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80話.クルマの芸術家ブガッティ〔前編〕

《 主な登場人物 》
■エットーレ・ブガッティ:1881年生まれ。自動車の設計家を目指すイタリア人青年。
■ド・ディートリヒ男爵:1868年頃の生まれ。ド・ディートリヒ社を経営するフランス人貴族。
■エミール・マティス:1880年生まれ。マティス社を創業するビジネスマン。


 イタリアのミラノに生まれたエットーレ・ブガッティは、自動車を芸術の対象に考えた 


“ブガッティ”は現代の自動車ファンにとって独特の響きがある名前であり、『クルマの歴史物語 第二巻』の主役のひとりとして登場するエットーレ・ブガッティが、イタリアから始まって、フランス、ドイツ、アメリカ合衆国と広い範囲の舞台で大活躍する話を、これから始めることにしよう。

エットーレ・ブガッティは、1881年に家具師兼銀細工師を父としてイタリアのミラノで2人兄弟の兄として生まれた。
父は、息子たちに芸術の面で成功をおさめて欲しいと考え、そのための教育をほどこした。
特に、ミラノの上層階級の人間として生きて行くに欠かせないフランス語会話に関しては、フランス人の家庭教師をつけて訓練を重ねたので、青年になる頃にはフランス人と間違えられるくらいのレベルになっていた。

やがて、エットーレは自動車のメカニズムに興味をもち、弟は彫刻家の道を歩むようになった。


Bugatti,Ettore①第二巻080話
〈若き日のエットーレ・ブガッティ〉





エットーレが最初に就職したのは、ミラノのブリネッティ&ストゥッキという小さな会社であり、仕事はテストドライバー兼メカニックだった。
同社は歴史のある会社で、ミシンをつくるかたわら、1895年から自転車の製造を開始している。
そして、エットーレが入社した頃には、ド・ディオン・ブートン製エンジンで動くトリシクルと呼ばれる1人乗りの小型3輪車の生産を始めていた。

ここに勤務するようになったエットーレはトリシクルのスピード競争に参加するようになり、いくつかのレースで優勝を飾り、ドライバーとしてだけでなく技術者として腕を高く評価されたら、社長からブリネッティ&ストゥッキ社として最初となる小型4輪車を設計するように言い渡された。

エットーレは、トリシクルをべースにして総排気量520ccの2気筒エンジンを搭載し、エンジンの力をベルトで後輪に伝える構造を持った車両重量240キロという軽量車をつくりあげ、社長の期待に応えたのである。

実のところ、本格的な自動車づくりを目指しているエットーレとしては、こんなちゃちなクルマに満足しているわけではなかった。
会社から帰ると自宅にこもって新型車の設計に熱中したら、やがて4気筒エンジンを載せる、オリジナリティ溢れる新車の設計図ができ上がってきた。

図面ができても、これを実際の形にするには多額の資金が必要となる。
そこで密に自分の周りの資本家たちにアプローチしたら、このクルマのできに感心したあるイタリア人貴族がスポンサーに名乗り出て、このクルマをビジネスにする具体的な事業化プランが形成されてきた。

その第一ステップとして、1901年にミラノで開催される国際スポーツ展示会に試作1号車を出品したところ、コンパクトなデザインとすぐれた性能によって一大センセーショーンを巻き起こすことになった。

これでやる気満々となったエットーレであるが、今まで資金提供をしてくれていたスポンサーの家に不幸があって、せっかくの話がご破算になってしまった。
しかたなく、この新型モデルを他の自動車製造業者に譲り渡すことをエットーレは考えるようになったのである。



 E.ブガッティは、フランスとの国境地帯アルザス地方のド・ディートリヒ社で働いた 


ヨーロッパ大陸のドイツとフランスの国境地帯にアルザス/ロレーヌといわれる地帯がある。
この地はフランスの文化が色濃く息づいていると同時に、質実剛健を旨とするドイツ文化も存在をしていて、独特な世界をかもし出しているエリアである。

