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90話.1908年までに誕生したアメリカ車〔後編〕

《 主な登場人物 》
■ハワード・マーモン:1876年生まれ。ピストンのV型配列を考えるアメリカ人技術者。
■ハーバート・フランクリン:1867年生まれ。空冷エンジンにこだわるアメリカ人技術者。
■チャールズ・デュリエ:1861年生まれ。アメリカ初のガソリンエンジン車の開発者。
■フランク・デュリエ:1870年生まれ。兄と別れた後、優れた自動車を開発する弟。


車輌メーカーのスチュードベーカー社は、EMFという会社と手を組んで大失敗した


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〈創業者のクレメント・スチュードベイカー〉





この時代の自動車を語るのに、スチュードベーカー兄弟の名前を忘れるわけにはいかない。

当時のアメリカでは、家族の連帯が強く、特にメカ好きの兄と弟が力を合わせて会社を創業するというのが一種の流行になっていて、アメリカ中でたくさんの自動車メーカーが林立した時代であった。

現在、アメリカの自動車史には数百のブランドに関する記録が残っているといわれているが、その中でも『クルマの歴史物語 第二巻』で取り上げた16のブランドのうち、兄弟が力を合わせて成功したのはデュリエ、スタンレー、パッカード、スチュードベーカーの4つであり、歴史に残るまで事業を拡大した兄弟の連帯力というのは、大いに評価されてしかるべきであろう。

スチュードベーカー社は、1852年にインディアナ州で創業し、最初の頃は荷車をつくっていた。
南北戦争によって車両需要は高まり、会社はおおいに繁栄し、ゴールドラッシュが起きた時に金鉱で使う1輪運搬車ビジネスでも大成功した。

20世紀に入ってしばらく経った頃から、アメリカ大陸では自動車がブームとなってきた。このまま荷車を続けることに危機感をもったスチュードベーカー兄弟は、自動車メーカーに変身することを考えたが、1902年に完成した最初のクルマは電気自動車であった。

豊富な資金力にものをいわせ、翌年になるとガソリンエンジン車を製品ラインに加えたが、これは自社開発ではなく、クリーヴランドにあるガーフォード社が製作したものを〈スチュードベーカー/ガーフォード〉の名前を付けて販売するだけであった。



studebaker2下090話
← “スチュードベーカー”のブランドマーク



1908年になると、スチュードベーカーは8千台を超える台数を販売するようになってきたが、フォードやビュイックに対抗するためには、もっと安いクルマを必要とした。

そこで、いろいろ探してみたところ、〈EMF/30〉というクルマを見つけ出した。これは、エバリット、メッツガー、フランダースという3人が創業した会社が、1908年に市場に出したばかりのクルマであった。

兄弟は〈スチュードベーカー/EMF〉という名前を付けて、このクルマを売り出したところ、販売台数は1万5千台を超えることになったが、この頃から消費者クレームの大波が押し寄せてきた。
要するにできが悪かったのだ。

その上、「Every Morning Fix it」(毎朝直す車)、「Every Mechanical Failure」(どんな故障もあり)などと、車名の“EMF”が悪い冗談を誘発することになり、売上はばったり止まってしまい、スチュードベーカー兄弟は、自分たちの自動車ビジネスの全面見直しを迫られることになった。



アメリカ初のガソリンエンジン車をつくったデュリエ兄弟は別々の道を歩んだ


これからは、アメリカで最初のガソリンエンジン車をつくった人物として既に登場しているデュリエ兄弟のその後の話である。
20世紀の幕が開けた頃、弟のフランクは兄と喧嘩別れし、マサチューセッツ州にあるスティーブンス・アームズ&ツール社の技師長に就いて、新車の設計に携わることになった。
ここでのニューモデルは“スティーブンス・デュリエ"とネーミングされ、華々しいデビューを飾り順調な売れゆきを示した。

一方、気分屋で集中力が続かない兄のチャールズ・デュリエの方は、3気筒エンジンを横置きに搭載する新型車を発表した。

このクルマには、運転のワンハンド・コントロールという新機構が付いていた。
これは、座席の間から出た1本のレバーで、自動車の“進む”“曲がる”という運転操作を行うという発想で開発されたものである。

進むに関しては、レバーを手前に引くとローになり、先端のグリップを回すと2速のトップにギヤチェンジし、レバーを下に押すとニュートラルとなることによって、ギヤ操作をすることができた。
曲がるに関しては、レバーを左に動かせば左に曲がり、右に動かせば右に曲がるというようにコントロールできるようになっていた。
この1本コントロールを実際に操作してみると、ギヤチェンジをする際に舵が切られたりして、危険な挙動をする事態が発生することが多く、完全な失敗作だった。

(〔90話〕はここまでで、〔91話〕は来週の火曜日に掲載。)


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