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65話.ヘンリー・フォードの成長〔前編〕

《 主な登場人物 》
■ウィリアム・フォード:1833年頃の生まれ。建国間もない新大陸にきたアイルランド移民。
■ヘンリー・フォード:1863年生まれ。子供時代から機械好きアメリカ人でエジソン社社員。
■クララ・フォード:1865年生まれ。ヘンリー・フォードと知り合い結婚する女性。


 ヘンリー・フォードの父親はアイルランドからミシガン州ディアボーンにやってきた


仮に“世界の20世紀自動車人:ベスト10”を選ぶ投票を自動車の専門家といわれる人々で行ったとすると、フォード社を創設したヘンリー・フォードはこの中に入ることは間違いない。
また、“20世紀のアメリカで活躍したビジネスマン:ベスト10”を選ぶとしても、ヘンリー・フォードは確実にこの中に入ることになろう。
このように、ヘンリー・フォードは自動車人としてみても、絶対欠かせない存在であると同時に、アメリカビジネス社会においても、その存在感はひときわ目立っている。

ヘンリー・フォードの父親ウィリアム・フォードはアイルランドからの移民であり、1847年に夢と希望を抱いてニューヨーク港に到着してアメリカ合衆国の国民になった。
そこから長いこと馬車に揺られて、さらに大型船でエリー湖を越えて、デトロイトの町にやってきた。

デトロイトから西南の方向に歩いて1日の距離の位置に、ディアボーンという所がある。
ここがフォード一家の住まいとなったが、この頃のディアボーンはとても人の住めるような場所でなかった。
フォード家を始めとした移民たちは森を切り開き沼地を干拓して、どうにか人間らしい生活ができるようになったのは、この地に定住してから、何年も経ってからのことである。

そのうちフォードはミシガン・セントラル鉄道の大工としての職を得て働き出し、結婚することになった。
そして、1863年6月に男の子が誕生した。
ヘンリーと名付けたこの子こそ、後に“自動車王”とか“大量生産の巨匠”といわれ、アメリカン・ビジネスマンとして世界で最も有名になる男である。

アメリカ合衆国が建国されたのは1776年のことであるので、ヘンリーが生まれた時は既に87年経っており、合衆国は産業革命の進展で元気に溢れる時代に差し掛かっていた。

フォード一家の住んでいたディアボーンは辺ぴな開拓地であり、教会もなかったし、公共設備というようなものは何ひとつできていなかった。
フォード家の住まいから歩いて30分ほどの所に、教室がたったひとつの学校があって、ここで受けた学びがヘンリーの学校教育の全てであった。

ヘンリーは、子供の頃から機械に異常な興味を持つ子供だった。
特に時計には強い関心を持っていて、壊れた時計を修理できることがヘンリーの自慢であった。
次に関心を持ったのは、乗り物である。
どこの国でも男の子は乗り物に興味を持つのであるが、アメリカの田舎には馬車以外には乗り物は何もなかった。

ヘンリーが12歳の夏のある日、父親と一緒に1日がかりで歩いてデトロイトまで行く途中で出会ったのが、蒸気を吹き上げながら大きな音を立ててズシズシと動いている大型のトラクターであった。
ヘンリーはこの蒸気トラクターを見つけると駆け寄って、運転している人にどのようにしてこの車が動くのかいろいろ質問を浴びせてみたが、その答えは機械構造知識を吸収したいと思っていたヘンリーを決して満足させるものではなかった。


065話蒸気トラクター
←蒸気トラクター

1876年の夏、ヘンリーは父親に連れられて、フィラデルフィアで開かれたアメリカ合衆国開国100周年を記念して挙行された万国博覧会を見るために汽車に乗った。
山を越え谷を渡り、白煙を吹き上げて突き進む汽車の旅は、ヘンリーを興奮させるのに充分だった。

フィラデルフィア万国博覧会には、アメリカ中から800万人が集まったという。
この頃の合衆国の総人口が4,500万人ほどであり、あれだけ広大な土地で、しかも交通手段が汽車しかなかったことを思うと、開国100周年万国博覧会は凄まじい集客力があったようだ。

博覧会会場では、グラハム・ベルが発明した電話機、トーマス・エジソンの蓄音機、作家のマーク・トウェインが自作したタイプライターなどが出展されていて、人だかりがしていた。
ヘンリーが度肝を抜かれたのは、1,600HPを発生するコーリス社製の蒸気機関であり、凄まじい音と水蒸気の迫力に圧倒された。

この万国博覧会に出展したのは、合衆国の人ばかりでなかった。
ドイツからは巨大なクルップ社製の大砲、イギリスからは“工作機械の父”と呼ばれるヘンリー・モズレーが開発した旋盤などが出展されていた。



機械いじりが大好きなヘンリーはガソリンエンジンに大きな可能性があると思った



Ford,Henry①第二巻065話
〈機械づくりに夢中のヘンリー・フォード〉





ヘンリーは長ずるにしたがって、田舎町で住むことに耐え切れなくなってきた。
ヘンリーの関心は機械にあったが、田舎で接することができる機械には限りがあった。
デトロイトの町に行けば、いろんな機械がいっぱいある。
そんな機械に囲まれた仕事がしたいという欲求が頭をもたげてきて、15歳になると、それを抑えることができなくなった。

両親にデトロイトで働きたいと、自分の考えを伝えたところ、猛反対をくらうことになったが、どうしてもデトロイト行きを諦めることができず、16歳になったら家出しようと思いつめるのであった。

16歳になり、家出覚悟でデトロイト行きを主張したところ、あまりの剣幕に今度は両親が折れて許してくれた。
こうしてデトロイトの街で働くようになったヘンリーは、大好きな機械に触れる仕事を転々とした。
どんなつらい仕事でも、機械と格闘していればそれで幸せであった。

3年間デトロイトの工場で、いろんな仕事に就いてがんばってきたが、少し里心が頭をもたげて、ディアボーンに戻ることになった。
そして、近くのウェスチングハウス蒸気機関製造会社に就職し、定置用蒸気機関を近くの農民に販売したり修理したりするようになった。
この時代の農家では、水をコントロールするための動力を必要としていたが、その中心は蒸気機関であった。

産業革命が進行中の19世紀後半のアメリカは、いろいろな機械や装置の発明が相次いだ時代であり、人々の乗り物に対する関心も高まってきた。
そのひとつは、近くに移動するに便利な、自転車に対する関心である。
イギリスで改良が進んだ自転車は、1880年代の合衆国の人々にとっては珍しい乗り物であったが、空気入りゴムタイヤの採用などによって実用性が向上し、1890年代に入ると急速に人気が高まっていた。

もうひとつは、遠くに移動するのに便利な乗り物に対する関心である。
この当時、蒸気機関に代わる動力源になる可能性を秘めたニコラス・オットーの内燃機関にアメリカ人技術者の注目が集まった。

さらに、ドイツ人のゴットリープ・ダイムラーやカール・ベンツによって開発された4ストロークのガソリンエンジン技術情報はアメリカ人に大きな刺激を与え、新しい乗り物づくりに挑戦しようと考える人がいっぱい出現してきた。

ヘンリーも、他の技術者と同じように、「ガソリンエンジンが乗り物の動力として使えるのではないか。 その可能性に挑戦してみたい!」という夢を抱くようになってきた。

(金曜日の〔65話:後編〕に続く)


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