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178話.クライスラー社の創業〔前編〕

《 主な登場人物 》
■ウォルター・クライスラー:1875年生まれ。ウィリス・オーヴァーランド社を再建する男。
■チャールズ・ナッシュ:1864年生まれ。ナッシュ社を設立したアメリカ人経営者。


 チャールズ・ナッシュが創業したナッシュ社は、買収を続けてフルライン化していった 


貧しい農家に生れたチャールズ・ナッシュは幼くして孤児となり、農家の手伝いをしながら成長した。
12歳になった時、ビリー・デュラントが経営する馬車工場に入って技術を身につけているうちに、性格が素直で従順なナッシュは、青年社長のビリー・デュラントに可愛がられるようになった。

その後、ビリーがビュイック社を入手して、馬車メーカーから自動車メーカーへの変身を図る頃になると、一の子分になっていたナッシュはビリーの片腕として活躍するようになり、1908年にビリーがビュイック社をベースに、オールズモビル社とオークランド社を合体させてGM社を創立したら、ビュイック部門の責任者をやるようになっていた。

ここまで順調に出世を重ねたナッシュの身に、ビリーがGM社から追い出されるという大きな変化が訪れ、ナッシュはGM社に残ることにしたら、銀行団からGM社の社長をやってほしいという要請を受けることになった。

自分は社長の器でないことをよく知っているナッシュは逡巡したが、意を決して社長に就いてしばらくしたら、今度はビリーがGM社に復帰することになり、自分の部下になったのである。
かつての親分を部下に持つというように主従が逆転すると、とたんに居心地が悪くなったナッシュは、1916年にGM社の社長を辞めることにした。

この時の退職金を元手にして、自動車メーカーのナッシュ自動車会社(以下、ナッシュ社)を創立することにした。
創業後、取り立てて技術的なアドバンテージがないものの充分信頼に足る実用車のナッシュは安定した売上が続くようになると、自動車メーカーとして生き残ることに自信を持つようになった。


Nash,Charles②第四巻178話
←苦労人のチャールズ・ナッシュ









ナッシュの業界内での評判は高まってきた。そうなると、厳しい競争が続くアメリカ自動車業界の再編成で、その中心として期待されるようになり、メインバンクの依頼で中堅自動車メーカーであるランブラー社の再建にナッシュは協力することになった。

瀕死のランブラー社はナッシュの指導力で立ち直ってくると、銀行の勧めでランブラー社を吸収することになり、ナッシュ社は一回り大きくなった。
そして、1924年にはもうひとつの中堅自動車メーカーであるラファイエット社を買収した。

こうしてナッシュ社は、小型車はナッシュ、中型車はランブラー、大型車はラファイエットという3つのブランドによる、 GM社に習ったブランド戦略を推進するのであった。



 停滞が続くフォード社に代わって、スローン新体制となったGM社が急浮上を始めた 


本書の「165話 ローリング・トウェンティーズのアメリカ」で、統計資料に基づいて世界大戦後のアメリカ自動車産業の変化を語っているが、ここではその続きの情報を提供しよう。

1921年度のアメリカ合衆国での乗用車総生産台数は207万4千台であり、不況の年でありながら史上最高生産記録を更新した。
その後、年ごとに生産台数は増加を続け、1925年には375万5千台という膨大な生産台数に到達した。
このように順調な増加が続いた要因は、世界で初めて出現したモータリゼーションにあり、フォード社が開発した流れ作業による大量生産の効果が価格ダウンにつながり、その価格ダウンが大衆の購買意欲を刺激し、T型は売れに売れたのだ。


そのT型の売れ行きに陰りが見えたのが1926年のことである。
そこで、統計資料を使って、アメリカの乗用車市場の変化を探ってみよう。

1926年度の総生産台数は、前年を下回る369万2千台であったが、世界大戦時を除いて、前年割れを起こしたのは初めてであった。
この年は、あまりに好況が続いた反動もあって、景気に一服感があったことも事実であるが、生産台数減はフォードT型の大幅ダウンによるところが大であった。

1923年の年間183万台をピークとして、翌24年は172万台、25年には167万台というように減少傾向が続いていたが、1926年に入ると前年比で15%マイナスとなる142万6千台までT型は落ち込んだのだ。


このようなフォード社の不振の対極にあるのがGM社である。
ビリー・デュラント社長を放逐したピエール・デュポンはアルフレッド・スローンの提言を受け入れ、ブランド戦略プロジェクトチームを編成した。

この提言によって、新しい戦略方針を確定したGM社はアルフレッド・スローンを社長に就け、アメリカ自動車産業界の盟主にならんとして積極的なシェアアップ活動を開始したのである。


この効果がはっきり数字で表れた年が1926年と言えよう。
フォード車が前年から落した台数と同じ台数をシボレーブランドだけで増加し、前年対比伸び率では実に80%と驚異的な成長ぶりを実現した。
GMのもう一つの量販ブランドであるビュイックの方も40%増と健闘し、販売好調が続くキャデラックを含んで大躍進をしたのである。

この結果、フォード社の一強時代が続いたアメリカの自動車業界はフォード社とGM社の二強時代を迎えることになったのである。

(〔178話〕はここまでで、〔179話〕は来週の火曜日に掲載。)


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