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61話.20世紀初頭のドイツ車〔前編〕

《 主な登場人物 》
■フェルディナント・ポルシェ:1875年生まれ。電気自動車を開発したチェコ人技術者。
■パウル・ダイムラー:1859年生まれ。イギリスからオーストリアに移るダイムラーの息子。
■アウグスト・ホルヒ:1868年生まれ。ベンツ社を離れ独立したドイツ人若手技術者。
■カール・ベンツ:1844年生まれ。よる年波に勝てず引退を決意するベンツ社社長。



 フェルディナント・ポルシェは電気自動車の次にガソリン電気ミックス車を開発した 


19世紀末のドイツやフランスで、実用的な電気自動車、蒸気自動車、ガソリンエンジン車が続々と開発され、20世紀に入るとオーストリアハンガリー帝国の首都ウィーンの街でも、それらの自動車が走るようになってきた。

宮廷用に豪華な馬車をつくって提供しているヤーコブローナー社(以下、ローナー社)の社長であるヤーコブ・ローナーは、馬車が売れなくなっても大丈夫なように、電気自動車を次の時代のビジネスにするつもりになった。

このローナー社の技術陣の中心に、若きフェルディナント・ポルシュがいた。
ポルシェは、電気モーターの改良に取り組み、前輪のハブに新開発モーターを組み込むという画期的な構造の電気自動車〈ローナー/ポルシェ〉を開発した。
この自動車は1900年に開催されたパリ万国博覧会に出展され、来場した多くの人々の話題をさらったが、この時ポルシェは25歳という若さであった。

Porsche,Ferdinant②第二巻上061話
〈ハイブリッド車を開発したフェルディナント・ポルシェ>







ポルシェが次に考えたのは、ガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせるというガソリン電気ミックス車(現代用語でいえばハイブリッドカー)である。

〈ローナー/ポルシェ〉は重いバッテリーをたくさん積んで、バッテリーに蓄えられたエネルギーで前車輪に取り付けられた電気モーターを動かしているが、バッテリーがやっている仕事をガソリンエンジンにやらせようと考えたのである。
「ガソリンエンジンとダイナモ(発電機)を直結させれば、エンジンで得られたエネルギーはダイナモによって電気エネルギーに変えられ、前輪のハブに取り付けた電気モーターへ電流を送ることができる。そして、この電流で電気モーターを回せば、車輪も一緒に回ってくれるに違いない」

ポルシェはこの考えに基づいて開発した自動車を、〈ローナー/ガソリン電気ミックス車〉と名付けた。
この新車をエクセルベルグで開催された自動車レースに持ってゆき、自分で運転したところ優勝してしまうのである。


1902年のある日、ポルシェは1通の親書を受け取った。
それはオーストリアハンガリー帝国皇太子のフランツ・フェルディナント大公からじきじきに来たものであった。
この皇太子は、12年後の1914年にサラエボで殺害され、世界大戦の発端となった事件で歴史に登場する人物である。

親書の内容は、陸軍大演習の期間中、ポルシェを皇太子の運転手として召し抱え、〈ローナー/ガソリン電気ミックス車〉で本部と宿舎の間を往復するようにというもので、クルマの優秀性を皇太子殿下が認めてくださったということであるから、ポルシェは嬉しくてたまらなかった。

こうして〈ローナー/ガソリン電気ミックス車〉は、オーストリア陸軍の大演習で採用され、ポルシェは演習期間中、皇太子の運転手を勤めるのである。

061話ローナー・ポルシェ ハイブリッドカー
←〈ローナー/ガソリン電気ミックス車〉






 オーストロダイムラー社がダイムラー社の子会社として自動車づくりを始めた 


オーストリアの地に、1848年創業のフィッシャー兄弟機械製作所という会社があった。
この会社は自動車分野への新規参入を考えて、1898年にドイツのダイムラー社から技術指導と資本を受け入れ、会社名をオーストロダイムラー社に変更して再出発することになった。

1901年には、ゴットリープ・ダイムラーの長男パウル・ダイムラーがイギリスにあるデイムラー社からオーストリアにきて、この会社の技術指導をするようになった。


ここで、パウルのことについて触れておきたいと思う。
パウルは1859年生まれであるから、イギリスからオーストリアに赴任してきた時には41歳になっていた。

父ゴットリープから自動車技術の全てを学び、本来なら父の後継者としてドイツ本国のダイムラー社の社長になってもおかしくない人物である。
ところが、パウルが設計したPDモデルが市場から受け入れられなかったことによってダイムラー社内での信頼感にかげりが発生した時に、父が病で倒れた。
これらが重なり、ドイツ本社に居辛くなったそんな時に、ダイムラー社が技術支援をしているイギリスのデイムラー社技師長に自らの希望によって赴任したのである。

デイムラー社は、イギリスの自動車界の帝王にならんと野心をむき出しにするハリー・ローソンが支配する会社であり、ドイツ語の使用禁止など、パウルにとって納得できないことばかりを強制するので、社内では激しい衝突が続いた。

これですっかり嫌気がさしたパウルは、ドイツ本社への転勤を強く要請したのであるが、ダイムラー社トップはパウルの帰還を嫌い、オーストロダイムラー社の支配人職をあてがったのである。


Daimler,Paul②第二巻061話
〈オーストリアに移ったパウル・ダイムラー〉





こうしてオーストリアにやってきたパウルは、会社全体を見回して、技術陣がドイツ本社に比べて著しく劣っている点に気が付いた。
そこで、他の会社に優秀な人材はいないかと調査を始めたところ、1900年のパリ万国博覧会に出展した〈ローナー/ポルシェ〉という電気自動車を開発したフェルディナント・ポルシェという青年技術者の話をあちこちで聞くことになった。
パウルより16歳年下で26歳になっていたポルシェは、つい先ごろガソリン電気ミックス車という誰も考えつかない構造をもった画期的な自動車を開発したという。

ドイツ本社のガソリンエンジン技術に、ポルシェの天才的な技術のさえを加えたら、素晴らしいクルマが生まれるに違いないと確信をもったパウルは、さっそくポルシェに当社に来ないかとアプローチを開始した。

最初こそ乗り気になれなかったポルシェであったが、パウルのあまりに熱心な誘いと、提示されたポストに魅力を感じ、オーストロダイムラー社へ移る決心を固めることになった。

(金曜日の〔61話:後編〕に続く)


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