fc2ブログ

186話.再編成が進むイギリス車〔後編〕

《 主な登場人物 》
■ウィリアム・R・モーリス:1877年生まれ。イギリスで自動車独占を狙うモーリス社社長。
■マックルズフィールド卿:1870年頃の生まれ。W.R.モーリスを支援するイギリス人貴族。
■ルイ・コータレン:1879年生まれ。STD連合のリーダーとなったフランス人事業家。


経営不振のウーズレー社を傘下に収めたモーリス社は、イギリスNo.1の座を狙った


フランスでの躓きはあったものの、イギリス国内でモーリス社がつくるオックスフォードとカウリーは順調に売れ続けて、1920年代の中頃には年間販売台数で5万台を突破するという大メーカーに育ってきた。

ウィリアム・リチャード・モーリス社長はアメリカの自動車産業視察ツアーを欠かさなかったが、スチールボディのパイオニアであるブッド社を訪問した際に、「これからの自動車は、オールスチールのクローズドボディが主力になるに違いない」と直感した。
すぐにスチールボディの特許を持っているブッド社との交渉に入り、イギリス国内でスチールボディを製造する合弁新会社としてプレスド・スチール社の設立が合意され、ここで生産されるスチールボディがモーリス車に架装されることになった。

世界大戦後に、モーリス社が飛躍するきっかけとなったのは、このスチールボディの採用であるが、もうひとつ大きなできごとがあった。


イギリス最大の重機メーカーであるヴィッカーズ社の自動車部門の一翼を担うウーズレー社は、航空機用エンジンで磨きあげた技術を応用したOHCエンジンを搭載する高性能モデルで、世界大戦後の自動車ビジネスを再開した。

ところが、熾烈な販売競争に巻き込まれ売上はジリ貧で経営が行き詰まってきたので、この会社を所有するヴィッカーズ社はウーズレー社の売却を考えるようになった。
これを知って格好の買い物と判断したのは、モーリス社のモーリス社長で、破格の安値でこの会社を買い取り、優秀な設計陣、近代的で設備の整った大工場、そしてOHCエンジン技術などがそっくりモーリス社のものになった。

このOHCエンジンはモーリス社の傘下で、セシル・キンバーが経営に当っているモーリス・ガレージ社でも使えるようになり、全長315センチという小型スポーツカー〈MG/ ミゼット〉が1928年から売り出されたら、大ヒット商品に育つことになった。


ウーズレー社がモーリスグループ入りする直前のイギリス自動車業界のトップメーカーはイギリス・フォード社であり、セブンをヒットさせたオースチン社がこれに続いて、3位以下は団子状態であったが、ウーズレーを加えたモーリス社は2位のオースチン社を脅かす存在になってきた。

イギリスでナンバーワンの自動車メーカーになる野心を隠そうとしないモーリス社長は、次に中堅自動車メーカーであるライレー社を傘下に収めて、着々とモーリス帝国づくりを進めるのであった。


世界大戦が終結して5年が経つと、イギリス人の生活レベルは上昇して、自動車が大衆化し始め、モーターリゼーションの時代を迎えようとしていた。
この主役を担ったのは、イギリスの国情を反映し、経済性が高い実用的な小型車であり、〈モーリス/オックスフォード〉に続いて〈オースチン/セブン〉の人気が急上昇することになった。

これに追い討ちをかけたのが新しい自動車税の導入であり、小型車の税金が相対的に安くなったのに対し〈フォード/T型〉に代表される大きなクルマの税負担額が大幅アップしたことで、これらの売上は急低下し始めた。
中でもイギリス製〈フォード/T型〉は大きな影響を受けて、売上ダウンは急ピッチで、〈オースチン/セブン〉にベストセラー・カーの座を明け渡し、その後塵をも拝することになったのである。

本家のアメリカでは、累計生産台数1千万台を超えたT型は、どこの家も同じクルマという状態が出現して、売上が急減する事態を迎えて新型のA型への切り替えが進んでいた。
これを受けて、イギリスフォード社もT型の生産を止めてA型の生産を始めたがボディが大きすぎて、イギリス国内では決して人気が出ることはなかった。



サンビーム/タルボット/ダラック連合がスタートし、ヴォクゾール社はGM入りした


「186話 再編成が進むイギリス車」では、1920年代に入って以降のイギリス車の動向に関して、モーリス社、ウーズレー社、イギリス・フォード社というように話が続いているが、次はヴォクゾール社の番である。

世界大戦が終わって1920年代が進むと、ヴォクゾール社の売上は低下の一途をたどるようになり、やがて経営危機に陥った。
ここで登場するのは、ひそかにイギリス自動車産業の市場調査を進めていたアメリカのGM社であった。
自社工場建設プランと並行して、M&Aの物件を探していたところに、ヴォクゾール社を買わないかという話がもたらされ、これに飛びついたGM社は、1925年12月、250万ドル余をはたいてこの会社を傘下に収めることになった。


vauxhall4下186話1930
← “ヴォクゾール”のブランドマーク




始めのうち、GM社はヴォクゾール社に対して、あれこれ指示を出すことはなかった。
これに甘えたヴォクゾール社の経営陣は6気筒スリーブバルブ・エンジンの高級ツーリングカーを売り続けていたが、いっこうに業績の改善が見られなかった。
しばらく辛抱していたGM社であるが、ついに“ヴォクゾール”ブランド車の行く道として、高級車ではなく大衆車への転換を図るように強い指示が打ち出されたのである。


ヴォクゾール社の次は、タルボット社の動向である。
タルボット社の創設者であるタルボット伯爵は、後継者と考えていた一人息子を大戦中の西部戦線で失ったことで強い衝撃を受けて、会社経営を継続する意欲を失ってしまった。
そんな時に、フランスの自動車メーカーであるA.ダラック社からタルボット社に合併の申し入れがあった。タルボット伯爵はA.ダラック社の要請を受け入れることにし、合併契約書が調印された。

こうして〔タルボット+ダラック〕連合が発足したが、レースで注目を集めるようになったサンビーム社が、新たに合体することになり、ここにSTD(サンビーム/タルボット/ダラック)連合が形成されたのである。


std4下186話
←“STDグループ連合”のシンボルマーク→




STDグループは、サンビーム社によって主導権が握られ、実力者であるルイ・コータレンが牛耳ることとなったが、新グループがスタートしても業績の改善は捗ることはなかった。
ところが、〈タルボット14/45HP〉という新車が誕生したところ、完成度が高いということで市場の評判が上がって、STDグループの救世主となり、以後10年問も生産が続けられるロングセラー商品になるのであった。

このクルマは、後部ナンパープレートの両側に照明入りの箱をもうけ、ステアリングホイールにつけたスイッチを操作することによって、矢印で車の曲がる方向を示すというウィンカー装置を付けた史上最初のクルマとなった。

(〔186話〕はここまでで、〔187話〕は来週の火曜日に掲載。)


トラックバック一覧

コメント一覧

コメントの投稿

名前

タイトル

メールアドレス

URL

本文

パスワード

非公開コメント管理者にだけ表示を許可する