近代になるまでフランスが支配していたこのエリアは、〔プロイセンVSフランス〕戦争での勝利によって、プロイセンが管轄するエリアになったが、だからといって全てがドイツ風になったということではなく、人々は言語をはじめとしたフランス風の生活を変わることなく営んでいた。

さて、アルザスのニーデルブロンという所に本拠を構えて、鉄道車両製造業を営んでいるド・ディートリヒ社という会社があった。
ここのオーナーであるド・ディートリヒ男爵は、自社の生産体制を活用することと、自動車の生産技術を身に付けるため、ボレー二世が設計したクルマのOEM生産(相手先のブランドで製品をつくること)を開始した。

ボレー車の生産で自動車技術を磨いたド・ディートリヒ男爵は、今度はオリジナル車が欲しくなってきたが、新車開発に必要とされる充分なノウハウが自社にないという厳然たる事実を強く認識していたので、どうにもならなかった。

そんな時にエットーレ・ブガッティという若いイタリア人技術者が新車を開発したというビッグニュースが飛び込んできた。
エットーレがつくった設計図を見たド・ディートリヒ男爵は、すばらしいクルマになるに違いないと確信して、イタリア人青年との交渉に自ら乗り出すのであった。


ド・ディートリヒ男爵からの手紙を受け取ったエットーレはニーデルブロンにあるド・ディートリヒ社を訪れることになった。
案内を受けて、趣味のよい家具に飾られた社長室に足を踏み入れたエットーレに、男爵は優しく歓迎の言葉をかけた。
「ブガッティさん。遠路はるばる当地までお越しいただき、ありがとうございました」

「ド・ディートリヒ男爵。始めまして。この前お手紙を差し上げたエットーレ・ブガッティと申します」

エットーレから発せられたフランス語があまりに流暢なので、ド・ディートリヒ男爵は驚き、その理由を聞くことにした。

「この前、君からもらった手紙を見て、フランス語が上手なので、本当にイタリア人かどうかを疑ったのだよ。こうして会ってみるとフランス語での会話力もすばらしいが、いったいいつ習ったのかね」

「僕の父が教育熱心で、フランス人の家庭教師をつけてくれたので、こうして話せるようになりましたが、フランス語は自分の人生にとって、大きなかかわりをもつようになると父には言われ続けてきたのです」

「ぜひ、われわれのようなフランス系住人と仲良くなって欲しいものだ。ところで、君が送ってきた設計図を見せてもらったが、たいへんよくできたクルマで、当社としては強い関心を持っているので、わざわざここまで来てもらったのだよ」


いよいよ本題に話しが進んできた。
「僕は自動車の設計で身を立てたいと思っていますので、ド・ディートリヒ男爵に評価いただいて光栄に思います」

「当社は、ボレー二世が設計したクルマの生産をしているが、私は他人のために自動車をつくるのではなく、自分のブランドを付けて販売する事業に転換したいと考えているのだ。そのためにはオリジナリティ溢れた魅力あるクルマが必要なのだが、君が設計したクルマは私の希望にぴったりというわけなんだ」

「ありがとうございます。僕の方も条件さえ折り合えば、ぜひ採用していただきたいと思っていますので、ご希望の条件を提示いただきたいのですが・・・・」
エットーレは早くも契約条件交渉を切り出した。


De-Dietrich第二巻080話

〈ブガッティを評価するド・ディートリヒ男爵〉





今まで数多くのビジネスをやってきたド・ディートリヒ男爵は、交渉はお手のものなので、自分が考えている条件で青年をねじ伏せる自信を持っていたが、エットーレから条件の話を提示され、この青年のビジネス力がどのぐらいか値踏みをしてみることにした。

「ブガッティさん。私は君が設計したクルマはすばらしいと確かに言ったが、その中に外交辞令が入っていることを忘れないで欲しいと思う。ビジネスはあくまで条件次第なので、私が考えている条件を話していいかい」

