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83話.ドラージュの躍進〔前編〕

《 主な登場人物 》
■マリウス・ベルリエ:1880年生まれ。リヨンでベルリエ社を創業するフランス人事業家。
■アーネスト・シェナール:1861年生まれ。A.ウォルカーと新会社を設立するフランス人。
■アンリ・ウォルカー:1877年生まれ。A.シェナールと新会社を設立するイギリス人技師。
■ベンジャミン・オッチキス:1830年生まれ。フランスで機関銃を製作するアメリカ人。
■ヘンリー・アインスワース:1884年生まれ。オッチキス社で働くイギリス人技術者。


 自動車先進国のフランスでは、20世紀初頭に続々と自動車製造業者が誕生した 


本書は、カール・ベンツによってつくられた世界で最初のガソリンエンジン車を始めとした、有名ブランドの“クルマの歴史物語”を記述することをテーマとしているが、“自動車に関する百科事典”的な要素もあってもいいのではないかと筆者は思っているので、主要なカーブランドの誕生ストーリーを記載するようにしている。

Caxton Editions社という出版社が発刊した「The Encyclopedia of the Car」では、この地球に誕生したカーブランドのうち重要と思われる236を取り上げて編集しているが、このうちフランス車はヨーロッパではいちばん多く45もあって、全体の20%を占めている。

そこで筆者なりの見解によって、1908年までに登場したヨーロッパ車のうち特に重要と思われるフランス車と、その隣の国であるベルギー車、オランダ車の合計18ブランドの一覧表(誕生順)を以下に作成してみた。
(*この表記の中の数字は誕生した年を示して、英語のSは蒸気自動車、Gはガソリンエンジン車を現す。)

  ❖フランス:ボレー   1873~、S→G
  ❖フランス:ド・ディオン(・ブートン)    1883~、S→G
   ❖フランス:セルポレ   1889~、S
   ❖ランス:パナール&ルヴァソール   1889~、G 
   ❖フランス:プジョー    1889~、S→G
   ❖フランス:モール   1895~、G 
   ❖フランス:ベルリエ   1895~、G
   ❖フランス:ダラック    1896~、G
   ❖フランス:ルノー   1898~、G
   ❖フランス:ゴブロン・ブリリエ   1898~、G
   ❖オランダ:スパイカー   1900~、G
   ❖フランス:ドコーヴィル   1901~、G
   ❖フランス:シェナール・ウォルカー   1901~、G
   ❖フランス:オッチキス   1903~、G
   ❖フランス:ドロニー・ベルビル   1904~、G
   ❖ベルギー:ミネルヴァ   1904~、G
   ❖フランス;シゼール・ノーダン   1905~、G
   ❖フランス:ドラージュ   1905~、G

これらの18ブランドの中で、『第一巻』と、『第二巻』のここまでで何らかの説明が完了しているのは、ボレー、ド・ディオン(・ブートン)、セルポレ、パナール&ルヴァソール、プジョー、モール、ベルリエ、ダラック、ルノー、ゴブロン・ブリリエ、スパイカー、ドコーヴィル、ミネルヴァの13ブランドである。

これから始まる「82話 ドラージュの躍進」では、今まで説明をしていないブランドの中からシェナール・ウォルカー、オッチキス、ドロニー・ベルビル、シゼール・ノーダン、ドラージュの5つを紹介するとしよう。



 リヨン生まれのベルリエ社や、商業車で生きるシェナール・ウォルカー社が誕生した 


最初に紹介する自動車メーカーはシェナール・ウォルカー社である。
この会社の原点は、1883年に自転車ビジネスを始めたアーネスト・シェナールという人物にある。
自転車ビジネスに関しては、既に何度も本書で説明しているように、競争によって価格がどんどん下がり、どのメーカーも儲からなくなっていた。
シェナールもどうしたらいいかを模索している時に、イギリス人の鉱山技師アンリ・ウォルカーという人物に出会った。
ウォルカーは金持ではなかったが、話をしてみて経営感覚に優れていることがわかったので、自分のパートナーとしてうってつけであると確信を持つことになった。
それと、この話をした時に同席したウォルカーの奥さんの美しさに惹かれたという要因もあったと伝わっているが、本当かどうかはわからない。

フランス人のシェナールとイギリス人のウォルカーは、共同してシェナール&ウォルカー社という小型車をつくる会社を設立して、低価格を売り物にする3輪自動車ビジネスを始めた。
最初のクルマは、自転車の後輪を2つにして小型エンジンを付けるという、走る、止まる、曲がること以外は何も付いていない簡素化を徹底した3輪車で、競合他社の半額に近い価格を設定したこともあって、たちまち評判を得るようになり、2人の3輪自動車ビジネスはだんだん軌道に乗ってきた。

次は4輪車へ進出することとなり、最初の4輪モデルはパリサロンで発表された。
鉄のベルトで補強した木製シャシーに排気量1.2リッター2気筒エンジンを搭載したオーソドックス仕様で、このクルマも評判がよかったので、本格的に自動車メーカーとしての体制を整え、1906年には年間400台を生産するまでに育っていった。


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←“シェナール・ウォルカー”のブランドマーク




 アメリカ人が創業した機関銃メーカーのオッチキス社はフランスで自動車をつくった 


次はオッチキスに移る。
オッチキスのつづりはHotchkissであるので、フランス以外ではホッチキスと発音されることが多い。
日本ではホッチキスは書類がばらばらにならないようにする止め金具を意味している。
ホッチキスは英語だと勘違いをして、アメリカで使って通用しない経験をした人が多いと思うが、ホッチキスのことを英語ではステープラーという。

なぜ日本で、ホッチキスというようになったかを調べてみると、日本語でホッチキス社と表記するフランスの機関銃メーカーがあって、1904年の〔日本VSロシア〕戦争で、日本軍がロシア軍のホッチキス機関銃に苦戦を強いられことがあったそうだ。
その弾倉の形がよく似ているところから、日本ではステープラーのことをホッチキスと呼ぶようになったという。

さて、20世紀の初めの頃のフランスで、“オッチキス”という名前のクルマが走っていた。
これをつくったのは砲弾や機関銃などの兵器を製造するオッチキス社である。
軍需品という性格上、表面的にはフランスオリジナルの会社と思われていたが、実際はアメリカ人が経営する会社であったようだ。


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←“オッチキス”のブランドマーク





南北戦争時に、砲弾を南北両軍に供給して大儲けをした家系に生まれたベンジャミン・オッチキスは、アメリカからフランスに渡り1867年にパリ郊外に機関銃などの軍需物資を製造するオッチキス社を設立した。

20世紀に入るとヨーロッパの地では、戦争がなくなり軍需品の需要が急減してきた。
そこでオッチキス社は自動車部品を製造する仕事を始めたが、そのうちに部品つくりに飽き足らなくなり、1903年に自動車分野への新規参入を決意して、モール社から自動車エンジニアをスカウトした。
この結果、モールとそっくりのクルマができ上がったが、世間の評判は良くなかったようだ。

次にヘンリー・アインスワースという若いイギリス人のエンジニアを発掘して、この男にクルマづくりを任せたところ、魅力的な新型車ができあがった。
武器メーカーならではの精密工作技術が生かされた直列4気筒エンジン車は独特な駆動方式が採用され、24HPという出力を発揮する高性能ぶりであった。
1905年には早くもゴードンベネット杯用に排気量19リッターのモンスター車をつくるというように、オッチキス社はフランス有数の自動車メーカーに成長していった。

(金曜日の〔83話:後編〕に続く)


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