったが、当然スピードは落ちてきた。
こうなると夜になって休息を取るわけにいかないので、夜の間も交代で運転することになったが、先行するプロトスにどんどん離されているに違いないと、チームメンバーの気持ちは焦ってきた。

トーマスチームは6月27日にトムスクに到着した。
町の中心部に入って宿屋を探していたら、なんとプロトスチームが出発するところに遭遇したのである。

実は先行するプロトスにも重大なトラブルが発生して、スムースな走行ができなくなっていた。
ドイツから新しい部品を取り寄せる手配をしていたのであるが、それまでは何とか自力走行したいと考えて、慎重な運転をしていたのである。

トーマスチームはトムスクの駅に電報を受け取りに行くと、トーマス社長からの電報が待っていた。
「トーマスチームリーダー ジョージ・シュスター殿 毎日大変な走行でご苦労である。要請があったトランスミッションの件、幸いにしてペテルスブルグの代理店に新品があったので、シベリア鉄道を使ってオムスク駅に送る手配は完了した。オムスクまでは、自力走行を続けて欲しい。健闘を祈る。エドウィン・トーマスより」

この電報を見たシュスターは勇気百倍となり、オムスクまでは何が何でもトランスミッションをもたすようにチームメンバーに指令を出すのであった。

(〔98話〕はここまでで、〔99話〕は来週の火曜日に掲載。)