「僕は技術者で、しかもビジネス交渉の経験は少ないので、男爵の方から条件を提示していただきたいと思います」

「交渉ごとに関して、相手の顔色を見ながら少しずつ条件を変えて、時間をかけながらまとめるという人もいるが、私の交渉方針は単純で、最初から最終案の提示をするので、これから条件を引き下げたりすることは考えてない。その点を知っておいてほしい」
ここは、交渉の押えどころだと考えたド・ディートリヒ男爵は、相手を組み伏せるがごとく高圧的に出た。

ここで屈しては、自分がなめられてしまう。
この交渉は、自分が折れてまで纏める必然はないことを確認したエットーレは、再度自分のスタンスを相手に理解してもらおうと考えて回答することにした。
「僕は交渉ごとに関して素人ですが、イエス、ノーははっきり申し上げたいと思っております。それと、自分は誇り高い人間だと自負しておりますので、妥協ということは考えておりません。僕が考えている条件に合わなければ、この話はなかったことにしていただきたいと思います」


ここまで話をして、ド・ディートリヒ男爵は内心で青年の交渉力が並外れて高いことを強く認識することになった。
特に、自分の技術力に対して強い自信を持っている点を再確認することになり、当初考えていた条件単価より引き上げて提示することにした。
それと交渉にあまり時間を欠けるのは得策でないと判断して、高飛車に出ることにした。

「よくわかったよ。それでは私の条件を申しあげよう。最初にいちばん大切な点から申すと、当社はこれからいろんなクルマをつくって販売することを考えているので、技術者としてエットーレ・ブガッティ氏は3年間当社と専属契約を結んでいただきたい。この契約の一時金はイタリア通貨で5万リラを差し上げます。それと、ライセンスフィーは自動車1台当り販売価格の10%とします。それから、ブランドはド・ディートリヒとなります。以上が私の考えている条件ですが、最初に申し上げたように、私は交渉で条件を変える考えはありませんので、これで良ければ契約しますし、ダメであれば諦めます」

これを聞いたエットーレはしばし黙考した。
条件単価に関しては、自分が考えていた以上であったので、これを受け入れようと判断した。
3年間自分がアルザスに拘束されることは考えていなかったし、こんな田舎に3年間も引きこもっているのはがまんならなかった。
それと、自分の名前が自動車のブランドとして付かないというのは納得ができなかった。
あと一点、ここでつくられるクルマのイタリアでの販売権に関する希望もあったので、回答をすることにした。

「最初にお断りしますが、僕はエンジニアであってビジネスマンではありませんので、長々と交渉する気はありません。そこで、率直な意見を申し上げますと、契約金とライセンスフィーは提案とおりで結構です。次いで、貴社との3年間の専属契約に関しては、2年間にしていただきたい。そして、クルマのブランドですが、ド・ディートリヒ&ブガッティにしていただきたい。それから、これは提案に含まれておりませんが、貴社でつくるド・ディートリヒ&ブガッティ商品のイタリア国内での独占販売権は僕にいただけませんか、以上です。このうち、特にブランドに関してはまったく妥協の余地がないことを、最後に確認を致します」

ここまで交渉を続けてきたド・ディートリヒ男爵は、このイタリア生まれの青年エンジニアに好感を持つようになっていた。
この人物なら必ず大きな成果を自社にもたらすに違いないと確信して、交渉をまとめることを決断した。
「ブガッティさん、回答をありがとうございました。最初に申したように、私は交渉で駆け引きをする考えはありません。申し入れの件は全部了承しましょう。これから2年間、良いクルマを開発してください。頼みますよ」

男爵はイタリア人の若者に手を差し出し、完全合意をした証を態度で示した。

「自分のような若輩の要望を聞き入れていただいて、本当にありがとうございました。これから一所懸命働きますから、よろしくお願いします」
この合意提案を受け入れることにしたエットーレも手を差し伸べ、男爵の手を握り返すのであった。


エットーレは以後、この会社のために、5つのモデルの設計を行ったところ、ド・ディートリヒ&ブガッティ車と、若手設計家としてのエットーレ・ブガッティの名は、徐々にヨーロッパ中に広まるようになってきた。

(金曜日の〔80話:後編〕に続く)


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